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【エッセイ】「春眠暁を覚えず」の感性がほしい

「春眠暁を覚えず」という言葉が、なんか好きです。

日々のあたりまえも感性次第で美しいものにできる、ということを、この言葉は示してくれている気がするんです。

意味は、「春の夜は短い上に寝心地良く、暁になってもなかなか目が覚めない」(大辞林より)

要するに、「春の朝って眠いよね」ということ。それだけの詩。(個人の見解です)

詠んだのは唐の時代の孟さんという方。
ここからは想像です。普段は夜明けと共にしっかり起きる孟さん。でも、ある春の朝に目を覚ますと、外は天気が良く、気持ちのいい陽光が窓から入っている。それで孟さんは思うのです。

「ああ、起きたくない。もうちょい寝たい」

だって春だもの。眠いよね。
そうしてもうひと眠りするのです。

そんなこと、僕だってずっとやってます。天気のいい春の日は、そりゃゆっくり寝たい。許される限り布団から出たくない。春の朝の二度寝は、溶けるように幸せ。

だけど、そんな春の朝を思いながら、孟さんは詠みました。

春眠暁ヲ覚エズ

それを聞いた人々は感嘆します。
ああ、春の美しさを捉えた、なんて素敵な詩なんだ、と。

ただの眠たい春の朝の話なのに、感性の力で、何百年も残る言葉に変えてしまった。

こんな感性がもしあったら、日々がすごく素敵になると思うんです。小さなこと、あたりまえのことでも、そこに美を見出していく。その感性があれば。


感性でいうと、キングオブ変態感性おじさんこと谷崎潤一郎先生がいます。(勝手に呼んでます。ファンの方すみません)

著書『陰翳礼讃』は先生の変態感性が爆発してて大好きなのですが、中でも以下のくだりがゾクゾクします。

私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫のようなおとを聴きつつこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。

要するに「お吸い物の蓋を開ける前に微かに鳴ってるジジって音がすごくいい」という。この音分かりますかね?今だと旅館か料亭くらいでしか聞かないかもしれません。あの音がいい!と先生は仰っているのです。目の付け所が、ド変態です。


今の世の中は、ずいぶん刺激が手に入りやすくなってしまいました。スマホを開けば、すぐに何かのコンテンツが提供される。
目を凝らしたり、耳を澄ましたりすることが少なくなってしまった気がします。

でも、特に何もしなくても、ありのままの、あたりまえの世界でも十分に美しくて魅力的であることを、先人たちは教えてくれます。

今年はそういう四季を過ごせればな、と思います。簡単じゃないでしょうけれど。


今、ケトルでお湯を沸かしています。水が沸騰する音に耳を澄ましてみる。少しずつ大きくなって、ゴボゴボと盛り上がって、そして静かに消えていく。
なんだかいい。
でも「三昧境に惹き入れられる」ほどじゃない。

まだまだ鈍いな。修行します。

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