絶望の中でも生きるには*たんかをひとつ
またねっていって手を振る景色を眺めた。何度目だろう、何人目だろう、人生で何度思うだろう?
多くのことや人ならいいとも思わないし、だからといって無しだとわからないことは多いし。
でも大叔母がなくなってお風呂でふと、ああ、この世の味方が一人減ったんだなぁ
と思ったらなんだか涙が溢れた。
味方は多い方がいいだろうけれど
必要な人は人によって、違うみたいだ。
大叔母は賑やかなトーンの人で、静かにしていたい人にはあまり、合わなかったかもしれないけれども
私の人当たりの良さとちょうどあったのか、私たちは気が合った方だと思う。
預けられた先の祖父母の屋敷の広縁で一人、よく本を読んだり何かしていると
仕事帰りに寄ってくれた彼女が声をかけてくれた。
幼女には陰り陽射しの縁側もぬくきおもざしフワリ撫でつつ
*
For young girls, the fringes of the shadows and sunlight are also warm and fuzzy, caressing them.
寂しい子供だと知っていたからと友人に話したら
波長があったんだよ、好かれていたんだろうねと言われた
その方がグッと華やいだ記憶になる。
大事な人や優しい人の声を私からだけでも、大事にしたら
優しい連鎖はまた始まるんじゃないかなと思った。
今日は玄米のビックリ炊きに挑戦中にこの記事を書いてみました。
久しぶりにnoteの皆さん元気かなとのぞいてお変わりないと嬉しいです。
今日も読んでいただきありがとうございます
ではまた
いいなと思ったら応援しよう!
まだまだ何も知らず、こちらで人との繋がりや文章を通じて学ばせてせてください。よろしくお願いします。