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千慶烏子『VERNISSAGE』06

わたしは瞳をとじるだろう。瞳をとじて男に接吻をあたえるだろう。海洋をめぐる一連の感情が、わたしの口腔に揮発するのをわたしはそこに見るのだろうか。夜をめぐる不毛なくりかえしが、わたしの瞳にまぶしく息を吹きかえし、わたしのからだにあふれるような樹木の枝をはりひろげてゆくのを、たしかにわたしは見いだすのだろうか。岸によせる潮のひびきがわたしのからだをみずみずしくうるおし、男の息にみちよせる潮の音色がわたしのからだのくまぐまをみたし、そこに、わたしの胸のたかまりのそこに、わたしの息のゆたかさのそこに、わたしのからだの奥深さのそこに、男のからだが、男の息がまざまざとある、そのようなあわあわしい近さのもとで、あるいはそのような至近のゆたかさのもとで、奇妙に明るい遙けさがわたしの瞳にひらかれてゆくのを、たしかにわたしはみるのだろうか。遠いというその遠さが、近さとわかちがたく結びついたそのような明るい遙けさのなかで、遠いというその遠さがなによりもここ、ここにおいてひらかれてゆく、そのようなまばゆい遙けさのもとで、わたしのからだはおぼれるような緑のゆたかさにふるえ、あふれるような光のゆたかさにふるえ、眼をかたくつむって足の尖まで萌え立つ緑のしずくでいっぱいにしてしまうのを、たしかにわたしは見るのだろうか、わたしは男に接吻をあたえる。瞳をとじて男にわたしは接吻を与える。海の涯ての鴨の翼が、しめっているのはほんとうかもしれない。


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