“Carol” Patricia Highsmith
映画化で有名な本書は、クリスマスシーズンのニューヨークで始まる恋の物語だ。
私も先に映画を観ていたため、2人の魅力的な主演女優の印象が焼き付いており、小説を読むに際しても映画の面影が常に重なって来た。
だが、できるだけ映画のイメージを引き離すように努力しながら読むと、この小説にはドラマチックな恋物語以上に、多くのものが詰まっていた。
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19歳のテレーズは舞台美術見習い。
とは言ってもまだ本式に仕事を受けたことはなく、今はデパートのおもちゃ売り場で、クリスマスシーズンの臨時雇いの売り子をしている。
リチャードという青年と付き合ってはいるのだが、リチャードの熱意に対してテレーズの気持ちはどうも盛り上がらない。
舞台美術の仕事も道が見えず、彼氏との関係もいまいちで、クリスマスも迫るのに鬱々としていたある日、テレーズに衝撃的な出会いが訪れる。
それは、娘へのクリスマスプレゼントを買いに来た一人の女性だった。輝くブロンドの髪、凛とした佇まい、全てを見通すような灰色の瞳に、テレーズは抗いがたく惹きつけられる。。。
恋愛経験も無きに等しい若いテレーズと、結婚生活が破綻し離婚調停中のキャロルがデパートで出会い、お互いに惹かれ合って恋に落ちるというストーリーの本作は、2人の想いが電話や手紙、プレゼントといった小道具を使って細やかに描かれる。
また、キャロルの優雅な邸宅やニューヨークのカフェ、旅先のホテルなどを舞台にした数々のシーンも印象深い。
特に西部へのドライブ旅行は2人の愛の成就の舞台でもあり、キャロルの夫が雇った探偵の追跡も加わる、物語の山場だ。
だがそんなラブストーリーのドラマ性とは少し毛色の異なる、妙に存在感のある一コマが物語の始めにおかれている。
それはまだテレーズがキャロルと出会う前、テレーズがデパートで働く先輩従業員に夕食に誘われて彼女の家に立ち寄るエピソードだ。
くたびれた独り身の中年女性が寂しく暮らす家は貧しく暗い。テレーズを招いたその女性は、昔自分が売っていたという古いドレスを出してきてテレーズに無理に着せたりしたあげく、疲れのあまりしどけなく寝てしまう。
生活にやつれた中年女性の哀しい姿を目にしてテレーズは恐れをなし、逃げるように彼女の家を後にするのだ。
その女性が登場するのは物語冒頭のその箇所だけなのだが、彼女のイメージはその後何度もテレーズの回想として浮かんでくる。キャロルの優雅な生活に触れるたび、その対極にあるものとしてその女性の姿が思い浮かぶのだ。
人生に確信がないテレーズの、漠然とした将来への不安、美しくラグジュアリーなキャロルを目の前にしながらも、否応なく脳裏をよぎるわびしい現実への恐怖心がそこに感じられる。
人生に確信がないように、テレーズはまだ愛というものにも確信が持てていない。
結婚後の恋愛の存続はありうるのか、またはキャロルの輝きが時と共に本当に失われるなどということがあるのか、そもそも自分のキャロルへの想いは恋愛感情なのか。
キャロルと結ばれた後でさえテレーズは逡巡し、愛の信頼の置けなさに不安感をぬぐえない。
そんなテレーズに対してキャロルは大人の、成熟した女性だ。
物語は終始テレーズの目を通して語られるため、キャロルの佇まいは発光するように美しくエレガントだ。
だが、その言葉や表情からは、キャロルもまた孤独と苦悩を抱えていることが伺える。
‘リビングルームのラグを選ぶように’自分を選んだと感じられる夫には初めから自分への愛などなく、義家族からも嫌われているのを知っている。
間違ってしまった人生から抜け出せず、自由への憧れを抱いているキャロルこそ、若いテレーズに救いを求めていたのかもしれない。
テレーズにおどけてかける言葉は、キャロル自身への問いかけのように切なく響く。
何も知らない若芽と、ひととおりの経験を経た開花後の花。
そんな2人はしかし、関係が深まるにつれそれぞれに変化していく。
旅行先でキャロルがテレーズに運転を教え、それまでキャロルのリードに身を任せるだけだったテレーズが自分で車を運転するようになるのは、象徴的だ。
そして冷静さと優位性を保っていたキャロルは、追手の探偵と対峙した直後に、とうとうテレーズの前で弱さを露わにする。
追い詰められたことで吹っ切れたキャロルは、自分の自由とプライドを貫く決心をする。
そしてテレーズもまた、主体性のない子供から自我を持った大人へと脱皮する。
鬱屈していたテレーズの心境が大きく変化した瞬間をとらえたシーンに、例のデパートの女性が登場する。
旅先から彼女にハガキを書いて投函する場面だ。
暗い将来の予感という呪縛が突如として解け、テレーズに若い自信がみなぎる、鮮やかな瞬間だった。
数週間の旅の間に起きた出来事を経て変化した2人が、その後どんな選択をするのか。
ぜひハイスミスの研ぎ澄まされた文章で(もちろん翻訳でも!)読んでほしい。
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映画とはまた違った味わいのある、読み応えのある小説だった。
こちらを先に読んでいたら、映画に物足りなさを感じていたかもしれない。
映画の美しさと小説の深みをどちらも満喫するのに、映画を先に観たのは正解だった。