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【Vol10】600kmヒッチハイクで学んだもの

※2019年12月に実際に経験した話が元になっています。

(当時大学3年生、21歳)

こちらクリックいただきありがとう。

これは私が学生時代に600km(大阪〜福岡)を

ヒッチハイクをした時の話である。


ヒッチハイクは、ただ車に乗せていただくだけではない。
目的を明確にして、どのような手段を選択するのか、常に意思決定が求められる。
だからこそ、深くて面白い。そして常にハプニングが起きる。

ぜひこんな方に読んでいただきたい。
今この瞬間から行動したいと思っている人!!!!!

・旅行や一人旅が好きな人。
・何か挑戦したいと思っている人。
・ヒッチハイクをして旅をしたいと思っている人。

読むことによって、あなたは旅行をしている気分になるだろう。

構成

1、背景(こうしてヒッチハイクは始まった)


2、当日(大阪〜福岡に着くまでのストーリー)
①僕らの青春
②好調なスタート
③次なるミッション
④須磨での滞在
⑤アドレナリンと恐怖
⑥ホッと一息
⑦交渉ここだけは引けない。
⑧いざ初の西日本へ
⑨きたぜ福岡
⑩やればできる。

3、学び(何を学ぶことができたか)
①、戦略を練るということ 。
②、普段出会うことがない人と話をすることができる。
③、なんくるないさマインド。
④、自分の特徴理解。

4、まとめ


早速内容に入ります!

1、背景(こうしてヒッチハイクはじまった)

2019年12月3日。大学の講義を受けていた時に、スマートフォンが鳴った。
親友からlineで連絡があった。一言。

※ここから親友は、Oさんと呼びます。

O:「ヒッチハイクしよ」
私:「予定空いてる」
O:「やっちゃう?」

この3文で人生初のヒッチハイクをすることが確定した。
私は部活をしていたのだが、この日だけ偶然にも予定が空いていた。

即答した理由としては、私が考えるにヒッチハイクは
学生だからこそやるべき一つの行動だと考えていたから。

同じ社会人からしたらどうだろうか?恐らく問題なく出来るけど、
時間の制約などがあるから、気軽に決断が難しくなると思う。

まぁ学生という特権を使って、ヒッチハイクをする準備を進めた。

次にヒッチハイクでどこを目指すか?
Oとどこに行くのか話をした。

私は東日本で育ったので、当時西日本に行ったことがなく憧れがあった。
「シンプルにどんな感じなんだろう、、、行ってみたい好奇心」

話をしていく中で、目指すべき先は2択に絞れらた。

1、四国(四国を一周するという計画)
2、九州(福岡を目指すという計画)

どうせ行くなら遠い方が面白い、そのくらいシンプルな理由で
私たちは、福岡に行くことを決意した。

必要なのは、2点だとOと話をした。
1、絶対福岡まで辿り着くという強いメンタル
2、イレギュラーを楽しむこと

はいはい結局メンタルですよ!笑
何があっても楽しみ続ける、結局これが一番大切だったと思う。

一応準備した物を共有すると(当たり前だけどリュック一つです。)
・リュック
・着替え
・歯ブラシ
・キャンパスノート
・黒マジックペン
・モバイルバッテリー
・防寒系(12月だったので)

くらいか、、、、。
特別なものは何もいらない。
重複するが、メンタルが大切だと!笑

2、当日(大阪〜福岡)

①僕らの青春

2019年12月14日 11:00
いよいよ始まった僕らのヒッチハイク旅
小さい頃から旅をするのが好きだった私は心の底からワクワクしていた。
(冒険心がくすぐられました、、、、、。)

当初の計画で行くと、大阪(吹田)〜福岡(博多駅)までを
大きく見積もって、12時間(半日)あれば着くでしょという見立てていた。
Google mapでは大きく見積もって、8時間で着くという計算だった。

