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最終回 創作大賞応募作品 【アルギュストスの青い翅】 第36話 青き蝶の旅立ち

 それでもディカポーネの記録が抹消されなかったこと、セルダの部屋を永遠に残したいと家族が思ったこと、それはきっとみんなヴィーという存在の力だ。思わぬ結果になってしまったけれど、前を向いて、未来を思うヴィーの笑顔にみんながなにかを感じたのだと思う。そこには限りない可能性が詰まっているかもしれないと、そう信じられたのではないだろか。

「あんな笑顔を見ちゃったら、どんなことをしてでも未来を変えてやりたいって思うよな。俺だって……。いや、俺がまず、未来図を描いてもらったのか。まったく……ヴィーこそ規格外だよ。奇跡そのものだ」

 元の毒の成分を凌駕する高濃度のそれは、この世界に並ぶものが果たして存在するのかどうかというレベルだった。そんなことが人体に起きるだなんて誰が想像できたか。初めて向き合った時には言葉もなかっただろう。
 けれど、自分たちの想像をはるかに超えた展開に、ここまで尋常ではないものなら、その先にはより複雑で神秘的ななにかがあるんじゃないかと考えずにはいられない。
 それは、絶体絶命の中での無意味な足掻き、藁にもすがる想いが見せた希望だったかもしれない。だけど、その想いが夢が、長い時間の末に実を結んだのだ。世界を揺るがす大きな始まりとなった……!

 あの夜、傷を癒そうと、ヴィーが握ってくれた俺の手首。そこにはもう、今日の俺たちを驚かせた答えが隠されていたことに気づく。毒の驚くべき変化。俺だからとヴィーは言ったけれど、それは誰もにつながる夢だったというわけだ。アルギュストスと俺たちの未来は、あの瞬間から始まっていたと言ってもいいかもしれない。

 今ではすっかり跡形も無くなってしまった傷口は、だけど時折きらっと輝く時がある。それはまるで綺麗な鱗が貼りつけられているかのような輝きで、きっと魚の鱗はこんな風に輝くのだと、それを見るたびにヴィーの熱を思い出す。
 俺たちの五日間。ヴィーは確かにそこに生きていて、一緒に笑って泣いて、俺を抱きしめてくれた。俺たちはお互いの心の内をさらけ出し、お互いを特別だと呼び合った。それは永遠だと誓い合った。
 自分のことを支えにしてくれる人、理解してくれる人を見つけられたことは、何よりも大きなことだと学んだ。それはまさしく生きる力だ。

(ヴィー。綺麗な綺麗な、俺のヴィー。青いヴィー。俺にたくさんのものをくれた人。いつかまた……)

 だからこの先の俺がやるべきことは、ヴィーが教えてくれた大切なことを、必要な誰かに届けることだ。ヴィーがしてくれたことを、ヴィーにはもう返せないけれど、その代わりまた別の誰かにしてあげる。そしてその人がまた、必要な誰かにいつか返していけばいい。
 フィリオレーヌのことも、ちゃんと答えはあるような気がした。見つけに行くしかないだろう。どこまでも行ってやろうと鼻息荒く思ったけれど、もしかしたら俺の方が先に見つけられてしまうかもしれない。そう考えるとなんだか可笑しくて、たまらず笑いが込み上げてきた。

 船がベルが鳴らしている。出発の最終案内だ。俺は鞄を手に取った。どんなときも手放したくないルシーダと、ヴィーの部屋で見つけた綺麗な小箱が入っている。箱の中にはヴィーの手紙とロトのブーケも。そっと胸のポケットに触れば、そこにはフィリオレーヌのまろやかな曲線が感じられた。
 
 今日のために誂えたシャツの襟元を確認する。ヴィーのように繊細なレースのついたシャツではなくて、直線的で飾り気のないタイプだ。それでも、ヴィーの優雅さに多少は近づきたいと願って、素材だけは繊細なものを選んだことは誰にも内緒だ。
 そしてそこに、ブーケを束ねていた青いリボンが結んだ。あの夜、ヴィーが自分の襟から外したものだ。俺の瞳の色だと言ってくれたリボン。
 ヴィーとの約束を果たすべく、俺は舟を譲り受けた夜からヴィーの編み出した蝶結びの練習を始めた。何度も何度も結んで、いびつな蝶はいつしか、ヴィーと同じくらい華麗な形になった。

 『ほら、できた。やっぱりできた。だから言ったでしょ?』

 優しい声が俺を褒めてくれる。そう、いつだってそう言ってヴィーが俺の背中を押してくれる。俺の中に今日もその声が、大好きな微笑みとともに広がっていく。

『Jならきっと、行くべき場所にたどり着けるよ』

  俺はジョナシス=アルギュストス・セーゲル・レ・ディカポーネ。月光を探す者、集める者、導く者。そして、世界で一番美しくてしなやかな、月のような友人を持つ幸せ者。
 この世界に月光が降り注ぎ、アルギュストスが飛ぶ限り、俺たちは同じ青を身に宿して世界に飛び出して行く。俺がこの足でたどり着いた風景の中で感じたものは、きっと遠くどこかでヴィーの目となり耳となり、言葉になっていくはずだ。二つの音が交わった夜のように、想いはいつだって、結びついてより大きな力になっていくから。

「さあ、行くか!」

 湖からの風に青い蝶結びがふわりと揺れた。飛び立つ時だ。俺は思いっきり深く息を吸った。胸の奥の奥まで愛する故郷と友人と時間を詰めこんで……、そして一気にタラップを駆け上がった。



              (了)



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