#1 西山珈琲店と池波正太郎
かの店に行くことになったきっかけは、「西山珈琲店」と「西原珈琲店」を見間違えたことだった。
その日、病院をはしごしていた私は、1つ目の病院の診察が終わったあと思いのほか時間ができてしまったことに少し戸惑い、コーヒーでも飲めるところを探していた。
時刻は、9時半過ぎ。
どう考えても、ランチではなくモーニングの時間帯だった。
いつも行くカフェにでも立ち寄ろうか、と思いながら、何の気なしにGoogleマップを開く。
そこに飛び込んできた文字が「西山珈琲店」だったわけである。
それを見た私は、「おや、本山の西山珈琲店が新店舗を開いたのかな?」と勘違いをした。
程なくして「いや、西山本通りにあるのだから、こっちが本店かな?」と思い直したわけである。
それなら、きっと美味しいお店に違いない。
徒歩で向かった私は、その店舗が存外に新しいのに驚いた。
店主も若い。
私が店に入ると、店主は読んでいた本をぱたりと閉じて私に声をかけた。
客は、初老の男性が一人。
入って左手の本棚に、ぎっしりと連なる池波正太郎。
いいお店を引き当てたものだ。
アイスコーヒーを頼んだら、トーストがついてきた。
実はコーヒーの味はあまりよくわからない。浅煎りが好きだということだけ判明している。でもそうでなかったとしても、ほとんどのコーヒーのことは美味しいと感じてしまう。
トースト、とても美味しかった。ぶきっちょな甘みが手作り感を覚えさせた。
市販のパンには絶対に登場しなさそうな味だ。
もしこのパンが市販していたら、買っちゃうだろうな。
池波正太郎の「鬼平犯科帳」や「剣客商売」が大好きで、全巻持っているので、今回は持っていない作品を選んだ。
「散歩のとき何か食べたくなって」はエッセイと言えると思う。
池波正太郎がグルメなのは周知の事実だ。
というか、作品で食べ物の描写を目の当たりにしたら誰でもわかるだろう。
五鉄の軍鶏鍋……一本饂飩……根深汁……小兵衛やおはるが作るさまざまな料理……。
そして思うだろう。「私も食べたい!」と。
本の冒頭、私はたまげた。
御大によると思われる、レストランや料亭の料理の写真がいくつもいくつもカラーで並んでいたからである。
当時、携帯電話にカメラなんか付いてないし(そもそも携帯電話があったかどうか?)、デジカメでもないような感じがしたので、きっとフィルムのカメラなんだろう。フィルムのカメラって撮影画像をその場で確認できないから、マジで一発撮り。現像して初めて画像を確認できる。
それを、御大自ら。……と思うが。今度確認してみよう。
これは、あれなのか?
料理の写真を撮影して投稿するインスタグラマーなのか?
ついでに文なんか書いちゃって……というか彼は文筆家だからそっちがメインか。
だとすると、どちらかというとnoteに投稿するみたいな感じか。
そして記事に写真を載せる……↑のように……。
そうだ。私もやってみよう。
と、思ったのがこの記事を書こうと思ったきっかけ。
よくネタで、「紫式部は夢女、清少納言はブロガー、紀貫之はネカマ、兼好法師はヒキニート」とか言われるけど、つまり、古い時代の作家や偉人達もみんな俺らと同類なんだぜ! ってお話なんだよね。
私は割とそれを半分本気・半分ネタみたいに思っていた。
けどなあ。まさか池波正太郎御大がインスタグラマー……まさかと思うだろ?
だが私の心の内からは泉のように湧き出ているのだよ、親近感が。
んで更に、表紙の絵も……「S.Ikenami」なーんてサインがあるじゃあないか。
もしかしてご本人筆? こんなに多才であらせられたとは……。
まさかとは思うけど作曲までできるなんて言わないでしょうね。(ライバル心)
なので、私もやってみたい! と思った。
これはエッセイなのかな? 私小説なのかな?
ちょっとよくわからないけど、タイトルは「つれづれなるよしなしごと」にしようと思う。
本来、「つれづれなる」は人に対してかかることが多く、「よしなしごと」のような物・事にかかることは少ないようなのだけど、現代の我々はそこまで深く考えずにこの言葉を使っているだろうし、そこまで深く考えるまでもない「よしなしごと」である、という意味も込めてみた。
あともう1つ、noteと私のウェブサイトと交互に記事を書いていこうかなと思う。
あまり深い理由はないのだけど、そろそろウェブサイトの方もコンテンツを増やしてかないとな、と思って。
食べ物の記事ばかりでないとは思うが、どうせ食べ物の記事が多くなるんだろうな。
仕事以外で遠出をすることはあまりないので、いつも通り名古屋界隈をぶらぶらすることになると思う。
とても楽しみだ。(食べるのが)
次回はこちら
↓つれづれなるよしなしごとはこのマガジンにまとめています。
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