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自己紹介

はじめまして。
北海道出身で20歳より北関東在住の3298(サンニーキュウハチ)代表の及川です。
3298は、ゴロの通りBMWミニをメインとした、中古車の販売・買取・オークションなどの事業を行っております。

まずはじめに、今後記事を書いていきますが、記事をお読みいただく前に、私の人となりや背景を少しでも知っていただきたく、自己紹介記事を書きました。
長文乱文で失礼いたしますが、お付き合いください。



ここでは書ききれませんが、仕事やプライベートにて様々な修羅場を乗り越え面白い事がやりたくて、年収1400万を捨て現在は独立しております。
サラリーマン時代から現在までの12年間、中古車業界におります。
現在は、中古車事業にて無店舗型で、業界的にまわし屋と呼ばれる業界人です。
まわし屋とは:
簡単にいうと、車版のせどりです。
例えば、Aオークション会場で30万で車を落札しそのまま、Bオークション会場で車を出品し、Bオークション会場で50万で車が落札され差額が出るという感じです。

オートオークションには、オークション回しと呼ばれるものがあります。
「回し屋」とか「オークション屋」とも言われてます。
これはオークションで落札した車を、別のオークションに出品することです。
同じ車でも会場によっては需要が異なっているので、
需要が低い会場で安く仕入れて需要が高い会場で高く売ると利益を得ることができます。
オークションに出品されている車を下見する業者はなかなかいないので、
会場の動きを見ているとオークション回しされている車がわかってきます。

ちょっとした裏話になりましたが、適正な価格での提供を心掛けているので
オークション回しされている車への入札は避けています。
同じ車でもオークション会場が違えば、車の値段は上下します。
相場を読む力が必要ですが。


下記、自己紹介になります。

【20歳まで】
人口10万人台の田舎で生まれる。
私の生まれたまちは、超保守派で、地元紙が9割程のシェアを持ち、地元志向の人が多く、学校を卒業しても地元に残る人が多い印象だ。
それに、周りの大人の会話などを聞いていると、思考停止している印象だったり、閉鎖的な感覚があり、段々と嫌気がさしてきた。
そんな中、テレビや本でホリエモンこと、当時ライブドアの代表の堀江貴文さんが世間を騒がせていた。私が、地元を出るきっかけになった人物である。
堀江さんのような学や肩書はないが、田舎での鬱屈した日々は通じるものがあった。
そこで思った事が、保守的で変化を嫌い、就職先のルートが何となく決まっている中で、学がない自分が地元に居続けたら、普通に暮らしていくどころか、普通以下になる事は間違いないなと思い、地元を出る決意をし実行に移した。
ただ、勉強は嫌いで、自由にマイペースで生きたいと常に思って日々過ごしていたので、どこかで何かしら苦労はするなと思っていた。
小さい頃から車が好きだったので、自然な流れで車に関わる仕事をする事になる。

【20歳からの職歴&実績】
1、大手中古車販売会社(新卒)にて、営業デビュー(同期で一番遅いかも…)から1週間で3台販売。その後、月間30台販売し営業TOP成績を収める。
ただ、日本一のブラック企業の為、入社1か月でおかしいと気づく。
幹部や上司、先輩などのほとんどは尊敬出来なかったり、目標とする人がいなくて悶々とした日々を送る。
そもそも、サラリーマンは向いていないという自覚と、元々独立志向があった為、会社や人は反面教師としてドライに割り切って見ていたと思う。
自負しているが、新卒で唯一洗脳されなかった人間と言っても、過言ではなかったです。

2、中古車販売店にて、入社から1週間で在庫管理・在庫回転など様々な理由から、経営不安を覚え『入る会社間違えたな。』と思うようになる。
2か月目で営業TOPの成績を収めるが案の定、複数回の歩合改定・経営不安や経営者の考え方に共感出来ずに退社。
入社時は、16店舗あった店舗は退社後半分以下になり、現在は1店舗となる。
1社目と違い、車の売り買い以外の業務が多かった。
業務をこなしていくうち、餅は餅屋だなと思うようになる。人にお任せする事は、お金をきちんとお支払いしお願いし、人に適正に仕事をふり自分の時間を確保する、その浮いた時間をもっと違う事に使う。この時に、時間の大切さを痛感したと思う。
あとは、在庫や数字管理の重要性は痛感した。

3、中古車及び事故現状車の買取(法人営業)にて、北関東の某県全域を担当。
一般ユーザー相手でなく、車屋相手の法人買取営業である。
商談相手の車屋も、オートオークションの相場などを見れる環境にあり、はじめは苦戦する。
歴代の担当者や役員が行っても開拓出来なかった最難関の取引先を開拓し、全国TOPの成績を収める。

4、某FC本部(SV・店舗開発)にて、SV(スーパーバイザー)として入社。
2名を除き、明らかに能力不足な人たちが幅を利かせ、変な経営コンサルに心酔されている会社の様子を見て、加盟店が不憫でたまらず発言をする。
私を陥れたい上司の意向で、繁忙期が過ぎた時期に競合が多く、難易度の高い直営店舗に研修という名目で私を派遣したが、上司の思惑通りにはいかず、実働1週間で粗利350万という実績を残す。
その後、加盟店のイベントに派遣され、コロナ禍で前年比8割以上減の来店数の中、2日間のイベントで3台販売。
その後、店舗開発へ異動し未経験の為はじめは、社外の方のご指導や独学で学び、年間10店舗をオープンさせる。

5、前々から気づいてはいたがサラリーマンに向いておらず、仕事中に転職活動をし全て年収UPの内定を複数社いただいた(全て車業界以外)が面白い事がやりたくて、年収1400万の内定を捨て独立。

6、在庫処分など車屋の店舗運営をする上で改善すべき事を改善し、3年間毎月300万の赤字垂れ流しだった店舗を2か月目で黒字化。某ネット媒体の伸び率全国TOP30以内に入る店舗に。

7、立ち上げ全般を手伝い、USSはじめオートオークションの入会手続きから入会まで、ディーラーナンバーの取得までの全てを一人で行う。
カネなし・コネなし・看板なしの状態から1人で構築する。

以上が私の簡単な職歴だが正直、サラリーマンから現在に至るまでが波乱万丈で、何度も車業界から足を洗おうとした。
サラリーマン時代は、サラリーマン特有のしがらみなど。
個人事業主になってからの6と7の店舗運営の手伝いでは、経営方針などの違いや人間の嫌な部分が見え、いよいよ車屋はもういいかなと思った。
ただ、自分が代表でやる車屋なら、車屋と並行して、面白そうな他の商売(店舗開発時代に興味出た、不動産)も一緒にやるなら良いなと。

当時、データを取り寄せたところ、日本で一番売れている中古輸入車が、BMWミニだったのと、高級外車特有のギラギラ感がなく、かわいらしく、走りも良いので、ノリでミニをメインに扱う事を決めた。
ただ、はじめは限られた資金や場所で、車屋をはじめるとなると資金が物言う車屋の商売の世界で、上手く進んでいかないなぁと思い色々考えた。
そんな中で、1社目のサラリーマン時代は小ばかにしていた、オークションまわし(別の記事で紹介する)を思い出した。
当時は小ばかにしており、まさかやる事になるとは想像もつかなかった。
ホント、人生はどこでどうなるかわからないとつくづく思う。

あまり自己紹介で色々書いてしまうと、皆さんが眠くなってしまうのと、記事のネタが無くなってしまうと困るので、今回の記事はここまでとさせていただきます。

長文乱文で失礼しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。


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