当初の計画はあまくスタートから挫けた。

「全く上手くいかない、、、、」そればかりか周囲から白い目で見られる。

今時何をやっているのあの二人

福岡まで行きたいの絶対無理でしょ

何も言わなくて笑っている人

周囲の目が気になるということは、
私は本気になれていなかったんだと自覚した。

「とりあえず少しでも前に進む!」ということを念頭に、行き先は関係なく前に進むことにした。
(※この決断が後で、僕たちを苦しめる、、、、。)

そんな時に、Oが記念すべき一代目の車を見つけてくれた。
Oは過去にも一度ヒッチハイクをした経験があり、リードしてくれた。とても感謝している。

記念すべき一代目は、「若い青年男性」だった。
吹田から進み、一気に神戸まで進むことができた。

しかし、ここからとても悩まされることになる。

②好調なスタート

一気に神戸(東灘区)まで進むことができた私たちは一喜した。
O「これはいけるな、このペースで進んでいこう」と合意した。

前進したものの、ここから全くという程進むことができなかった。
なぜなら、高速道路を降りたからだ。笑

正確にいうと、高速道路を降りざるえなかった。
高速道路が分岐をしていて、どちらにせよ一度降りる必要があったのだ。

降ろしていただいた場所は、国道横のコンビニ。
この神戸の国道は凄い、スピードで車が走ってるから全く捕まらない。

1回目は歩いている人に対して、「福岡まで行きたいので乗せてください」と直接訴かけることができたが、
今回は車に対してアピールをする必要がある。

同じ交渉でも求められる「スキル」が異なるのだ。

結局、高速降りたところで車を捕まえることは厳しいと判断をして、
自分たちでノートを全力で振りながら歩くことにした。

車の音「ブーン、、、、、、、。」

僕たちの横に一台の車が寄ってきた。
この車は一度通り過ぎたけど、迎えるために戻ってきてくれたのだ。

神様はいるんだと思った瞬間だった。

僕たちは前進していく、、、、。

③次なるミッション

乗せてくれたおかけで、神戸内でも西に進むことができた。
そして、運よく別の車に乗せていただくことができた。

そうこれで三代目だ。しかし、ここからが大変だった。
僕らは前進できればなんでもよかった、、、、。その時までは、

しかし、行きたい方向とは違う方向性に進んでいく、、、、。

流石に僕らも焦った。

感謝を伝えて降ろしていただいた。
そこは、高速道路からとても離れてしまっていた。
福岡まで着くには、高速道路に乗らないと辿り着くことができないとわかっているのにもかかわらず。

Oと話した。
「これやばくね、、、笑」
「俺らどこいんのよ」

ここからは車が捕まらない、、、、、。本当に捕まらない。
僕らは歩いて、国道まで戻り須磨海岸まで進んだ。

④須磨での滞在

本当にきつかった。須磨では予想以上苦戦し、恐らく5〜6時間程滞在することになる。
12月の海沿は綺麗で空気が澄んでいて、一方で寒さもあり体力を奪っていく。
同時に「もう神戸で遊んで帰る?」なんてことも脳裏によぎった。

なぜ須磨でこんなにも苦戦をしたのか
ポイントは3つだと今振り返って思う。

1、位置
高速道路の乗り場が坂になっており、車が一時停止するスペースがないということ。
仮にドライバーがおもしそう「乗せてあげたい」と思っても、僕らのことを載せることができない。

