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『料理=愛』ではない

「あー今日何作ろう・・・」

それは多くの親にとって、最も頭を悩ませる事の一つなのではないか。

先日朝日新聞のコラムに、こんな一言が載っていた。

料理は愛情でもなければまごころでもない。料理は知識であり、技術なのだ。
ー中略ー
「食べさせる」とか「作ってもらう」なんて思っていると、料理は「義務」や「重荷」に、ひいてはイサカイの原因や不満のはけ口にもなる。食べたいものは自分で作るのが基本である。

文筆家・玉村豊男

毎日の献立に悩む親が、日本にはかなりいるのではないか。

息子が通っていた保育園で、遠足があった時の事。
開催の数日前に保育園からお弁当に関する、こんな案内が来た。

「おかずは5品程度で、凝ったものを作る必要はありません。愛情の込もった手作りのお弁当をお願いします。」

5品どころか2品程度で済ませようと思っていた私は、この案内を見て度肝を抜かれた。

張り切ってキャラ弁を作らなければと思っている親の負担を減らすための案内だったのであろうが、私にとってはこの案内が返って負担に感じた。

当日、私はやっぱりおかず2品のお弁当を作った。
家に帰ってきた息子は、「おいしかった。」と言ってニコニコしていた。

保育園の案内が悪いと言いたいのではない。お弁当にしても、普段のごはんにしても、大切なのは自分の目的が何なのかだと思うのだ。
栄養バランスの整った、見た目もカラフルでかわいらしいごはんを作る事なのか、それとも家族でニコニコ食卓を囲む事なのか。私は圧倒的に後者だ。

家族のために一生懸命作ったごはんを否定するつもりは全くない。凝ったものであろうと、シンプルなものであろうと、みんな尊いと思うのだ。

ちなみに我が家の家族ごはんのマイルールは以下の通り。

●栄養バランスは1〜2週間スパンで見る。1日ごと、ましてや1食ごとに見てたら身が保たん。
●朝食はエネルギー源(炭水化物)が摂れていればとりあえずOK。シリアルのみ、パンのみという日もザラ。
●お弁当はおにぎり&卵焼きが基本
●夕食は基本的に一汁一菜スタイル

これを基本にした上で、「今日はコレが作りたい、アレが食べたい」と思い付いた時のみいつもと違うものを作る。このスタイルを基本にするようになってから、料理に対するハードルがかなり減った。

これでも昔はキチンと作っていた時もある。私は料理はけしてキライではなく、むしろ好きな方だ。しかし、料理が好きな事と、毎日作る事は全く別問題であることを、子どもができてから知った。

子どもが生まれる前は、加工調味料が入っているものはできるだけ使わないようにしていた時期もある。しかし今では、助けてもらえるものには遠慮なく助けてもらうようにしている。大切なのは、その時の状況によって柔軟に生活スタイルを変えていけることだ。

料理は自己満足だ、と割り切れるようになった。凝ったものを作っても食べてくれずにイライラするのは、愛情の押し付けでしかない。ましてや偏食真っ盛りの息子が今日は食べた食べなかったで一喜一憂していては、身がもたない。

もう一つのハードルとして、夫の目が気になるという人も多いだろう。自分だけなら適当なもので良くても、夫がいるとなんとなくちゃんとしたものを作らなければと思う気持ちは私にも多少ある。しかし夫の側から言わせれば、凝ったものを作ってイライラするくらいなら卵かけご飯だけでも十分なのだ。
もちろん全く逆に、手の込んだ料理を作ってほしいという男性もいるだろう。そういう人には、「どうぞご自分で作ってください。」と言葉をかければいいだろう。

私は高校生の時に1年間アメリカに留学していた。アメリカの食文化は、想像以上にラフなものだった。
お弁当は食パン2枚にピーナツバターといちごジャムを挟んだものと、小リンゴを丸ごと1個ポンと紙袋に入れただけ。これでもまだいい方で、多くの生徒は学食で油たっぷりのハンバーガーとフライドポテトをほおばっていた。朝食はもちろんシリアルのみだったし、夕食にはMacaroni&Cheese(マカロニ&チーズ)という、レンジでチンするだけで食べられる加工食が良く出た。それを、みんないつも笑顔でおいしそうに食べていたのだ。「Wow!今日はマカロニ&チーズだ!Yeah!!」と言った具合に。

「こんなものしか作ってなくて…」と思うことはない。もっと胸を張っていいと思うのだ。

愛とは料理に込もるのではなく、食卓を囲むその場所にあるものだと思うから。

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