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あの頃の夢と大切なもの



「小さい頃はね、ジャーナリストになりたかったんだ。」

踏みしめるデッキから伝わってくる木のぬくもり、左に見えるキラキラ光る海が愛おしかったせいで、素直に言葉がこみ上げた。


同期の仲良いグループで集まったゴールデンウィーク。みんな配属が少しずつ決まっていって、その話で始終持ちきりだった。

飛び交う各々の思いを聞きながら、自分の置かれている現状を噛み締めて、海沿いの橋を歩く。私がゆっくり歩くものだから、前の方を歩いている同期の集団と離れてしまって、もう一人の同期と2人で少し歩いていた。


「やりたいことかぁ。」

小さく呟く。

就活期に悩みながら、なんとかやりたいことを見つけたこと。そして、希望の事業部に配属されなかったことが脳裏を過ぎる。やりたいことなんて、どれだけの人が覚えていられるのだろう。


「私ね、小さい頃ジャーナリストになりたかったんだ。」

言葉にした瞬間に、心がすっと軽くなった気がした。

自分の声色が、遠い昔の憧れを懐かしんでいる。


「え、わかる。俺もだった…!ジャーナリストってかっこいいよねぇ。」

同期の瞳がきらりと光って、声が弾んだ。

「俺ね、スポーツジャーナリストになりたかったんだ。あこちゃんはどういう系?」

「私はね、小さい頃、親の教育方針でBBCをよく見てたのね…それで、女性のジャーナリストとかが戦場で実況してて、すごくかっこよくて憧れてたんだよね。」

今でも鮮明に思い出せる。ヒジャブを纏って、戦場で必死に声を上げて実況する女性たち。ヒジャブからはみ出たブロンドの髪が、激しい風になびいていた。事実を世に伝えるために命を懸けていた人たち。

遠い海を挟んだ7歳ばかりの女の子が、テレビ越しに憧れるには十分だった。

「でもね~、やっぱり年齢重ねてだんだん現実見るようになってさ。私には無理だなって思って、途中から諦めちゃった(笑)」

笑い飛ばしたら、ぜんぶが潮風になびいていくようで、すがすがしかった。


◇◇◇

幼少期の夢を、誰かと語る瞬間が私は結構好きだ。

みんな、目を細めて柔らかい表情をする。

まるで小さい頃の自分が見えるように、真っ直ぐだったあの頃を、精一杯愛おしいと思っているように。


ケーキ屋さん、サッカー選手、パイロット、学校の先生。

幼稚園に溢れていた、数々の夢はどこにいってしまったのだろう。

いつから、私たちは、夢と呼べる夢がなくなったのだろう。


この22年間、数々の職業に憧れた。ジャーナリスト、学校の先生、お花屋さん、ケーキ屋さん、国際機関の職員…

今のところ、そのどれにもなれなかった、ならなかった。

4月からは、就活期まで考えたこともないような業界に飛び込んで、事業部配属は、またもや縁のない分野で笑ってしまう。


◇◇◇

“ジャーナリスト”

その言葉を口にするとき、背筋がシャンとする。

なりたいわけじゃない、でもどこかであきらめきったわけじゃない。

自分の紡ぐ言葉と想いで、誰かの心を動かしたくて、何かを変えたくて。

音声じゃなくてもいい、文字でもいい。

「+を+にするんじゃなくて、-を+にしたい。」

一見、何が言いたいのかよく分からないフレーズだけど、就活期のノートの端っこに綴られた私のメモ。

今の自分の軸にある言葉だと思う。

憧れだけじゃなれない職業。7歳の私にもきっと分かっていた。ジャーナリストが不運にも亡くなってしまったニュースも、どれだけ大変な職業かも、テレビから学び済みだった。それでも、あの人がかっこいいと思って、ああなりたいと思った心情の根底は、もしかして今と変わらないんじゃないかなと思ったりする。

だから、「ジャーナリストになりたかったんだ。」と言葉にすることは、自分の意志と道しるべを確認することに近しい意味を持っているのかもしれない。

いつも、誰に対してでも、言えるわけじゃない。

ふと時間がゆるんだ瞬間に、この人なら話してもいいかなと思った瞬間に、するっと口から滑り出ることば。想いが放たれると、気持ちがとても楽になって、強くなれる。



小さい頃の数々の夢を背負ったまま、みんな“大人”を生きている。


結局叶えられなかったけどね~なんて笑いながら、時々思い出してあげるのも悪くない。

きっと、そこには大切なものが詰まっているかもしれない。



◇◇◇


読んでくださりありがとうございます☺️

先日は宇都宮で餃子を食べて、あしかがフラワーパークの藤の花を見に行きました!

今年は全力でどの季節も楽しみます♪


あこ





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