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『ののはな通信』を読んで
※他人から勧められた本を読んで即興で原稿用紙3枚分くらいの感想文を書く遊びをしていたときの再掲です。
よく言われることばでさ、「時間が解決するよ」みたいなの。あるじゃないですか。アレ私、ホント嫌いなんですよ。
だってほら、ののとはなを見てみろ。高校生で付き合ってたときからから、最強蜜月で、裏切りがあって、別れて、また家にあそびに行くようになって、恋愛相談して、手紙はいつしかメールになって、四十三歳までやりとりして。
時間が経って何か解決されているだろうか。否だ。否。否!!!
お互いのことをいくら大切な友達だの、魂はひとつだの、あなたの味方だの言うけど、でも結局、あなたを愛したようにはもうほかの人は愛せないだのいい出すじゃんか。相手が結婚したら連絡を断つじゃんか。私にだってできるわよと言わんばかりに外交官の奥方たちと寝るじゃんか!十年経とうが二十年経とうが、時間は何も解決してないだろ!
いいか貴様ら!!!これが未練だ!!!もっと言うなら女の未練だ!!!
もう途中で山岡士郎に美味いものでも食わせてもらって、それきっかけにお互いの気持ちにハッて気づいて永久にくっついてしまってほしかった。ねぇ、なんで『美味しんぼ』ってあんなに好き合ってるのにお互いの気持ちに気づいてない人ばっかり出てくるの? そして何でそれに食い物きっかけで気づくの? 謎すぎない?
閑話休題だ。
美味しんぼで想い合ってるのに気づかない二人組は概して男女なんですが、ののとはなはふたりとも女の子じゃないですか。この話、男女でも成立すると思う?
ワタシはね、しないと思うの。っていうか、なんかアレじゃない? 同性同士の恋愛を描いた作品捕まえて、「これは同性愛が云々じゃなくて、素直に恋愛モノとして面白い!」みたいな人たまにいるけど、アレはマジで作品を台無しにしてるんじゃないかしらと最近よく思うんですよね。わざわざ主人公を同性同士にしてるんだから、そこにメッセージあるやろ無視してどうすんねんっていう。
いいか?そういう考えがベースにあるから「女の時代、なんていらない?」とか生まれてくるんやぞ???(これを書いていた当時はそういう広告があったんですウケますでしょう?)
ほんでやね。ここで主人公が女子同士である必然性って色々あるとは思うんですが、ワタシは女という共通点があるから手を取れるっていうののとはなの関係にあると思うんですよね。友情がベースにあるっていうとちょっと違うんですが。シスターフッドみたいなことですかね。ふたりは家庭環境も勉強の出来も裕福さも性格も、なんか何もかもが違うんですけど、女同士だからなんか繋がれるものがあったんじゃないかな的なことを思ったりするのね。クソセクハラ教員に対して共闘するのとか?
こういう感じは、男女の対だと何もかもが違いすぎるから多分手を取りづらいし(わかり合えないって意味じゃないよ)、男性同士だとホモソーシャルな感じに絡め取られていくんじゃないかなと思ったりするよね。どう思う?
(あーでもなんかシスターフッドって言っちゃうと、恋愛要素を無視した感じになるのでそれはそれでなんか違うんだろうな?あくまでベースにそれがあってこそって話な?)
これ作者女子校育ちじゃないと書けないだろうな〜って気もするし、こういう発想ができるのか〜って思うと、ワタクシは昔からいまでも女子校育ちに憧れがわりとあったりするんですよね。そして、周りの好きな女はだいたい女子校育ちだし、そしてあるいはB型なのだ。
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