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第三四節 蹴球堂閉店

「『はじまりがあるものにはすべて、終わりがある』・・・私はなんと言った?」
 映画マトリックス・レボリューションズでエージェント・スミスの放つこのセリフがぼくは好きだ。
 はじまりがあって終わりがある。
 それだけで完結していたならぼくの心にまったく響いてはこなかっただろう。
 最後の「私はなんと言った?」が直接的にぼくの胸へと突き刺さってくる気がした。なんとなく自分の生き様を投影しているように思えてならなかった。
 サッカー観戦なんてただの道楽だと見る人は一定数いる。逆に人生のすべてだと考え、命がある限りサッカーとともに生きる人もいる。
 前者も後者もそれぞれに意味と意義があり、目的と手段を意識すれば自ずと進むべき道は見えてくる。
 ダイバーシティというワードだけでは括れないくらい今日のサポーターライフも多様化している。イコールそれはこれまでの価値を捨て切らなければ次のステージに向かえないことを暗に示唆している。

 セレッソ大阪のフットボール ー あえてサッカーではなくフットボールと呼ぼう ー も同様で今や第三形態へと進化した。尹晶煥が退任し、ミゲル・アンヘル・ロティーナとイバン・パランコが就任して以来、フットボールの質ががらりと変わっている。
 もちろんこれまでのサッカーを否定するつもりなど毛頭ない。ただ世界のスタンダードを一度知ってしまうともっともっと欲しくなるのがサッカーを愛する者としての性(さが)だ。時代はすでに令和だ。当たり前だ。
 ロティーナとイバンのザ・フットボール。その最たる試合が九月の大阪ダービーマッチだった。少なくとも近年の大阪ダービーにおいてここまでの幸せをもたらしてくれた時間はほかにはなかった。
 ただ、たしかに完勝ではあったもののセレッソ大阪のJリーグ昇格によってスタートした大阪の派遣争いはいまだ大きく負け越している。
 それでもぼくは知っている。どれだけ勝ち負けが続いたとしても「はじまり」に刻まれる一九九五年五月三日の大阪ダービーは、誰がなんと言おうとウノゼロでセレッソ大阪が勝利したのだ。ぼくは知っているのだ。
 記憶と記録は日本サッカーの歴史から一瞬たりとも消えたりしない。そう消えるはずがないのだ。この先も終わることのない戦いが続く。そのたびにぼくは常に原点へと立ち返るだろう。そこにはいつもこの勝ち点三が存在している。
 どんな物語にもはじまりがあって終わりがある。この言葉がある限りセレッソ大阪サポーターの誇りはいつまでも永遠だ。人生に迷ったらいつでもこの大阪ダービーを思い出すのだ。それだけで胸が高まりを味わえるのだから。
 永遠に続くダービーマッチという逃れられないデスティニー。運命に恋焦がれていくラブストーリー。思い描くたび、ぼくの身体中になにか熱いものが駆け巡る。やがてほとばしるエクスタシーを感じざるを得なくなるのだ。

 二〇二〇年一月。ついにというかサッカーショップ蹴球堂長居店を閉める日がやってきた。
 不確かでなにが起こるかわからないVUCAな世の中ではある。だとしてもわずか十一年八ヶ月で四度も水漏れ事故が発生するなんてやっぱり普通じゃない。
 こんなサッカーショップはかなり珍しいんじゃないだろうか。世界中どこを探しても、このような特異な場所はそうそう見つからないだろう。
 事後処理をするたびにいつもそう思った。なんだか違う意味で妙な自信もついていった。逆境から立ち上がるヒーローのごとく強い気持ちがぼくのなかに芽生えたのを今でも思い出してしまう。
 そうあのときから。

