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私が授業でフロイトを扱わない理由-内田樹「寝ながら学べる構造主義」

敷居を下げる天才

私が内田樹を知ったのは、ツイッターだった。こう書くと、なんだかとても不勉強なようで恥ずかしいのだが、事実なので仕方がない。私は内田樹を、思想家としてではなく、「アルファツイッタラー」として知った。

内田樹はよく炎上している。それは彼が頻繁に、鋭い政権批判をツイートするからだ。私が最もツイッターをよく見ていた2010年代前半、私はまだ今ほど政治に関心がなく、政治関連のツイートもほとんど気にかけていなかった。しかしたまにフォロワーのリツイートでタイムラインに流れてくる内田樹のツイートは、そんな私でも容易に安倍政権(当時)のなにがマズイのかを「理解できた」と感じることができるほど、分かりやすかった。内田樹は、政治について考えることの敷居を、大幅に下げてくれた。

内田樹は、敷居を下げる天才だ。この評価に異論をとなえる人はいないだろう。このことは、彼の著書のタイトルをざっと見るだけでも分かる。「先生はえらい」「態度が悪くてすみません」「うほほいシネクラブ」。どれも、とても現代を代表する思想家がつけそうなタイトルではない。

「寝ながら学べる構造主義」は、そんな独特なタイトルが並ぶ内田樹の著書のなかでも、抜群のネーミングセンスだと言ってもいいだろう。私たちはとにかく、なんでも寝ながらやることに飢えている。寝ながら腹筋を鍛えたいし、寝ながらごはんを食べたいし、寝ながらお金を稼ぎたい。そんな私たちの怠惰な知性に、ここまで迫ってくるタイトルがかつてあっただろうか。「寝ながら学べる構造主義」。最高だ。

この本は、当時まだ彼女だった、いまの奥さんが貸してくれた。たしか、「若者よ、マルクスを読もう」を読んだ直後のことだったと思う。彼女は「私には寝ながらは学べなかったわ」と言っていた。私は、「絶対に寝ながら学んでやる」「死んでも起きあがるものか」と誓ってこの本を読んだ。

その結果、構造主義のことがわかった、といえるところまでは到底いけなかった。彼女と同じく、私も構造主義は寝ながらは学べなかった。

歴史を学ぶ重要性

だけどこの本を読んだことによって得た収穫は大きかった。この本から私が学んだのは、個々の理論を学ぶことよりも、それらの理論がどのようにして興り、どのような潮流のなかで評価され、そしてどのように批判されてきたのかという「その理論がたどった歴史」を学ぶことのほうが、場合によってははるかに重要だ、ということだ。

例えばフロイトだ。心理学の授業をやっていると、とにかくフロイトについての質問をたくさん受ける。「フロイトについて扱ってください」「フロイトの精神分析が学びたくてこの授業を取りました」「なんでフロイトやらないんですか」等々。

それに対して、最近の私はこう答えるようにしている。「フロイトは、男女平等の敵です」。

どういうことか。フロイトの理論を思いっきり要約すると、こうなる。「その人がどのような人間になるのかは、生まれ落ちた瞬間の男性器の有無で決まる」。フロイトにとって、男女の性差は男性器の有無によって決定される「解剖学的宿命」で、どうしたって乗り越えられない、乗り越えてはいけないものだった。

現代的な常識のある人なら、この考え方がいかにマズイか分かると思う。フロイトにとっては、LGBTの人権を尊重しようなどという現代の潮流は、人間の本質に逆らうものだということになるだろう。当時の心理学者のなかにも、フロイトの主張から匂う性差別的な思想を敏感に察知し、それを疑った人たちはいた(詳しくは、2021年4月発刊予定「『脱・心理学』入門」を読んでほしい)。現代では、性差を先天的なものと捉えるフロイト的な理解は、まったく中心的ではない。

以上のような、フロイトの思想がその後、なぜ、どのように批判されたのかを知れば、「フロイトを学びたい」と願う情熱はどの程度残るだろうか。フロイトの論文をすべて読破した人と、その後のフロイトに対する評価や心理学がたどった性差についての研究の歴史を学んだ人とで、どちらがより人間についての理解が深いといえるだろうか。

この本は、「構造主義」の発展に貢献した何人かの研究者の思想を紹介しながら、構造主義という思想の歴史を追うという構成になっている。マルクスにソシュール、フーコー、レヴィ=ストロース、ラカン(ちなみにフロイトも登場する)などの思想が紹介するが、私はもうその詳細は覚えていない。しかしそのことは私にとっては大した問題ではない。詳細を思い出したければ、もう一度読めばいいのだから。大事なのは、間違いなくこの本から私が、重要なことを学んだということだ。

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