(過去記事)ずる(『萬歳前』書評に向けてーソウル大学留学中の記事)

日本人であることで、韓国語学習者は恵まれていると思う。

歴史的な共通部分もあるし、言語学的共通点はもちろんのこと、反日・反韓感情に触れることもあるが、特に統治時代のことになると、韓国の人は日本人以上に日本を知っていたのではないかという錯覚にすらとらわれることもある。

今回の題は『萬歳前』だ。

とにかく、読めない。分かってほしい。

教授が下さった文献(多分原文)は뛰어쓰기もなってなければ、正しいつづりも全然ない(本当にない)。韓国語で書いてあるより漢字が混ざってた方が分かりやすいじゃないか、とパッと見で思うかもしれないが、大間違いだ。

前回の授業では国語国文学科の生徒たちが現代ハングルで書いてあるバージョンの本(多分学科の必読の文章たちを集めたもの)を持っていて、いいなーとなった程である。

次回の授業、つまり明日、これに関しての書評を書く小テストがある。

まだ読めていない!と焦っていた私は、10ページほど読んだが、面白いとはいえ読みにくすぎて30分に1回睡眠の欲がやってくるほどに飽きた。

韓国語で検索しても、ざっくりとしたあらすじしか見つからない。

ピンチ。

ここで、日本人であるというメリットを使おうと思う。

つまり、ネットにあふれている日本語ソースを使うのだ。

英語文献を読み続けていたころにはできる時とできない時とあったが、万歳前はあった。どうやら日本語訳バージョンが出版されていたらしい(もっと早く知りたかった)


ちなみに、もちろんNaverを検索すると色々あります。

韓国語が読めて関心のある人はこっちのNaver cast(特集みたいなやつ)読んでね(自分はこれを読んで最近韓国語のスキャニング力が向上したことに気づいた)

http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=3573489&cid=58822&categoryId=58822


作者の廉想渉(れんそうしょう、염상섭)に関しては、コトバンクで検索すると百科事典で次のように出てくる。

朝鮮の作家本名尚燮,号は横歩。ソウル生れ。啓蒙主義に反発して自然主義浪漫主義旗印をかかげた《廃墟》の同人として出発。代表作は日本の植民地下という暗い現実を直視した《万歳前》(1923年), …

百科事典マイペディア

[生]光武1(1897).8.30. ソウル,鍾路区積善洞 [没]1963.3.14. ソウル 韓国の小説家。号,横歩。本名,廉尚燮 (朝鮮語廉想渉と同音) 。日本の早稲田大学に留学。三・一運動のデモに参加して入獄。 1920年同人誌『廃虚』を金億らと発刊,21年『開闢』誌に発表した『標本室の青蛙』でデビュー。『東亜日報』『朝鮮日報』『満鮮日報』,解放後は『京郷新聞』などの記者をしながら,旺盛な創作活動を続けた。 54年芸術院終身会員,55年ソラボル芸術大学学長。また 54年ソウル市文化賞,56年自由文学賞,57年芸術院功労賞,62年三・一文化賞を受賞。『万歳前』 (1923) ,『二つの破産』 (49) をはじめ百余編の短編と,『三代』 (31) など十数編の長編小説を残した。韓国の代表的自然主義作家。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


そして、彼の作品のひとつである『萬歳前』は以下のとおり。

社会の矛盾に憤慨しながら自我に目覚めて成長していく朝鮮留学生、李寅華―インテリ青年の鬱憤吐露と新生模索の旅の物語。社会批判意識と、人生に対するニヒリズムと、それからの脱却の過程が絶妙に配合された朝鮮近代小説の最高傑作。

紀伊國屋書店

三・一独立運動前夜の暗い社会を背景に虚無に陥った青年を日本自然主義の影響色濃い筆緻で描く。

世界大百科事典 第2版

社会の矛盾に憤慨しながら自我に目覚めて成長していく朝鮮留学生李 寅華 ――インテリ青年の鬱憤吐露と新生模索の旅の物語。 主人公は妻を残して日本で大学生活を送っていた。東京にいる限り、大して差別を感じることもなく、故国の因習も忘れて、カフェガールの静子との会話も楽しんでいたのだが…。 「京城」(ソウル)の家に帰ってみると、産後の肥立ちの悪かった妻は、西洋医を信じない父のため、漢方薬しか与えられずに息を引き取る。夫婦らしい情愛も知らずに死んでしまった妻に彼は初めて涙する。静子から手紙が来たが、結婚はできないと思う寅華だった。時あたかも第一次世界大戦も終わりを告げていた。お互い、新生を模索するのだ! 社会批判意識と、人生に対するニヒリズムと、それからの脱却の過程が絶妙に配合された朝鮮近代小説の最高傑作!

