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現代思想入門を読んで〜現代人は現代思想を追いかけて現代に向き合え!〜

どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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それでは本編へGO



思想や哲学は難しい

「複雑なことを単純化しないで考える」

Xでの発信が好きでずっと注目してる作家千葉雅也さんの2022年発売の代表著書「現代思想入門」を今さらながら読んだ。最新著書「センスの哲学」も購入済み。早く読みたい!

早速アウトプットがてら引用を多用する形にはなるが乱雑に文字に記していこうと思う。

僕は本を読むのが実はそんなに得意じゃない。得意じゃないけど読めなくはない、、ぐらい。どれくらいかというとこの本の終盤は正直キチンと理解がおいついてないレベル。

難解な本ではないが、本を読み慣れてない人には難しいと思う。
それでもこの本は現代に生きる全ての人に読んでもらいたい!とも思った。

だからこそ現代思想なのだろう。
枠でくくった文字は書籍の引用である。

「冒頭の複雑なことを単純化しないで考える」というフレーズはとても大事だなと思う。

端的に、簡潔に、わかりやすい結果ばかりを人は望みすぎる。なので本質的な成長ができず人は同じ過ちを繰り返す。

こう考えると良いよ!
これを食べておけば良いよ!
これさえやっておけば良いよ!
そんなものはない。
そんなものはないがそんなものを求める。
しかし、それこそが人なのだと。
本質的でないことも人であるためには避けられないことなのだとわかってくる。

この抜け出せない思考の迷路が心地よい。
いや心地は悪いがそれでいい。

秩序化する現代

現代は秩序化、いわゆるホワイト化してる。境界線にある様々な難しい問題がダメな意味で白黒つけられ無視される。

秩序化、ホワイト化といえば僕は最近、自分の大好きなゲーム真・女神転生の世界観に倣って「ロウ化」と呼んでる。

「世界の細かな凸凹がブルドーザーでならされてしまう」

別件で「ネガティヴケイパビリティ」という言葉を知った。これは答えの出ない事態に耐える力とのこと。そういった力が本当に大事だなと著者を読んでもリンクした。

ユダヤ人の迫害は法によって遂行された。抵抗するには違法行為(逸脱)が必要だった。

このように今、現在良きこととされることは当時の悪いことをキッカケにもたらされたものでもある事が歴史からはわかる。しかし人間社会には秩序は必要だ。

秩序を作る思想
秩序から逃れる思想
共に必要

「いったん徹底的に既存の秩序を疑うからこそ、ラディカルに"共"の可能性を考え直すことができるのだ。」


デリダ「概念の脱構築」

二項対立の脱構築 

「二つの概念の対立によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん留保する」
「二項対立のどちらがプラスなのかは絶対的には決定できない」

二律背反という言葉の方が馴染みがあるかもしれない。

秩序の反対側は逸脱で、ここでまた真・女神転生の話を交えると秩序の反対は混沌(ロウとカオス)。
ゲームを知らない人はなんのこっちゃだけど知ってる人はめちゃくちゃわかりやすいかと(笑)

「グレーゾーンにこそ人生のリアリティがある」

考えれば考えるほど、絶対的にどちらかが正しい!と決めつけられる事はほとんどない。人を殺してはいけない!という倫理すら絶対性はなかなか得られない。

能動性(自分中心)と受動性(他者中心)にしてもそうで、これは昨今よく言われる「自分軸で生きよう!」というメッセージの脆弱さが概念の脱構築によりわかる。

社会で生きる以上は他人軸も必要なのだ。しかし他人軸ばかりでは辛い事もあるよねという話だ。

ひとつの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だと考えるのが現代思想の大方針

わかりやすく言語化などできないが、なんとなく入ってくる感覚がここまでは皆さんもあるんじゃないでしょうか?
結構僕自身も拙い言葉でずっと表現してきた事とも重なります。

必要とされるものが絶対的なものではないというマインド。

二項対立(二律背反)における一方が優位、他方が劣位なものとして規定されるありさま。

超絶雑に表すと「できる」と「できない」は絶対に「できない」が劣位であるということではない。

マイナスは本当にマイナスか?と疑問を投げかけるのが脱構築の基本的発想。

この本を読むまでに先に思想を自分なりに確立させて後追いで答え合わせができてる事に人生の確かさを感じます。

ただし!マイナスに対して本当にマイナスか?を問いすぎるのも良くなくて、、

「いつでもこういうツッコミをいれてると仕事も生活も成り立たなくなりますが」

と、本書でも書かれている。現実的に生きる人は注意してほしいところ⚠️

脱構築の手続き

1.一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方をする論理をたてる

2.対立が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描く

3.プラスでもマイナスでもあるような二項対立の「決定不可能性」を担うような第三の概念を使うこともある

どうでしょう?
割といつもの僕感がないでしょうか(笑)
(知らん人はシランガナですね)

