優しいだけが優しさじゃない深まらない面接
臨床心理学を大学院で学んでいた頃、「深まらない面接」という言葉を知った。
上滑りした心理面接のことを言う。
上滑りとは、カウンセラーがクライエントの話で、問題の核心に触れようとすると、クライエントにサッと交わされること。
ツルッツル。
カウンセリングには流派がある。
カウンセリングって言うと、傾聴と言い、ひたすら相手の話しを聞くイメージかもしれない。
だけど、傾聴だけがカウンセリングじゃない。あくまでも、カウンセリングテクニックの1つ。
逆に、戦略的に、カウンセリングから、クライエントに介入して、切り込むスタイルもある。
そこまでしなくても、回数を重ねる内に、クライエントの抱える問題がみえてきて、焦点化というテクニックを使って、問題を炙り出す。
だが、ここでも、相手との呼吸がいる。
ズカズカとクライエントの内面に土足で入るのは、侵襲的といって、最も避けなればいけない。
かと言って、あまりにきついからと、遠回し過ぎて、核心に触れないで、面接が深まらないまま、いたづらに時間ばかり過ぎることもいけない。
む、難しいのだ。
「優しく話を聞いてくれました」
カウンセリング業務をされている方のSNSを見ることがあった時、そんなコメントがあった。
えーと、「話しを聞くこと」がカウンセリング業務でして、そこにケアラーとしての(ケアする人)優しさは、当たり前でござんす。
て、ブラック過ぎる?
「全てはクライエント(患者さん)の利益のために」
というのは、医療従事者の鉄板。
利益を侵害することは、避けなきゃダメだけど、それは、クライエントの気分を害すから、深まらない面接をすることとは違う。
クライエントの利益になるならば、心理士として伝えなければならないことはある。
一時のその場合限りの「今」の優しさは態度で示しやすい。
だけど、クライエントの「未来」を見越して、今は痛みだけど、やがてそれがクライエントの力となる変化する優しさもある。
ただし、クライエントと関係性を作って、信頼関係がある上でだ。
苦言を受け入れることはつらい
言う方もつらい
だけどその壁を越えて、痛みを伴いながら壁をえいやっ!と、破ってこそ、次へ展開してゆく。
痛みがなければ限界は超えられないことは多い。
1人で超えられない壁を傍らで見守りながらサポートする。
先生と呼ばれるのは、そういう役割があるからだろう。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。