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ちょっぴり変な母娘

はじめに

コロナウィルスによって、世界中がパニックになる少し前。

どの家庭にでも起こる可能性のある、しかし、親にとっては何ともツラく、目を背けたくなる出来事が起きた。

我が子の”自傷行為”

自傷行為とは
『自分で自分の身体を傷つける』
行為のこと。

初めて自傷行為に気づいた時のことを思い出すだけで、パソコンを打つ手が震え出す。

しかし、私の経験、向き合ってきたコトを書き残さなきゃいけない。

誰に対する使命感なのか。
何に対する問題提起なのか。

今はまだよくわからないけど、とにかく心のままに書き記す。

我が子の自傷

娘が中学3年夏の終わり頃。

1年の内で学生の自殺者が最も増えると言われている、夏休み明け。

娘はやたらと絆創膏を探し、
「なくなったから買ってきて」
と、訴える。

それから度々、洗濯物の中に紛れ込んでいる包帯。

当時娘はバスケ部で、よく膝を痛めて固定するのに包帯を使っていたが、クラブを引退した夏休み明け。
包帯は必要ないはず。。。

その他にも、まだ暑いのに長袖を着たり。。。

小さな違和感が積み重なり、何となく察知した私は
「何でそんなに絆創膏使うの?」
できるだけ自然なトーンで聞いてみた。

すると、気まずそうな顔をしてフリーズ。
(わかりやすい苦笑)

「どこか、傷付けてる?」
と聞くと、黙って頷く。

「嫌やったら無理にとは言わんけど。。。
傷、見せてもらっても良い?」

下を向いたまま、左の袖口を捲る娘。

手首~肘の間、ちょうど真ん中あたりに、真っ赤な傷がひと筋見える。
想像してたよりは、深くないみたい。

「ありがと。」

娘の袖口を戻しながら
「何でそんなコトするのかわからんけど、”傷付ける行為”は麻痺してくるし、深くなったりして危険やで。」
とだけ伝える。

娘はバツが悪そうに、
「うん、わかってる。。。
また詳しく言えるようになったら、ちゃんと話す。
けど、今はそっとしておいて欲しい。」
と答えた。

この頃の娘は
「お腹痛い」
「頭痛い」
と言い、朝起きれない日が増えてきていた。

実際に休むのは週に1~2回程度だが、お昼前後の時間帯に1人で登校するという状態も続いている。

最初はなぜなのかわからなかったが、原因は後になって
「いじめられていた」
と、教えてもらった。

まさかいじめがあるなんて思ってもみなかった私。

その後も
『またやってるな』
と思う素振りは何度かあったけど、その度に
『気付いてるよ!バレてるよ!!』
というメッセージだけは送るようにして、見守っていた。

この頃の私はまだ心の整理が付かず、向き合うにもどう向き合ったら良いのかよくわからなかった。

エスカレートする自傷行為

傷をきちんと見せてもらったのは発覚時のみ。

それからも度々自傷を繰り返している素振りはあったものの、
「今はそっとしておいて欲しい。」
という娘の言葉。

その気持ちを尊重したい想いも強く、大きなアクションは起こさずにいた。

時々
「最近酷くなってない?」
「大丈夫?」
という声掛けはして、娘からは
「うん、わかってる…」
「大丈夫」
という返答のみが続く。

この頃、娘からは
『苦しい』
というメッセージは発信されていたけど、
『助けて!』とか
『死にたい!』
というメッセージは不思議と感じなかった。

具体的にどの辺がという説明は難しいが、とにかく”苦しくてもがいている娘”と、”手の差し伸べ方がわからない私”という2人の関係が続いていた。

初めてのメッセージ

その後中学は無事卒業し、目指していた高校にも合格!