2、時間
夜になるにつれて、キャパスノート「福岡行き」はドライバーから見えなくなる。
また、街頭がなければ、僕らのことを見つけることができない。

3、気持ち
あれだけ強く保っていた気持ちも、5〜6時間一向に前進できないと、
少しだけ萎えてくる。そんなこともありつつ、厳しい状態が続いたのだ。

そんな中で僕らを気持ちを再起する出来事が起きる。僕らの仲が良い友人からのLINEだ、、、、。

激励のメッセージをいただき、僕らは「これ絶対福岡いかなあかん」そう固く決意する。

⑤アドレナリンと恐怖

そうは言っても、本当に簡単ではないのがヒッチハイク。
だからこそ面白い。恐らく神戸に滞在をして5時間くらい経っていた。
21:00を回っていた。

諦めない気持ちを持ちながら、ノートを振り回していた。
僕らの横に一台の軽トラックがきた。

この旅の中で恐らく、一番アドレナリンがでて興奮したのを覚えている。
誰も21:00を過ぎて、助けてくれる人が出てくるとは思わなかった。

楽しさと恐怖が入り混じった感情。

ようやく高速道路に乗ることができた。
俺は助手席。Oは荷台に乗って。

なぜ恐怖だったかというと、急にお経を唱え出したからだ。
まじで怖過ぎた、密室空間。笑

え、え、やられるんちゃうと思いつつ、
荷台にいる友達とlinesをしながら、とりあえず前に進んだ。

この旅の鉄の掟だ。
何があっても楽しむということ。前に進むということ。

一旦SAに寄った。

Oと話した。「大丈夫か?怖いよお経を急に唱え出した。」

僕らは再度車に乗り込み、前進した。

⑥ホッと一息

2019年12月14日23:00

感謝を伝えて、ようやく休憩することにした。

ここからどうするか、Oとカレーを食べながら話合いをした。
方法は2つで夜遅くなると車が捕まえにくくなる。

1、同様に少しずつでも前に進むか。
2、ロングランを狙うか。(少しでも遠いところへ行く人に交渉する)

そんなことを話してたら、Oが交渉をしていた。笑
このスピード感と行動力は本当にリスペクト。

そんな中素敵な親子に出会い、次に次にと進むことができました。
そして、当時のことを乗せてくれた方がblogに乗せてくれていました。

この時間に穏やかでゆっくりとした時間が流れて、心身ともに回復したのを覚えています。
また、ご厚意で僕たちに暖かいドリンクを買ってくれました。

その時に触れた人の優しさは今後も一生忘れることがないと思います。

当時のblog 
(後日blogに掲載いただいいることを知り感謝を伝えることができました。)