「店が水浸しになってるわ」
 いくら築年数が経っているとはいえ、都市部のビルで上部階から水がしたたってくるなんて思ってもみなかった。
 アミーゴからのその第一報を聞いた瞬間、ぼくは思わず絶句してしまい、失意からスマートフォンを落としそうになった。
 水の力は恐ろしい。店舗に置いてあったセレッソ大阪のオフィシャルグッズやサポーター向けのアパレルのうちの七割近くが一瞬にして商品としての価値を失ってしまった。
 さらには今後二度と手に入れられないような記念品も数多く存在していたのだ。心が折れないわけがなかった。
 J1昇格に向けての大事な一年となるはずの二〇一六年が明けて三週間目での出来事。時期があまりにもよくなかった。それでも、営業中に事故が発生しなかったことだけでも不幸中の幸いだ。アミーゴとぼくは前向きにとらえた。
 結局、内装工事には数ヶ月の時間を要した。営業を再開した頃にはシーズン序盤もとうに過ぎていた。業者の方々に頑張ってもらい、工事は創業日である五月二七日までになんとか間に合った。
 サッカーショップ蹴球堂を二〇〇六年に立ち上げたからちょうど開店一〇周年の記念の年に思わぬ災難に見舞われたわけだ。
 セレッソ大阪同様、周年記念には良からぬことが起こる。こんなところまでシンクロしなくてもいいのに。思わず唇を噛んだ。
 二〇一一年以降、サッカーショップ蹴球堂は順調すぎるくらい順調だった。だからやっぱりどこかの誰かが、お前らもう一回しっかりと考え直せ、と冷水をぶっかけてくれたのではないか。人知を超えた存在を信じずにはいられなかった。
 商品が減って、ところどころに空白が生まれた店内に目をやる。
 長居をサッカーの街にしたいという当初の思いや感情のすべてを改めて見つめ直す必要がある。色を失った壁と床を見つめながら、アミーゴとぼくはそう悟りはじめていた。

 水都大阪とはよく言ったものだ。いったい誰が名づけたのだろうか。
「その割には長居公園の周りって川がまったく無いよね」
 ある女性が放った言葉が今になってやけに頭に浮かんでしまう(一番近い河川といえば大和川なのだろうか、まあええけど)。
 さまざまな妄想を描きつつ特殊工具を使いながらセレッソ大阪のエンブレムが描かれたシールを剥がしていく。
 作業をしながら白い壁に貼られているエンブレムをぼくはじっくりと眺めた。狼と、桜と、そして川。いつもここには水が存在していた。いまさらながら気づかされた。
 だとしたら、ぼくというサポーターライフと、多くのアミーゴと、セレッソ大阪と、ウォーターとの関係はこんなところからはじまっていたのだ。そう考えるとなんだかしっくりきてしまう自分がいた。
 退去に向けただいたいの掃除は、店に到着する頃にはアミーゴたちがほぼほぼ終わらせてくれていた。片付けの苦手な身としては本当にありがたい話だった。
 ぼくがサッカーショップ蹴球堂に足を踏み入れたときにはすでに棚の商品とフラッグやポスターは綺麗サッパリ取り払われていた。スタジアム同様に入るときも出るときも実に手際がよい。まさにサポーターの鏡だ。
 部屋全体をぼくは見渡した。
 左奥の壁 ― ちょうどヤンマースタジアムが見える窓の真横にサインが残っていた。なんとも可哀想で気の毒な気がした。
 長いあいだポスターとか旗に覆われていたのだろう。もうずいぶんと薄汚れてしまっている。いつからなのか。そもそも誰のサインなのか。すぐにはわからなかった。
 そういやセレッソ大阪の選手も立ち寄ってくれたよな。たしか取材もここでおこなったな。解読不能の文字を手で触れながら、脳内の長期記憶へとその流線を書き込んでいった。

