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今回のキャリアイベント開催に至るまでの想い

こんにちは^^
ふじもんです。

今日のアンバサダー投稿も、先週と同じく介護のテーマから脱線します。
外を出歩くときは目的地に一直線で、あんまり寄り道をしない質なのですが、こういった文章を書いたり、会話をするときは道草食ったり、寄り道、脱線しがちです。不思議です。

今回の内容はただ寄り道をして油を売るわけではなく、行脚になった気持ちでだいじなことを書いていきます。
ありがたい説法はできませんが。

「どういうふうに生きていくか」という、ふじもん自身がだいじにしている想いと、それをきっかけにしたイベント開催のお知らせです。

そんな想いを持つきっかけになった自分の経験を書きながら、じゃあその想いがある中で、これから自分は何をするのか?どう表現するのか?までをお伝えしていきます。

当然、イベントに参加してほしいなあという下心はありますが、「想い」の方を読んで頂きたいなあと気持ちが8割5分です。

よろしければ最後までお付き合いくださいませ。

どんなふうに人生をとらえているか

幼少期からよくよく思い出してみると、度々「死」に触れてきたのかなと。
親戚のお葬式や法要、保育園からの帰り道、母の自転車の後ろで目にした交通事故の現場。恩師の死。見守ってくれた祖母の死。

そのできごとと同じように並べるのは気が引けますが、自分が自転車で沖縄まで向かう途中での出来事。
暗い夜道で、2メートル以上ある深い溝に自転車ごと突っ込んで足が抜けなくなった瞬間。

もちろん幸せなことや楽しいできごとも思い出すし、なんなら正に今から中学時代の悪友たちと飲みに行きます。

ただ、人生というものに想いを馳せたり考えたりしてきた時に、やはりいいことばかりではなく「死」や怖いできごと、つらいできごとを抜きにすることはできないなあと個人的に思っています。

広義な意味でのキャリアを考えている理由

目下しんどいのは、時折忍び寄ってくる将来の不安。

将来、自分は何か価値のあるものを残せているのか。

「べつに自分の人生だし、他人から評価されることが全て」なんて、頭でも心でも分かってるつもり。そうじゃない不安。
「たしかに完璧主義のきらいはある。」自分でもそれに振り回されてきて、鬱陶しいし飽き飽きしている。僕の尊敬する人は、完璧主義なんだねって、ただ受け入れてくれた。

不安と将来の自分の姿

それに近づけるのか?後悔はしないのか?
ある人の想いを叶えることはできるのか?
優秀な悪友たちは、彼らも苦労していいところに就職をしている。でも、自分は…。
別に他人からの評価なんて!とさっき書いたけど、45歳になっても今と同じような働き方、給与だったら周りからの目が…。とか。

文字にすると「あ、なんだ。意外と大丈夫じゃん。解決策ありそう。」と気づくけど、心のなかだけで唱えていると、暗い影を落とす。
特に、寝るために布団に入って天井を見るときに。これは比喩ではなく、ほんとうにその状況で、そう感じる。

じゃあどうやったら、眠りにつけるか。
たぶん「きちんとキャリアを考えていくこと」と「そのアイディアを子どもたちのために、表現すること」が、最期の幸せな眠りにも一役買ってくれるんじゃないかなあと、なんとなく予想しています。

「考える」だけの自分

自分がもらったギフトの1つは、何も考えずとも、頭の中が考えたり感じたりするモードになること。最近はそれに磨きをかけて、意識してわざとあることを考えたり感じたりできるように目指しています。

ここで伝えたいのは、行動する一歩が踏み出せないということ。
良いことだろうが、悪いことだろうが考えれば考えるほど、行動できなくなる。そんな側面があるので、表現することを躊躇してしまう。
もちろん、ちがう理由やキャラクターが行動の足枷になっていることもありますが。

仕事をしてお金をもらう自分になるために

高卒の自転車旅の途中、19歳くらいからアルバイトやインターン、正社員として働いてきて、今思うのは、やっぱり自発的に、能動的に思考と行動をして何か(成果物や実績など)創造物を作らないと、残さないとお給料をもらって生きていくのは難しいということ。
要は行動(仕事)をするということ。
まあ、お金を作る方法はたぶん、他にもありますが。

今の現実の社会、世界を生きていくためには、頭の中の「今」の自分の世界ーーー自分にとって都合のいい評価、それがハッピーであろうとアンハッピーであろうと今の自分に折り合いをつけようとする思考ーーーにいるだけでは、難しい。

やっぱり他人から評価をされることは、一生つきまとう。
でも、「人格的な、内面的なことに直接は結びついていない評価」ということが、ミソだし、救いの光が見える。

話が逸れそうだから本筋に戻ると、行動して何かを作り、お金をもらうということをしてこなかった24年間。(次の10月で25年になる!!)
これじゃあこれから先、生きていけないなと思った。
1月くらいから、自分なりに必死になって取り組み始めて、表現を試行錯誤して仕事をして、お金を貰ったりお金を貰おうとしている。

ただ、改善ポイントが、自分が認識していること以外にも絶対にあるし、まだまだ必死じゃないな、とほんとうに思う。

行動・表現をする、創作物を作る人「にもなる」ことを助けてくれる人と、場所で

そうなると1人じゃあ無理。
アドバイスが欲しい!自分を評価してくれ!
(不思議なことに、評価してくれ!という文は「自分を認めて欲しい」と同義になる時がある。ここでは文字通りの意味。)

でもそういえば過去に、そんな自分を助けてくれる人、環境に出会っていました。

そして今、その環境に身を置いてチャレンジをしています。

応援してくれる環境、雰囲気、ただありのまま見てくれているような感覚。
その方の言葉から「応援しますよ^^」というメッセージが滲み出ているように感じています。

それに応えられるようになるのは当分先の話でしょうが、今の環境で自分のできることを。

イベント開催という表現をしてみる

「キャリア」という大きなものの1つをテーマに、イベントを開きます。
今回は自分の想いをこんなかたちで表現してみました。

今回はU-29の方、限定のイベントですが、ここまで読んでくださった方と、どこかの機会でお会いできることを楽しみにしております。

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