勉誠出版


最後のやつは現代小説のような売り出し方だな。

もうむしろ日本語でざざっと漁った方が小説論的には読むより勉強になるのではとまで思えてきた。

このブログの感想が面白かった。何より、筆者がどうやら読書通で、韓国文学好きらしい。前提知識もあるし、突っ込みも激しいし、第一人称で語ってくださっているのでとても理解しやすい。

ちなみに私が今のところ読んだのは静子P子と遊んでダラダラしている部分まで。飽きるわこんなん。何考えてんねん。それでいてさも哲学者のように愛を語るから、ん?静子は奥さんじゃないよな、まだ主人公は東京いるよな?という気持ちになってしまった。


文学分野におけるエキスパートによる研究結果、つまり研究論文もある。

この研究論文たちの中で興味深い部分を抜き出して箇条書きしていく。

1. 東京、近代へのまなざし

物語の発端は、冒頭の電報による「妻の危篤」の知らせであるが、東京についての描写は、電報を受け取った主人公が夜行列車に乗るまでの何時間かの「動き」を示すことにより、近代都市東京を見せる、という構図となっている。

「動き」の内容を見ると、帰国の旅支度の買い物のほかに、「散髪、そして新しいジャケットを買って着る」など、「妻の危篤」で帰国を前にした主人公の行動としては不自然さを指摘することができる。その理由は「カフェの静子」という女性を意識したためであることが示される。…この行動は、主人公と静子との関係の意味を支持することであり、その意味内容が、近代都市東京に向けた主人公の認識及び、作品の結末において東京が目指されていることへの一つの前提になっている。

二人には「恋愛へ向けられた姿勢の共有」を指摘することができる。主人公と静子の関係から見えるものは、…<真の自己生活>に向かおうとする姿勢を価値あるものとして評価する認識軸である。

主人公の「カフェ」からの帰り道での探索から、主人公が抱える問題局面が提示される。次の例文はそれであるが、「カフェ」から出て歩く空間で、目に映る街の風景と、それに重ねて想起する京城の実家は、…「閉塞の空間」として喚起されている。…この「自由」及び「閉塞」という二分法が、近代東京都植民地京城を捉える認識軸として想定できる。

廉想渉『万歳前』に見る家族・民族 : 1918年の東京・京城認識を通してー蔡 永班、広島大学


2.民族のアイデンティティの亀裂

「近代」の体現である日本と、「植民地」である朝鮮との距離を総括して見せており、それは植民地知識人である主人公が「<民族>や<政治>」に目覚めていく経路としての「旅路」という問題意識が予告されている。作品の背景時間の1918年を鑑みると主人公が東京に留学していた<七年近く>の期間は、朝鮮が日本による併合後歩んできた時間と重なり、「日本による朝鮮の近代化の意味」が問われているのである。

日本と朝鮮という境界を繋ぐ「連絡船」という「場」で表されるものは、「宗主国日本」と「植民地朝鮮」が「優と劣」という二分法で捉えられているということの確認である。

監視する巡査と監視される学生の主人公は「朝鮮人同士」である。巡査は主人公とのやり取りにおいて、強いて日本語を使い、朝鮮人であることを隠そうとして、あえて日本語で主人公の名前を呼び立てるなどする。…いつしか朝鮮人巡査同様、<日本人として見てほしい>と思ってしまうところを提示している。

廉想渉『万歳前』に見る家族・民族 : 1918年の東京・京城認識を通してー蔡 永班、広島大学


3.植民地下の朝鮮民族

列車に乗り釜山を発った主人公は、朝鮮の首都としての記憶をとどめる京城の実家へ向かう。列車の「車中」は、朝鮮の現在を生きる人々を観察できる格好の「場」となっている。そこには、下記に記す例文のように三つの生き方を示すことになる。例文aは金持ちに見える四十代の男性らの話が金議官を思わせ、その推測から、朝鮮における「土地政策」を知ると同時にそこへ協力する朝鮮人中産階級の生き方を、例文bは隣り合わせになった伝統帽子を売り歩いている<村者>との対話を通して下層階級の生き様を、例文cからはしばらく停車した間に目撃する巡査によって手縄にされ、監視を受けている四、五人の男女を通して日本権力に抵抗する人々を、それぞれ日本の植民地化を生きる朝鮮民族の姿として描き、ここでは「車中=朝鮮民族の生き方」を象徴的に捉えている。

しかし見逃せないのは<共同>という言葉にある。ここには「死のイメージ」を纏ってはいるが、「共同=民族」であることをも強く喚起している。共同墓地は日本権力側からすれば、朝鮮の「土地の国有化」を図るための一環であるが、しかし朝鮮の民を「民族」として束ねる可能性をも内包しているのである。

廉想渉『万歳前』に見る家族・民族 : 1918年の東京・京城認識を通してー蔡 永班、広島大学


4.京城、植民地下の振興ブルジョア

対して主人公は死んだ妻を兄の反対を押し切って「共同墓地」に埋める行動に出る。さらに残された自分の子どもを男の子のいない兄に譲ることで<祖先代々>という家の論理から自分を切り離す。これら、<祖先代々の墓>と<共同墓地>の意味するものは何か。ここには「祖先の墓=家」「共同墓地=民族」の構図を有する。京城に向かう記者での「共同墓地=民族」の比喩は、京城の家族を把握することから「妻=共同墓地=民族」「妻の死=民族の滅亡」という構図が導かれてくる。

廉想渉『万歳前』に見る家族・民族 : 1918年の東京・京城認識を通してー蔡 永班、広島大学


日本史選択で受験の時日本史(特に明治~戦後)大好きだったいち大学生にとって、『萬歳前』で主人公の 寅華が東京への留学と朝鮮への一時帰国を通して自分の民族と純愛観を見たように、このソウル大学留学に通じる何か民族的・言語的・将来的、様々なものへの取っ掛かりを感じたこの作品は、日本に帰ってから日本語でじっくり読んでみるべきものだと感じた。

書評どうしよう。

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