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ある夏の日の物置の怪

かつて、不思議なものを何回か見たことがある。

わたしはそういったものは否定しない。
しかし信じない、と言う人のことも否定はしない。
きっと誰にでも起き得るものなのだと思っている。
ただ、何かが起きたときに「気付く」か「気付かない」かの違いなのではないか。
それがわたしの持論である。



それはずううっと幼い頃に起きた出来事だ。
わたしが小学校に上がる前後だったと思う。

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長期休みになると、家族総出で父方と母方の祖父母の居る田舎に里帰りするのが毎年の恒例行事だった。

わたしは母方には従姉妹が2人居る。従姉妹のうち姉はわたしと同い年、そして妹はわたしの弟と同い年だった為、4人で仲良く遊んだものだ。

田舎だからか母方の実家は広く、庭には小さいながらも鯉が泳ぐ池があった。よく手入れされた小さな庭園は冒険し甲斐があった。
また、家の裏側には裏庭と畑があり、裏庭には大型犬1匹用の犬舎があった。
更に犬舎の前を素通りし、家の横側に周ればガレージと物置小屋があり、ガレージと台所を勝手口が繋いでいる。ガレージと物置小屋は昼間でも光が入らず薄暗い。

そんな広い家だったから、遊び場所には事欠かなかった。
何故か4人とも時代劇が好きだった為、遊びといえば時代劇ごっこが割合の多くを占めたのだが、それも良い思い出だ。
必殺仕事人ごっこや水戸黄門ごっこをよくやっていた。我ながら渋い幼少期だと思う。
わたしは長期休みの度に2人に会えるのを楽しみにしていた。

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ある夏の日。庭で遊んでいた時だ。かくれんぼだか色鬼だか何をして遊んでいたかは思い出せない。普段は近付かないガレージに近付いてみることになった。誰が言い出したかは覚えていない。

ガレージとは言ってもその入口に門はなく、車の横をすり抜ければすぐに中に入れる。
家屋に隣接したガレージ最奥の突き当たりには古い木製の物置があり、突き当たりから右に抜ければすぐに裏庭だった。
また、ガレージ奥側には勝手口があり、昼間はだいたい鍵が開いている為そこからすぐに家屋に入れる様になっている。

我々幼い4人はどんなに外で遊んでいても誰か大人の気配や会話が台所から聞こえる時以外はガレージには決して近付かなかった。
最奥にある古い物置の古い木製の扉もガレージの薄暗さもほんのりと怖かったし、台所に誰も居ない時は昼間でもシンと静まり返っており一層近付きにくさが増していたからだ。

そんな中、冒険心でガレージを進む。
夏の陽射しにも関わらず、ガレージは涼しい。
4人も居れば心強く、会話も弾んだ。
中程まで来た時だった。

「ヒィイイィイオオオォァアァア」

そんな感じの絶叫が響き渡った。
女性とも男性とも言えぬ野太い不気味な声。
会話が止み、シンと静まり返った中で4人で顔を見合わせる。
泣き声のようにも聞こえたそれは前方の物置小屋の扉の中から発された気がした。

「きっとおばあちゃんがだいどころにいたんだよ。」
「おばあちゃんだよ。」

そんな会話をしていたら、従姉妹のひとりが勝手口から中を覗き込んだ。そして。

「ねえ。だいどころ、だれもいないよ。」

4人で顔を見合わせた次の瞬間、我々はそれぞれ悲鳴を上げながら我先にと後方に向かって脱兎の如く逃げ出した。
そして正面玄関から家に入り、居間にいたそれぞれの両親たちに訴える。

「あのね。こえが!」
「こわいこえがきこえたの!」
「ものおきから!」

わあわあと訴える子ども達に大人たちは恐らく困惑したに違いない。

「おばあちゃんさっきだいどころにいた?」
「いたよね? あのこえ、おばあちゃんだよね?」

一縷の望みに賭けて聞いても、

「いや。ずっと居間に居たよ。」

と言われてしまう始末。
子ども4人は大パニックである。

「おばけのこえだ。」
「おばけのこえをきいちゃった。」
「ものおきからきこえたよ。」
「こわいよう!」

泣き叫ぶ4人を慰めようとしたのか、父と叔父が「よし、一緒に見に行こう!」と言い出した。
震える我々4人に付き添い、父と叔父が先頭に立ち再び現場に向かう。
父は物置の古い扉に手を掛け、ガラガラと開いて見せた。

「ホラ、何も怖いものはないだろう?」

それで済ませば良いものを、悪戯イタズラ好きだった叔父が更に言った。

「中に入っても大丈夫だよ。おいでー。」

父と叔父でそれぞれ2人ずつ子どもを引っ掴み、あろうことか物置小屋に引き摺り込んだのだ。
しかも引き摺り込んだのみじゃ飽き足らず、入口の扉まで閉めた。途端に視界が闇で染まり、何も見えなくなる。

「「「「いやぁあぁああぁあぁ!!!」」」」

子ども側はパニック再びである。
「こわいよう!」「だしてよう!」とわぁわぁ言いながら、それぞれ目の前の父親にしがみつく。
暫くした後、

「ホラ、何も居ないし、中に入っても何も無かっただろう?」

叔父の言葉を合図に、父が笑いながら扉を開ける。
やっと外に出られたとき、我々子ども4人は静かになっていた。
叫び疲れたのかはたまた放心したのかは覚えていないが、恐らく後者であると思う。

そうして、その事件は幕を閉じた。
その後、その事件について触れる者は誰も居なかった。



そして、今思い出しながら書いていてふと気付く。

「中に何も怖いものはない」ことは身を以って体験したが、「あの声が何だったのか」については全く示されていないことに。

果たしてあの声の正体は何だったのだろうか。
真相は闇の中である。

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