 そういえばセレッソ大阪がついに長居公園の運営権を持つことになったらしい。セレッソ大阪にかかわるすべての人の長年の夢が叶ったわけでもある。
 これによりスタジアムに直結された常設のオフィシャルストアが誕生するのだ。少しは蹴球堂も後押しできたのかもしれないと思うと無性に胸が高鳴った。
 長居近辺のサッカー文化の向上のために二〇〇六年五月二七日 ― いやもっと以前からだ。ぼくがセレッソ大阪とかかわりはじめてからだから四半世紀は経っていると言える ― から黙々と続けてきたこの啓蒙活動は、一定の成果を残してその役目を終えることになった。
 考えてみれば無いから作っただけで、セレッソ大阪へと返していくのが必然。それこそがユズリハなのだ。
 すべてが順調だったかと問われればそう言い切れないことのほうが多い。幸せと不幸せはいつだって代わる代わるやってくる。たくさんの人に支えられた。たくさんの人と出会い、そして別れた。多くの思い出とともに辿り着いたといっても過言ではなかった。
「店を閉めるって言ってから、それこそお客さんが何回も来てくれたわ。ほんまにありがたいことや」
 アミーゴの言葉が胸に沁みる。
「素直に嬉しいよな」というぼくの言葉があまりにも軽すぎて、泡となって全開の窓から店外へと飛んでいった。それくらいの存在の軽さの、泣きそうになっている自分を隠すのにぼくは必死だった。
 人間、死ぬときには走馬灯のように、これまでの人生が浮かんでくるという。だけど店舗という無機質な箱の最後の日に、彼らの目にはどんなものが見えているのだろうか。そんなことをぼくはふと考えていた(前にも話したけど、どうもぼくにはアニミズムというのか、ものに宿るなにかを感じてしまう体質だ。たとえばテーブルからなにかが落ちるのも、歩いていて足が引っかかるのも、すべては物の意思が働いているのだと思ってしまう。それはきっと気がついてほしいと茶々をいれてきているのだろう)。
 ただひたすらにくるくる回り続ける様々なシーン。現れてくるのは多くのお客様との交流ばかりだった。
 悲しみや悪い思い出はまったくやってこないじゃないか。でも、それでいいじゃないか。つらい思い出なんてときが経ってから思い返してみたら、すべていい記憶に変わっているものなのだ。人生も。そしてサポーターライフも。心からそう言えた。
 まだ三〇年にも満たないセレッソ大阪の歴史ってやつにサッカーショップ蹴球堂は少しでも刻まれただろうか。
 いや、そんなのなんてどうでもいい。やるべきことをまっとうしただけなのだ。それだけでよかったのだ。
 壁のサインを消さなくては。雑巾を強く絞る手にぼくは力を込めた。

 なにもかもが無に帰して、生まれたままの姿になったサッカーショップ蹴球堂の店内を改めてぼくは見た。
 初めてここを訪れたときの感情。
 抑えきれずに爆発しそうだった気持ちの高ぶり。
 様々な思いが蘇ってくる。天井から降ってくる天の恵みのような水滴さえも蒸発させるほどの熱さ。水漏れさえも、ぼくの、サッカーショップ蹴球堂の生身の身体で弾け、染み込んで、やがて一部となっていた。
 時間はかかったけれどそのことにようやくぼくは気づいた。本当に感謝しかなかった。また涙が溢てきて必死に耐えたせいでむせてしまった。
 なにもない、本当になにもない空間に向かってぼくは深々と頭を下げた。アミーゴも同じような面持ちで深々と頭を下げていた。
 部屋の電気を切り、ドアの鍵を閉める。
 なにもかもが終わった。

 どんなものにもはじまりがあって終わりがある。
 そして、どんなものでもいつか再生し、降臨する。
 次のステージを考えるにはもう少しの余裕が必要だ、ぼくはそう思った。どうやって次への一歩を生み出していくか。これからの自分に課せられた大切な仕事でもあった。
 ぼくは力強く自らの掌を握りながら、雑居ビルの階段を一歩一歩降りていった。やがてあびこ筋の歩道へと歩み出る。
 なんだか無性に腹が減ってきた。
「さて、お好み焼きでも食べますか」
 ぼくの問いかけに、アミーゴは待ってましたとばかりに、腹いっぱい食おうや、と返事をした。
 ミックスに豚玉モダンに焼きそば。それとビール。餅とチーズも入れたいよな。メニューを唱えながら闊歩する姿は実に滑稽だ。
 あたりはとっくに暗闇になっていた。大阪とはいえ一月の夜の風はぼくらの身体を芯から冷やしていく。
 だらしがない。温かいものをたくさんもらったはずなのに寒いとはどういうことだ。そう思ったら、さっきまでの涙とは裏腹にぼくは笑い転げてしまった。それを見てみんなも笑った。
 まずはなにかをはじめよう。これが「私はなんと言った?」に対するぼくの答えだ。
 だけどその前に、久し振りの大阪の味を堪能しよう。
 ぼくは寒空の下で歩みを早めた。

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