ブログがつまらなくなった理由
「つまらん,お前の話は実につまらん」
日本にお金がまだあって,テレビCMに潤沢にお金がかけられていた平成時代に大ヒットした某虫よけスプレーのテレビコマーシャルを思い出した。
息子役の岸田一徳が石に腰を掛けて,虫よけスプレーの能書きを語っていると,父親役の大滝修二が冒頭のセリフで話を制止するそんなシーン。
テレビなんて,とっくに飽きられてしまって,オワコン(死語だろうな)に成り下がってしまったから,当然CMもなんだか覇気がない。
テレビだけでなくて,世界一日本人が書き連ねているブログとて,実につまらないのか,飽きられてしまって覇気がないみたい。
一時代を築いたアメブロ(アメーバブログ)なんて,風前の灯火。
わたしの弱小アメブロも多い時には,1日に4000アクセスとか,万単位に近いアクセス数があったけれど,今なんて,実にしょぼい。
1年くらい前,とあるブログコンサルタントの方についてブログ講座を受けていた。
「夫人,ブログ書きすぎです。次も読ませたくなるような,映画の予告編みたいな感じで出し惜しみして下さい」
と,お叱りを受けた。
以来,意識して,出し惜しみしまくって書いているので,内容が薄っぺらくてつまらないのもあるだろうけれど,しょっぼいアクセス数だ。
でも,これはわたしに限ったことではない。
アメブロは商業利用が解禁されて以来,副業ばやりで,「稼げます」系のノウハウ宣伝の場になってしまった。
「ああまた釣りテキストか」
金太郎あめみたいな似たり寄ったりのアメブロは,実につまらなくなった。
みんな同じだからこそ,テキストの文章力が光って見えて,文章力,表現力が乏しい人は埋没する。
さりとて,表現力は磨けば光るのか。
心理学者として正直に言わせていただくと,みんなガッカリするからあんまり声を上げて言いたくないのだけど,
言語能力は知能指数の大多数を占めており,言語能力が高いものほど,現代社会では知的に高いと評価されるシステム。
知能指数は3歳の時と70歳の時を比べてあまり変化しないとする研究もある。
しかも,知能指数を決定するのは7割は遺伝子で,残り3割が環境だ。
これをどう捉えるかで,努力の方向性も変わるだろう。
じゃないと,ブログの書き方や文章講座なんて商売あがったりだ。
ちなみにわたしが習った,とあるブログの書き方の先生は,3日に一度更新があったブログがここ半年,更新が見られない。
存在を忘れかけてた頃に,このnoteを書いた先日,半年ぶりにLINE公式のメッセージ配信があった。
「法人の仕事が功を奏したのでブログ講座は休眠します。教えていた講座内容は特別割引して書籍販売します」
カエサルよ,お前もか!
バナナの叩き売り程度の内容に高額な講座費を注ぎ込んでしまった,わたしのような受講生の心中を思うといたたまれない気持ちである。
だが,わたしのように
「この講座を受ければブログへのアクセスが増えるかも」
そんなものぐさ根性が招いた当然の結果とも言える。
某コンサルトによれば,1日に万単位のアクセスを誇った,わたしとは比べようのないハイパーブロガーさんでさえ,アクセスはよくて数100単位だとか。
活字,テキスト離れが進んでいるのだ。
じゃあ,みんなどこのSNSに流れているのか?
YoutubeやTickTickなどの動画,インスタなど,動画のプラットホームだという。
若ければ若いほど,より短いTickTickのような動画サイトが好まれ,テキストだってTwitterみたいな140文字(日・韓・中の漢字圏以外は280文字)のつぶやきがいいらしい。
まぁ,これだけデジタルスクリーンが跋扈(ばっこ)するのだから,テクノロジーがローテクに逆行に進化することはないわけで,これからもどんどんデジタルになっていくのだろうけれど。
同時に識字力がどんどん低下して,読む力が失せていく。
人間の読む力は,遺伝子にはない。
話し言葉のように話す遺伝子はあるけれど,文字を読んで理解する力は実は遺伝子にはないのだ。
自分で努力して身に着けるスキルが読む力,そして,書く力。
話したことをそのまま書けば,文章になるわけでもなく,推敲する,編集力が必要なのだ。
教育心理学を修めているものだからだから言うけれど,デジタルネイティブ世代の子どもたちには本を読んで欲しい。
文字が読めるスキルは,後付けのスペックだから誰もが磨ける。
そして,文字を書いて欲しい。
「文字を読む」という人間のスキルは遺伝子では残らない。文化は,環境(ここで言うなら親や教育者)が子に教え伝える贈り物だ。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。