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育児はシンドイいつも走ってるだけど面白い

非接触と非対人化が称賛される日本2020。日本だけでなくて、資本主義経済圏もろともだけど。

ステイホームを余儀なくされ、2ヶ月半、自宅軟禁の刑に処されたワケだが、ワンオペ3児を家庭保育と家庭教育は、シンドイものがあった。

シンドイどころか、逃亡したくなった。

そして、ステイホームが解除され、また、いつもの忙しい日時に戻った。

いつも走っている。

いつもいつも私は走らざるを得ないので、先月から、操体に行ったり、ベリーダンスに行ったり、波動整体に行ったり、あらゆる体メンテナンスに毎週行って、生き延びている。

「足、めちゃくちゃ使ってますね!」

どの先生も呆れたように、そう言って、わたしの足を労り、ほぐして下さる。

ありがたや〜。

1日7000歩は最低歩いていて、こないだは
10000歩を超えることもある。

こないだは、伊勢神宮にお参りしたら、16000歩を軽く超えていた。

事業や仕事はいつもわたしを追ってきて、やってもやっても終わらない。

その隙間にやりたいことやメンテナンスをブッこむ。

やりたいことが多すぎるし、優先順位をつけて、減らした。

来年は、外勤仕事を減らすことにした。

もう、疲れた。

それでも、ルーチンはあり、投げるように、振り切って、保育園のお迎えに、塾の送迎に、走る。

養育者が養育をトンズラして逃げることを養育遺棄と言う。

独身だった頃、臨床心理士として、そんなケースにただ出くわした。


なんて親なんだろう



育児のしんどさを知らなかったから、扶養義務守れよ!と、思ってた。

だけど、今なら、死にたくなるくらい育児がキツイことがわかる。

たった1人で、子どもという、手に負えないイキモノを育てる、責任のしんどさ。

いくら、教育心理学を学び、生業にしている心理研究者でも、ワンオペで生活することはかなりキツイ。

ワンオペ育児って言うけど、育児だけじゃない、誰かと家族生活を営むこと全体がワンオペでは、キツいのだ。

だって、ニンゲンは、群れを成して生きる、ソーシャルなイキモノだからだ。

森の木の上で暮らしていた私たちニンゲンの祖先は、木を降りて、二足歩行し、手を使い、サバンナ(草原)で敵に囲まれて生活するには、群れを成すことが安全。

気を抜けば、パクッと食べられてしまうから、木の上の方が断然、過ごしやすい。

それでも、手で道具を使い、脳を発達させ、知能を高め、道具を駆使するテクノロジーを獲得した。

知能の高いものが生き延びる。

知能には、いろんなものがあるが、言語能力が1番の中核を成す。

言語能力が高いと、生き延びられる確率が高いのだ。

言語能力の機能には、3つの道具に集約される。

まとめるとこう。

1 コミュニケーションの道具
2 思考の道具
3 行動コントロールの道具


言葉といえば、コミュニケーションが一番思いつき易いだろう。

人と上手くやるっていうのは、このコミュニケーション力で、集団の中で、ケンカしないで、お互いに暮らす。

その最小の社会集団が家族なのだ。

ワンオペはキツい。

例え、小さくとも、チームはチームだから。

チーム一眼となって!

とか、学校でよく言われるし、スポーツの世界でも、使い回される。

チームねぇ。
めんどくさー。

そう思うヒトは、家庭を営むことは、タイヘンだと思う。

わたしもそうだから。

正直、6割シンドイ。

だけど、8割面白い。

残り4割を2倍に膨らませて楽しむ。

たった4割の面白さを膨らませて、慈しむ。

希少だから愛おしいのだ。

でも、さすがに、3人の子どもを教育して、保育して、家事して、仕事して、主婦して、なんて、無理だから。

ほぼ自分の仕事できません。

子育ても立派な仕事ですから、片手間にできません。

だから、集団教育の場として、保育園や学校があるのです。

そして、仕事できなかったら、お金も入りません。

話すこと、人と会うことも制限され、本来、あるべき姿の社会的なコミュニケーションがとれなくなりました。

シェアリングできないことは、メンタルを病みます。

だから、一番弱い立場の女性の自死率が8月から昨年同月に比べて急上昇しています。

一番弱いものから、滅びます。







論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。