見出し画像

千慶烏子『VERNISSAGE』08

わたしの樹木は海のひびきを聴いてはぬれるのだ。わたしの樹木は潮のかげりを聴いてはぬれるのだ。眼をかたくつむって足の尖まで萌え立つ光のしずくでいっぱいにしてしまうのだ。存在が悲しみに固執する、あるいは存在が悲しみにもやわれてある、およそそのようなありかたをよぎなくされた悲しみのなかで、あるいは悲しみに光がとらわれてある、さわさわとほどかれつつ悲しみに存在がゆだねられてゆく、およそそのようなありかたをよぎなくされた光のなかで、わたしの樹木はすみずみまで枝をのばして、足の尖まで萌え立つ緑のしずくでいっぱいにしてしまうのだ。葉末のさきまで萌え立つ光のしずくでいっぱいにしてしまうのだ。そうしていまだみちわたらぬ海洋の、あるいはみちたりてはつかのまにしりぞく海洋の、そのかぎりない豊かさのなかで、そのかぎりない近さのなかで、わたしはおとうとに、おとうとのようなわたしの息子に、いつまでもひよわな子供のようなわたしの男に、わたしの悦びと悲しみのすべてをおくるだろう。わたしの夜にたたまれた海のすべてを男にひもといてみせるだろう。わたしの悲しみと夜のすべてを男に贈り与えるだろう。あたかも海のひろがりが、乗り越えまた乗り越えられる波のけだるい遍満に満ち、ひとつの波頭が、おだやかな遍満と悲しみのなかで、母でありまた娘でありして、その内懐に海の全容をかかえているように。あるいは娘でありまた母でありして、そのたたなずく波頭のくりかえしのもとに海の全容を抱えているように。


ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?