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疑問だらけの言葉

私が子育て真っ最中の時に感じてた心の叫びシリーズの第3弾。
今日は、当時私が疑問しかなかった言葉を紹介します。

先日の投稿をお読みでない方は、下の引用文からお読み下さい。
(すでにお読み頂いた方は、飛ばしてもらって大丈夫です❣)

私は24歳で娘を、26歳で息子を産みました。
子育てで一番大変だったのは、娘が3歳・息子が1歳の時。
当時仕事はしておらず、いわゆる専業主婦として子育てをしていました。
『弟のお世話がしたい』『私はお姉ちゃんだから1人で出来るもん!』という一方、弟へのヤキモチや赤ちゃん返り、ママを何とかこっちに向かせようと必死な娘。
また3歳というと自分→ママ→家族の世界から、また1つ大きい新しい世界を認識しだす頃。
息子はおっぱい大好き、昼寝も夜も寝かしつけは常に授乳が必要。
ハイハイ→つかまり立ち→ヨチヨチ歩きと、まだまだ目が離せない。
オムツ交換に離乳食で、たくさん手がかかる。
この頃の私は、毎日こんな気持ちでいっぱいでした。
『息子はまだまだ危なっかしくて目が離せない』
『娘も構ってやりたいけど時間がない』
『自分の時間がなく心の余裕もない』
『私の価値観や常識がそのまま娘に伝わってるけど、それって大丈夫?』
『私って毎日何してるんだろ?社会から必要とされてる??』etc.
そんな時に周りから言われた言葉、それに対して私が感じたコトを綴っていきます。

①上手いコト産んだね

これは、女の子→男の子と産んだコトに対してよく言われていました。
が、
『女の子→男の子だと上の子がよく見てくれるでしょう?』
『女の子である程度経験してから男の子だと、落ち着いて対応できるよね』
なんて言われても、私の頭の中は『?』だらけ。
実際娘はママを取られた嫉妬心から、私のいないところで息子を噛んだりつねったりしていましたし、1人の子育てと2人の子育ては全く別物なので、娘の経験から落ち着いて対応できるなんてコトはありませんでした。
(息子が泣いていてもゆとりを持って対応出来る等、多少の慣れみたいなのはありましたが)
むしろこう言われれば言われる程、こんなに恵まれた産み分けが出来ているのに、余裕のない私はダメなヤツなんじゃないかと思っていました。

②2歳差って、ちょうど良い

上に書いた通り娘は娘で、息子は息子でそれぞれ手がかかり、毎日が大変すぎる中、何がちょうど良いのかさっぱり。
実際2人が中学生くらいになると、その”ちょうど良い”の意味が少しずつ分かるようになりました。
入学式や卒業式がかぶらない、一緒に成長してくれるのでトータルで考えると手のかかる時期が短いetc.
ですが、当時は本当にさっぱり。
正直もっと歳を開けて産んだ方が上の子がしっかりして楽だったんじゃないかと思っていましたし、こんなに大変で頭も心もぐちゃぐちゃなのに何がちょうど良いんだよ!!と叫びたかった。
そして、ちょうど良い年の差で産んでいるのに、こんなに余裕のない私はやっぱり母親失格だと自分を責めます

③一気に終わるから、後が楽だよ

②の後に続いて出てきた言葉がこれ。
『一気に終わる』
この”一気”が今なのか、それならこの状態はいつまで続くのか。
日々暮らしていくのが、1日1日が大変なのに、それを積み上げていった何年か先のコトを言われても、正直しんどいだけです。
【言われなくたって分かってる!!】の記事に書いた”今のうち”と同じで、これは乗り越えた後に言える言葉です。
毎日真っ暗闇の中にいて光もゴールも見えない中、
『後が楽』
『今のうち』
なんて言われても、
『そうか!じゃあ今は頑張ろう』
とはなりません。
いつまで続くか分からない”今”に疲弊していて、”今”を乗り越えられなかったらどうしようと、毎日ギリギリの綱渡り。
『みんな乗り越えて来たんだから大丈夫だよ』
そんな言葉ですら、自分はその”みんな”に該当するのか不安になるだけです。

これは子育てに限らず、”今”に疲れている人に”未来”の話はしないで下さい‼
コロナで今日明日の生活に困っている方も、同じです。
今日1日過ごせるか必死な人に、未来の話ほど残酷なものはありません。
それよりも今をどう生きるか、今日をどう乗り越えるか。

未来は、今の連続の先にしかないのだから。


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