『新しい環境で何かが変われば良いなぁ~』
そんな淡い期待を抱いて高校に入学。

同時期に、世間ではコロナウィルスによる緊急事態宣言が発令。
しばらく自宅でのんびり過ごす日が続いた後、6月からようやく高校生活が始まった。

順調に友達もでき、憧れていた軽音楽部にも入部。
家でも学校での出来事をよく話したり、楽しく過ごしている様子が伝わってくる。

「もう何も起こらなければいいな。」
「平穏な毎日が続きますように。」
そう思いながら過ごしていた。

ところが、2学期が始まったある日。
首筋に傷痕を発見する。

「あんた、まさか。。。?!」
ジェスチャーで首筋の傷を表現すると、黙って頷く。

「何でそんな所に??」
「・・・ま、まぁ・・・あんまり聞かんといて」
と苦笑い。

その時はそれ以上聞かなかった。
いや、聞けなかった。

でも。。。

生理中でもないのに、お風呂場の排水溝の毛に絡まっている血液。
洗面所のゴミ箱に捨てられた、血の付いたティッシュ。

そして、日に日に増えていく首筋の傷痕。。。

娘から初めて発せられた”死”のメッセージ。
自分の喉元にナイフを突き付けて、
「これ以上傷付けたら、私死ぬよ?」
と言われているような。

何とも居心地の悪い毎日が続いた。

気持ちを伝える

耐えきれなくなった私は、
「話したくなかったら話さんで良いから、
ママの話だけ聞いてくれる?」

2人きりの時間を見付けて、そう切り出す。

「ママは自傷行為自体を『やめなさい』というつもりはない。
それは、あんたが”必要だからやってる”と思ってるから。
やり場のない感情とか、言葉に出来ない想いとか、そーゆーのを吐き出したくてやってるんやと思う。
それを否定するつもりは、全然ない。
死にたくてやってるんじゃなくて、むしろ○○(娘)が”生きる為”にやってるんやと思ってる。」

ずっとうつむき加減で、でも時折頷きながら、静かに聞いてくれている。

「だけど…最近どんどん酷くなってるやん?
首筋なんて隠されへん場所やし、数も増えてる。
ママが初めて見せてもらったような傷ぐらいでは、もう満足できんくなってる…?」

・・・黙って頷く娘。

「それはあまりにも危険。
そこまで傷付けるつもりじゃなかったのに、思いのほか深くいってしまったり、傷口からばい菌が入って化膿するとか、思いもよらない事態になってしまう可能性だってある。
そうなってくると生きる為にやってるコトやのに、それで死んでしまうかもしれんやん?
それだけは、避けて欲しい!
何してても良いから、生きてて欲しい!!

ここまで言って、思わず号泣してしまう私。

少し時間を置いて気持ちを落ち着かせてから、もう一度ゆっくりと伝える。

「ママは親の立場として、あんたの自傷を見るのはツラい。
でも○○(娘)が必要でやってるなら、それに関しては止めない。
だけど、やっぱり首は…危険が多すぎるからやめよ?
それと、思ったより深い傷になったり、血が止まらんくなった時は、すぐに…躊躇せずに相談して欲しい。
色んなコトに絶望して、死にたくなって自傷する時もあると思う。
でも、生きて欲しい。」


この時、娘には
「首への自傷はやめて欲しい」
これだけは、必ず伝えようと決めていた。

『首への自傷をやめてもらう』
は、私にとって絶対に譲れない部分で、
『生きていてほしい』
というメッセージを、どうしても娘に伝えたかったのだ。

逆にそれ以外については、徹底的に娘に寄り添ってやろうと思っていた。

結果、私は初めて娘の行動に対して制限を加え、そして初めて、自分の正直な気持ちを伝えた。

娘は終始うつむき加減で、所々相槌を打ちながら、ずっと静かに聞いてくれていた。

最後は少しだけ晴れやかな顔で、
「うん、ママの気持ちはわかったよ。」
と言ってくれた。


それ以来、首への自傷はしなくなった。
(さすがに首の傷は学校でも隠しきれず、周りから好奇の目を向けられたコトも影響しているようだ。)

でもかえって手首への自傷は酷くなっていき、左手首~肘の間は
『もう傷付ける所なんてないんじゃないか』
というぐらい、ぐるりと一周、所狭しと傷だらけ。

ただあの日以来、娘は肩の荷が降りたように、少しずつ自傷行為についての話をしてくれるようになった。

「傷付けてる間はあんまり記憶ないし、痛くないねん。」

「その日の夜とか次の日になったら、ヒリヒリズキズキしてくる。」

「傷が治って薄くなってきたら、また不安になるねん…」

”自傷行為”と”自殺願望”

