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わたし、怖かったんだな

「本当はもっともっとバウンダリー(境界線)を広く取らなきゃいけない人なんだと思いますよ」

わたしは神経系に働きかける,精神科医や臨床心理士,理学療法士やボディワーカーなど心身のプロフェッショナルのためのトラウマ療法の研修に出ていた。

昨年から始まった3年間の学びは,この4月から2年目に進級した。

昨年までの初級と違って,初日から「ええ?」の連続で,未だに思考が身体についていけてない。

トラウマは“心的外傷”と言って,さらにそれが進むと心的外傷後ストレス障害(PTSD)になる。

そもそも自分には“辛いトラウマ”なんてそんなにないと思っていた。

けれど、いやいやトラウマは誰にでもあって,PTSDになるかならないかは,トラウマをちゃんと完了させたか否かなのだとわかった。

とくにわたしのような過活動のADHD脳は,身体感覚が鋭敏なんだけれど体のパーツの統合がヘタクソだから(それは感覚統合といって,運動協調性障害あたりのもの)スレスレを生きてきた。

テーマがテーマだけに具体的なトラウマ体験をシェアしていくトライアド(受講生同士が安全な見守りの元での練習)では,「え?こんなことあったんだ」の連続だった。

頭で覚えている記憶は“顕在記憶”と言い,わたしたちは全ての記憶を明瞭に覚えているわけではない。

でも身体はしっかりと覚えていて,それが何らかの微細な“ひっかかり”として,痛みだとか違和感だとかで浮かび上がってくる。

わたしの場合,すごく大変な出来事なのにへらへらと笑って話してしまう“解離(かいり)”があることにその時,気づいた。

そして,その原因が冒頭のどこまで他者を受け入れるか“バウンダリー(境界線)”の侵害を止められなくて解離していたことに気づかされた。

バウンダリーは,別の心理学用語で言いかえると“パーソナルスペース”で,パーソナルスペースへの侵襲(しんしゅう)は,心理士はとても気を使う。

でも,得てして誰もが侵襲に気づけるわけではないし,自分自身も侵襲されていることに気づかないまま生きてしまう。

「わたし,怖かったんですね……」

授業の後の個人セッションで,その違和感を冒頭のようなやりとりで扱ってもらった時,セラピストの先生にそう言えた。

ブルブルブルと足元から小さな小さな揺れが起こって,ディスチャージ(放電)が起きた。

そのディスチャージの過程をゆっくりゆっくり味わう。

心から癒えた。

わたしはものを乱暴に置いたり(その速度でやるとぶつかるとか音がするとか予測しづらい),隙間に挟まったり,角に体をぶつけたり,自分のボディイメージを上手く扱えない。

それがADHD脳の特性で個性であるけれど,まさかこんなにも小さなトラウマが体に地層になって残留してるなんて……。

そうやって体の神経回路も静かに作り替えられているから,授業の後はなるべく予定をいれないで,知的な作業とか仕事をしない方がいい。

だけど,自分の疲れ度合いを甘く見積もるADHD 脳あるあるで,しっかりYoutube動画を編集してしまった…。

隠れADHD脳シリーズ第3弾です。

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論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。