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言葉の壁が広辞苑並みに厚いけど、深くて為になる件

私は、言葉ができなくても人と人は心で繋がれる!

とずっと信じてきたし今でも信じている。

ただ、日常会話程度ならそこそこチェコ語もできるようになってきた最近、すごくすごく感じるのは"言語の壁"。

主に私の意味する言語の壁とは、友達ができる出来ないの事ではなく、友達又は知り合いになった後のコミュニケーションについて。正直、その国の言葉が話せなくても、友達はできるけど、その友達と深い話ができる関係を築きたい、親友を作りたい!となると、言葉というのは人の思いを伝えるとても大切なツールなのだ。

私は3年間チェコの大学院に通い英語で授業を受け、たまに不自由はあるけれど英語が話せればチェコ語が話せなくても生きてこられた。同じ外国から来ている留学生には深い話ができる友達もいたし、毎日楽しくやってきた。

チェコに来た当初は英語もあんまり出来ず、今と同じように言語の壁を感じたこともあった。けれど、留学生同士で通じ合えることもあり、それ程大きな壁を感じたことはなかった。

けれど卒業後、チェコ人のパートナーと共に暮らすためチェコに残ることを決め、彼の家族や友達との集まり、仕事等チェコ語ができないと如何し様もできない状況や出来ないことで孤立するという状況に頻繁に遭遇するようになった。

その度に現地の言葉の重要さを感じ、苛立ちや劣等感と孤独感でモヤモヤ。パートナーにもっと翻訳してほしいと口論になることもしばしば^^;

文句ばかり言っていては駄目だと思い、真面目にチェコ語の勉強をし始めもうすぐ1年。

今は一対一の会話なら大分出来るようになってきた。

しかし、グループセッションになるともう、途中から??????????あれ、、、ついていけない、、、全然会話に入れない、、、、、

なんでみんな笑ってるんだろ?、、、何話してるんだろ?

、、、、、、、、

全然わかんないや、、、、

、、、、、、

私ここに居る意味あるかな、、

、、、、、、

帰りたい、、、、

と最後には、やっぱり自分一人で孤立感+劣等感+何でもっと積極的になれないんだろうという自己嫌悪で心も頭もモヤモヤだらけになってしまう。(1年前とあんまり変わってない笑)


それでも、地道に毎日単語を覚え、彼の家族との会話ならストレスなく出来るようになってきたし、チェコ語でニュースを見て半分くらいは内容が理解できるようになってきた最近の私。自分でも成長を感じる。

努力は一日にしてならずってホントだなあ

頑張って勉強してて良かったなあ

と思える瞬間が増えてきている。



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孤独感・疎外感について


言葉が出来ないことによって感じる孤独感は、決して貴方だけのせいではない。

それは、貴方が孤独感を感じる人達と一緒にいる、それだけだ、と私は思う。

チェコ語が話せないなら英語で話そうと言ってくれる優しい人もいる、

英語が話せない人でもめげずにチェコ語で会話してくれる人もいる、

お互いにチェコ語が母国語ではないのでたまに何を言っているかわからないけど会話も出来るし、何となく一緒にいて心地よくて遊んでくれる人もいる、

そんな人達といると、「言葉が出来なくて駄目だ」よりも、「ここまで自分は出来るようになったんだ!もっと頑張ろう!この人たちの事もっと知りたい!もっと伝えたい!」と前向きになれる。

今までの私は、もっといろんな人に会いたいという思いから、誘われたら基本断らないスタンスで生きてきた。

確かに色んな人に出会うことができた。

でも、それによって自分に無理をさせている時間が増えた。

会いたい人にだけ会う。気が進まないなら断る。そんなシンプルな選択をするようになってからもっと楽に生きられるようになった。

孤独感も疎外感も感じない。言い方を変えれば、孤独感や疎外感を感じる場所や人から距離を置くようにした。

もっと大切にしたいものが見えた。

自分は人に優しく出来る人間でいよう。と心に余裕ができた。

嫌なものから逃げてるだけと思う人もいるかもしれないけれど、これは私の選択。

「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマで初めてこの言葉を知ったけど、私にはこの言葉がすごく役に立った。

ぜーーんぶ真っ向勝負じゃなくても、たまに逃げる選択をしても全然いいじゃん。逃げてみたら、意外と問題は大きくなかったという事に気付くこともあるかもしれない。

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