一口に”自傷行為”と言っても、その行動に至るまでの経緯や行為に対する想いはそれぞれ異なる。

娘の自傷に気付いてから、私なりに色々と調べたり考えた結果、私の中での解釈は大きく以下のカテゴリーに分かれた。

◎自傷行為
【心の中の葛藤を傷で表したい場合】
傷を見たり血を見て、心の傷が”可視化”されるコトで安心する。
基本的に人に見られるような所にはしない。

【心の中の葛藤に気付いてほしい場合】
周りに気付いて欲しくて自分を傷つける。
見付けやすい所にしたり、自傷に気付いてもらえるような行動を取る。

◎自殺願望
目的が『死にたい』なので、後先考えずに深く傷つける。
”死”を身近に感じるコトで、生きている実感を持てる。

私が娘に話したように、
『自傷行為は、娘が生きる為にやっている』
これは、間違いなかったようだ。

ただ、高校1年の年末に近づく頃から
「自殺願望が襲ってくるコトもある」
と教えてくれた。

その頃の娘は急に活動的になって、色んな予定を入れ活発に動く。
かと思えば、しばらく落ち込んで、眠れなくなったり口数も減る…
を繰り返していた。

後に”双極性障害”と診断されるのだが、その症状が酷くなり出したのが、ちょうどこの時期だった。

特に2人の間でその言葉が持つ意味を議論した訳ではないが、娘も私も”自傷行為””自殺願望”は、全く別の言葉として扱っている。

そして、それぞれの言葉が持つ意味合いは、2人の間で何となく一致しているようにも感じている。

それは娘の
「昨日またやっちゃった」
と言う時の傷口と、
「この前、自殺願望があって。。。」
と見せて来る深めの傷。

「飛び降りたいと思った」
というようなエピソードを聞いても伝わってくる。

”自殺願望”は娘にとって、
『衝動的で一過性の感情』
のようで、それが襲ってきた時にどう対処するかはこれからまた考えなくてはならない。

今はひとまず
「その感情が襲ってきた時、チラッとでもママの顔が浮かんでくれたら嬉しい。」
とだけ伝えておいた。

ちょっぴり変な母娘おやこ関係

我が子の自傷行為も、我が子から自殺願望があるなんて話も、聞きたい親がいるはずがない。

『通らなくて良い道なら、通りたくなかった』
正直そんな想いがない訳ではない。

でもそれが娘にとって必要な道なら、私はむしろ堂々と通ってやろうと思う。

その1つが、今こうして自分の経験を綴るコトにも繋がっている。

娘は不登校になった頃から、自分に対して
『薄暗くてジメっとした、陽の当たらない場所を通らなければいけない』
と思っているように見える。

イキイキと青春を楽しんでいる同級生は、眩しくて見れない。
落ちこぼれの自分は、そんな人達と同じ場所へ行ってはいけないのだ、と。

そんな自分の不甲斐なさに嫌気がさして、自傷行為へと繋がる。

コソコソと日陰の方へ行く娘を、明るく陽の当たる場所へと連れて行き
「恥ずかしげや後ろめたさなんて、なくて良い!
あなたも堂々と、胸を張って進んで良いんだよ!!」

と、伝え続けたい。

「え?私もそっち側を歩いて良いの?!」
と思ってもらえたら、しめたもの。

陽の当たる場所を、娘が私の後を追うように…ではなく、自分自身で選んで歩き出した時、私の母親としての役目はひと段落。

今はそんな風に考えている。


「かゆい~」
と、自傷の痕を搔きながら見せて来て、
「お?かゆいってコトは、治りかけやん!
最近やってないの?」

「このまま治ったら良いけど、また不安になるんやもんな…?」
と、傷口を撫でる。

「久しぶりにやっちゃった。
深く行きすぎて血が…」
と言う娘に、
「うわっ!やりすぎやん。
痛そう~!!」
と、言いながら傷の処置をする。

そして、
「自傷をこんなにオープンにする親子って、何か変やな?」
と、笑い合う。

私がお風呂に入る時、
「ママが湯船に浸かるタイミングで呼んで~」
と言い、私が温まってる横で、娘は身体を洗いながら色んな話をする。

・自傷や自殺願望のコト
・これまでの不登校のコト
・娘のこれからのコト
・私がこれからしたいコト
・娘と息子が小さかった頃の苦労話
・お互いの友達の話
・パパのキレるポイントが不明なコト(笑)
 etc.

深い話から笑える話まで、この数か月で本当にたくさん話をするようになった。


ちょっぴり変だけど、これが私たち母娘おやこ

「もう頑張るのはやめよう」
と、娘はオンラインスクールへの転校を決めた。

私は仕事を退職し、キャリアコンサルタントの資格取得を目指して勉強中。

今後はキャリアコンサルタントとして、不登校に悩む子供達や、その子を支える親御さん達の支援をしたいと思っている。

これから先、どうなるのかなんて全くわからない。

でもそれは、娘の自傷行為に気づいてしまった時も同じだったはず。
違うのは、今はこれから先の未来に対して過度の不安は感じていないというコト。

自傷行為や自殺願望については現在進行形で続いているし、オンラインスクールの課題等、きちんとこなしていけるかもわからない。

もちろん私にも感情の波はあって、ふさぎ込みたくなる時もあれば、娘の話をゆっくり聞いてあげられない時もある。

まだまだ問題は山積みのように見えるけど、少なくとも私は今、”得体の知れない不安”にはとらわれていない。

娘が不登校になり、自傷行為をするようになるなんて想像もしていなかったように、これから先の未来に何が起こるかなんてわかるはずがない。

もし何かあったら…は、何かあった時に考えよう。

ただ、今ここで、笑ったり泣いたりしながら過ごしている奇跡に感謝して、1日1日を大切に生きていく。。。


※この記事は2020年9月から投稿している【不登校について】というマガジンから、前半部分を創作大賞ノミネート用にまとめて書き直したものです。
さらに詳しく読まれたい方は、以下のマガジンを読み進めて下さい☆


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