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皆さん、こんにちは。カタリストエージェントの勝田です。
前回の投稿では人生100年時代において、50歳を迎えるにあたり、自身のキャリアを私の履歴書風に振り返ってみました。ダイエーとアデコ時代を中心にした私の20代のキャリアについて述べています。詳細は下記をご覧下さい。

今回はシリーズ2回目として30代のキャリアを振り返りたいと思います。

リクルート時代

私の30代のキャリアはほぼリクルートに在籍していた期間と重なります。31歳の時の2004年(平成16年)12月にリクルートの人材紹介部門である株式会社リクルートエイブリック(現:株式会社リクルート)に入社し、40歳になる2013年(平成25年)までリクルートで働いておりました。

前職のアデコの人材派遣の領域からより深く、多様な観点から企業の採用に関わりたいと考え、正社員紹介の領域で仕事をしていきたいと思ったのが入社動機です。人材派遣は派遣法という法律の中でどうしても支援可能な職種が限定される部分があったので、正社員の領域であればよりインパクトがあり影響力のある仕事ができるのではないかと考えたのです。

不動産業界RA時代

リクルートで最初に配属されたのは不動産業界を担当するRA(リクルーティングアドバイザー)組織でした。当時、不動産業界に関しては全く知識も経験もなく、またどちらかというとマイナスなイメージを持っていたので正直、この配属を聞いた時はかなりショックでした。

案の定、最初の数ヶ月は業界の専門用語も分からず、企業理解も全くできなかったのでほとんど成果をあげる事ができず、毎日、ギリギリの精神状態で仕事をしていました。

また、前職のアデコとは全く違う社風であり、リクルートの「自分はどうしたいのか?」という主体性を重視する風土に慣れるのにも時間がかかりました。アデコで支社長までしていた自分がリクルートでは全く通じず、成果を出せない状況に最初は相当悩みました。

そんな中、自分がとった行動は「プライドを捨てること」と「人の3倍努力する」という事でした。例えば、分からない事があれば年下の同僚や時には同じ部署の新入社員にも質問をして教えてもらうこともありました。また、不動産業界の勉強のためにいわゆる業界本を10冊以上読みまくり、最低限の知識を持つようにしたり、ほぼ自主的に毎週土曜日は出勤して平日で終わらない業務を片付けたりしました。(今のリクルートにはこのような休日出勤はないです)
要は、「圧倒的な量」の担保をすることで初めてリクルートの社員としてやっていけるのではないかと考えた訳です。

その結果、少しずつ成果が現れてきて配属5ヶ月目からは毎月売上目標を達成するようになり、2年目には四半期の業績トップである「QMVP賞」も受賞するまでになりました。

企画開発部時代

2006年(平成18年)にRAから企画開発部企画開発グループへ異動となりました。企画開発部はリクルートの中で超大手企業を担当する部門で日本を代表する企業に対して人材紹介のみならず、リクナビネクストなどのリクルートの求人媒体も組み合わせたソリューションを提供していく組織です。

私はその中で「プロジェクト担当」といういわゆるPMの役割を担い、人材紹介部門の営業(RA)やキャリアアドバイザー(CA)、求人メディア部門の営業や制作などをマネジメントしながら大手顧客に最適なセミナーや選考会をプロデュースすることがミッションでした。

ここで日本を代表する企業に対して組織課題や事業戦略を踏まえたうえで、採用ソリューションをあらゆる角度から企画・開発した経験は、その後の人材紹介コンサルタントとしてのキャリアを築く上でものすごく活きています。

また、いわゆるプロジェクトマネージャーとして多くの利害関係の異なるメンバーをまとめていくことはその後のマネジメントを担う上でとてもいい経験となりました

ちなみにこの仕事は自分にも向いていたようで、5ヶ月連続でマーケット内月間MVPを受賞し、「マーケットMVP」として全社表彰を受けたこともありました。その結果を経て、2008年(平成20年)4月には企画開発部のマネージャーへ昇進することになります。

市場開発部時代

2009年(平成21年)4月に市場開発部にRAマネージャーとして異動となりました。市場開発部は新規開拓を専門に行う部署でメンバーの半分が新卒というリクルートらしい組織です。

ここではターゲット顧客を明確化し、メンバーの日々の業務タスクを設計し、営業として主要なプロセス(KPI)の管理を徹底することで成果を出していきました。また、若く経験も浅いメンバーが多い中でメンバーが主体的に動く組織作りを行い、マネージャーとして大きく成長した時期でした。

ここでも毎月売上目標を達成し、業績・達成率トップグループとして全社表彰を受けることもありました。

マネージャーとして、「組織で業績を達成していくこと」や「メンバーの成長」を感じる事ができ、マネジメントの仕事のやりがいや醍醐味を実感した時期でもありました。

その後、ファイナンスコンシューマーマーケットやさいたまエリアなどを担当後、両面型のコンサルタントをやりたいと思い、自ら「ハイグロ」と言われる部門に自己申告制度を使って異動をすることになりました。

ハイキャリア・グローバルサービス統括部時代

2011年(平成23年)10月にハイキャリア・グローバルサービス統括部(いわゆるハイグロ)に自ら手を挙げて異動しました。このハイグロという組織は、リクルートの中で外資系や日系企業の中でもハイキャリア領域(当時は年収600万円以上)を担当する部門で分業型のRAやCAと違って、「両面型」でクライアントと登録者を一気通貫で担当する組織でした。

私は外資系のマーケティングやSCM、IT領域を担当するコンサルタントとして活動しました。この組織は大変優秀で高い専門性を持っているコンサルタントが多く活躍していたということもあり、私も日々刺激を受けながら仕事に取り組んでいました。今でも切磋琢磨するメンバーが多く、毎年定期的に集まって情報交換をする機会を作っています。

以上、長くなりましたが私の30代のキャリアの振り返りとなります。
この時期にリクルートという人材業界のトップ企業で数多くの優秀な人たちと仕事が出来たことは私の財産となっています。猛烈に働いたリクルート時代は同僚や仲間にも大変恵まれ、とても密度の濃い時間を過ごした時期でした。リクルートにいなければできなかった仕事にも数多く携わったことで人材紹介という仕事の奥の深さを知り、とてもいい経験を積めたと思っています。

次回は40代のキャリアとしてジェイエイシーリクルートメント時代について振り返っていきたいと思います。お楽しみに。

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