こんな出会いも旅したからこそ得ることができた、素敵な経験・財産です、、、。

⑦交渉ここだけは引けない。

2019年12月14日24:00

なんとか姫路まで来ることが出来た。
大阪からスタートした時には、もう福岡いるでしょくらいのテンションであったが、現実は厳しく未だに姫路。

この姫路のS Aは決して大きい訳ではなく、ここからロングランできないと恐らく九州まで辿り着くことが出来ないなと、、、、腹の中で思っていた。

そして、姫路が夜中にも関わらず、騒音がすごかった。ここで一晩を明かすことが出来ないと感じた。

Oが片っ端から交渉をしてくれた。しかし、この姫路ではなかなか上手くいかなかった。そもそも24時だし、誰が人を乗せるの?と思うよね。

そんな時にOが「断られたけど九州方面に進む車」を発見した。
このドライバーさんに全BETしないと、目的達成出来ない。

俺はコンビニで「ホットコーヒー」を買って再度交渉をした。
「お願いいたます!!!!」と途中まででもいいので、乗せてください。

もちろん断れた。

でも、ここは絶対に引いてはいけない場面であると認識していた。
だから、もう一度頼んだ。僕らの目的も明確に伝えて、僕らと一緒にドライブするメリットもお伝えした。

「わかった、、、。いいよ!そこまでいうならいこう」

ドライバーはそういってくれた。

今回のヒッチハイクという旅において、
このシーンは絶対に交渉成立させなければいけない場面であった。

基本スタンスはマイルドでも、このような場面に関しては強くいかなければならない。
そんな学びを得て、車に乗り込んだ。

⑧いざ初の西日本へ

ここから先に見る景色は、全てが初めて
見たことない知らない日本が広がっているという事実が、
よりワクワくさせた。

そして、その方は航空機を見るという趣味があり、よく九州まで車で行くらしい。
だから、道にも詳しく、岡山から下道で、岡山、広島、山口と進んで行った。

初めてみる瀬戸内海には感動した。
山口で見る工場の夜景にも心を打たれた。

「本当に綺麗で、初めて見る景色に感動をした」

何より嬉しかったのは、ドライバ−が僕たちに対して
心を開いてくれたこと。あれだけ嫌がってたのに、すぐに心を打ち解け、たくさん話をした。

この一期一会の出会いは、ヒッチハイクの本当に魅力だと思う。

自分が普段生活をしていると「絶対に出会えない人」に出会うことができる。
そのような機会を自ら作り出すのは意外にも難しい。

⑨きたぜ福岡

2019年12月15日5:00

北九州に上陸した。
そこでドライバーとお別れをした。
感謝しかない。

ここからあと少し、ここまで来ると何がなんでも達成しよう!そんな意気込みが湧いてくる。

次なるミッションは、少しでも前進すること。(高速もおりなあかん、、、、)
僕らは朝から声をかけた。

そして、小倉駅まで送ってくれるという、ドライバーを発見した。
その方は、70歳くらいで、元海運業に勤めていた人だった。

そんな中で、当時就職活動前だったので、色々相談をさせていただいた気がする。
この時間には眠気もピークで、記憶が曖昧である。

最後は電車を利用し、博多駅まで到着した。

⑩やればできる。

2019年12月15日11:00。

出発してから、24時間かかった。当初の計画の3倍。
時間だけを意識すれば、もっと早く目的地まで辿りつくことが出来たかもしれない。

けど、それ以上に様々な人に出会い、色々な人の話を聞き、自身の価値観をアップデートすることが出来た。
やってよかった。やり切ってよかった。

そして、僕らは駅近くの温泉に行き、少し仮眠をして、エナジードリンクを飲んで、博多旅行を楽しんだ、、、、。

帰りは、朝イチの新幹線でかえりました。
僕らにもうヒッチハイクをする体力は残ってなかった。

3 学び

この経験から私は何を学んだのか。
大きく分けて3つのことを学んだと考えている。

①、戦略を練るということ

僕らは、ヒッチハイクという移動手段で、博多まで行くことを目的としていた。
そこから、逆算してどのようなルートで進んでいくかを考えた。
当初の計画の3倍かかっているのに、戦略になんてあるのか?と思うかもしれないけど、
二人もウチどっちが、誰に声をかけて、どのように交渉するのか、これは考えていた。
そして少しでも前進をするのか。大きく前進させるのか。この選択は目的を達成するために非常に重要であったと後から思う。

②、普段出会うことがない人と話をすることができる。

以前、僕は1ヶ月アイルランドに留学をしていた。
日本っどんな国って質問をされた時に、答えることが出来なかったのを鮮明に覚えている。
というか日本に生まれて、日本の教育を受けているけど、この国の歴史や文化に関して全然知らないな、、、、。
そこは強烈な原体験で、日本についてもっと知らない。何を基準に日本について話をしているもだろうかと、、、。
(東日本しか行ったことがない自分が、、、、)

③、なんくるないさマインド。
今回の旅で諦めようとすれば、何回も諦めて自宅に帰ることが出来た。
でも心底、絶対になんとかなる。絶対に辿りつくことができると信じてた。
前進さえしていれば。大切なのは。やりつづけること。

④、自分の特徴理解
就職活動の前だったから、自己分析のような「自分に関するテーマ」関してとてもアンテナが高かった。
そのような背景もあるが、Oと協力して前進をする中で、自然と特徴を理解し、役割を分担するようになっていた。
そう協力しなければ、前進することはできなかったのだ。

4 まとめ

以上私がヒッチハイクをした時の経験を、当時の記憶を思い返しながら文章を書いた。
5年も前のことをなぜここまで鮮明に思い出せるのか?自分でも不思議である。

恐らく覚えている理由としては、この二日で色々な感情を経験したからなのではないか?と思う。
楽しさ、ワクワく、達成感、辛さ、恐怖、などヒッチハイクは様々な感情と常にセットである。

後悔は一切ないし、100%やってよかった思う。
そして、Oはこの経験を踏まえて、第一志望の企業に入社する。
よく話をするけど、「やってよかったな」と話をする。

失敗とかないからね。行動しつづける一択。

24時間後に到着。
なんとか辿りつくことが出来ました。


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