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涙を見せてもいいんじゃない。

ワールドカップ観られましたか?

かなり熱い戦いで、勝っても負けてもどちらでもいいくらい感動を貰いました。っていうのは私だけではないでしょう。

息子がサッカーをしているので、あまりサッカーを知らない私でさえも、寝不足覚悟で観戦し、ゴールごとに叫んでしまい家族を起こしてしまってました💦

ここ最近、ご近所さんとの話題ももっぱらワールドカップ。

そんな立ち話の中で、

「いや〜、もう感動しちゃって。涙出てきちゃったとこ娘に見られて、パパ泣いてるの?って聞かれちゃって、泣いてるわけないじゃん!って誤魔化すのに必死でしたよ〜。」

てお知り合いのご主人が言われてるのを聞いて、

ええ!なんで!?

と感じてしまったのが今回のこの記事の始まりです。

個人によるかもしれませんが、日本の文化は『大人は子供に涙を見せない。』っていうのが主流な感じがします。

でも、これって本当に勿体ないな、と思っていて、

感情をストレートに表現するこの「涙」をどうして隠してしまうのか。

もちろん感情に任せて怒ってしまうのはあまり宜しくないとは思いますが、特にこの「泣く」という表現。

悔し涙
悲し涙
嬉し涙
感動涙
笑い涙

と、いろいろありますが、

感情がストレートに魂に呼応する自然現象といいましょうか。

この涙は見せていい!いや、もはや、隠さないで欲しい!体現して欲しい!と私は常に思っています。

なので我が家では、感涙は率先して主人か私が流します。

感動する映画を見て毎回我慢することなく泣いてしまうので、子供もおやおやまたかとなりますが、この涙を我慢することはない、という教えは感情表現の豊かさに繋がると思っています。

だって、

誰かが自分の離任の時に涙を流してくれたら嬉しいし、
誰かが自分の成功を涙して喜んでくれたら嬉しいでしょう。

そして、

誰かが自分の悲しさを知って一緒に泣いてくれたらホッとするし、
誰かが自分と同じ悔し涙を流していたら一人じゃないんだ、って思えるはずです。

そう、自分が表現することで救われる誰かもいる。
だからなぜにそれを隠す必要があるんでしょう。

涙を見せるのは弱さを見せることだと昭和時代まではあったかと思います(確かに私の時代はありました)

でも今はIQよりもEQが求められる時代です。

そのEQを養うためにも思った感情を自由に表現できる環境を作り、ストップするのではなく『これでいいんだよ、自然なんだよ』と親がまず表現できたらいいのにな、と思った出来事でした。

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