本質と非本質
非本質なものの重要性

あらゆる思考は矛盾し対立し一周して逆になる。本質的にものが大事だよと言われれば逆に本質的でないものが重要になったりもする。

こうして逆に逆にと考えてると何も行動できなくなるのでは?という矛盾を僕も持ってました。
それに対して本書では、

「そもそも人間は何も言われなくたってまず行動する。人間は生きていく以上、広い意味で暴力的であらざるをえないし、純粋に非暴力的に生きることは不可能」

と、書かれてました。
人間の本質は混沌(カオス)であるという
僕のメガテン論にも通じます。
考えすぎて行動できなくなるというのは
厳密にはありえない。

脱構築の意識を持つ人には優しさがある。

人の決断を脱構築により潰すことは簡単。
そうではなく脱構築により赦す。

ここまでは僕の思考範囲にも重なっていてスムーズにとても楽しく読めました。


ドゥルーズ「存在の脱構築」

「世界は差異でできている」

「ありとあらゆる方向にすべてのものが複雑に絡まり合っている。それこそが世界の本当のあり方だ」

「一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている」

「すべては途中だし、本当の始まりや本当の終わりはない」

次の項目もまだ自分にとっては腑に落ちやすいものでした。世の中は「違い」で成り立ってるということ。「違う人達」が連なって全て繋がってる。ある種の運命論的な考え方でもあるかもしれません。

ドゥルーズ+ガタリによる精神分析批判

「自己啓発的なアドバイスは人間にある種の決めつけを提供することで安心させる」

友達と自己啓発本ってなんなんだろう?と議論することがたまにあります。
その答えの一つがまさにこれだなと納得する文章でした。

次の項目とも重なる事ですが、人は支配されたがってるし支配された方が楽だから決めつけてほしい一面がある。だがその決めつけは現代思想ではないよってこと。

「本当の自分のあり方を探求する必要なんてない。いろんなことをやろう。そのうちどうにかなる。」

「自分で準安定状態を作る」

この自分で自分の準安定状態を作るってのは自分のコトワリを生む事だ!と僕は捉えました。そして次のメッセージが今の僕には一番刺さったところです。

「すぎない」ことの必要性!!

「過ぎたるは及ばざるが如し」というコトワザを僕はかなりリスペクトしています。これぞまさに良きものが良きものと限らず、悪いものが悪いものとは限らない概念の脱構築とも繋がるコトワザです。

そしてコミュニティのような繋がりに対してのアンチテーゼ、コミュニティに偏り過ぎない事も記されてます。

リゾーム(多方向に広がる関係性)
「すべてがつながり合うと同時にすべてが無関係でもありうる」

無責任の重要性

より温かい社会を目指すからこそ
「すぎない」ことが必要とされるのだ

重要なのは価値観の争いから遊離して、だけれども互いに対する気遣いを持ち、しかもその気遣いが他者の管理にならないようにする、という非常に難しい按配(あんばい)を維持できるかどうか、、関係するのだが関係しすぎないという対人援助のバランス

コミュニケーションは金銭に毒され腐り切っている。むしろ必要なのは非コミュニケーションの空洞や断続器

このあたりが僕にとってのパンチラインピーク!これ以上に僕の感想の追筆で汚すことのできない自分にとっては完璧な文章がたたみ込まれます。


フーコー「社会の脱構築」

支配する側
支配される側
支配される側も支配されたがっている。

支配されたがっているのに支配から逃れようとしているような様子が現代のいわゆる左側の人からは感じるんですよね。

支配されないと生きていけない人が支配から逃れようとしてるというか、、
現代思想からすると完全な支配者など存在しないのですが、もし完全な支配者に近い存在があるとするからば独裁による統治がそりゃあ一番簡単なゲームクリアでしょう。

正常と異常の脱構築

発達障害支援は発達障害をマイナスと考えることから始まってる。

このあたりから個人的には実現や落とし込みが難解になってくるなと感じました。

発達障害はマイナスなのか?
そうでないのか?
僕は現代社会においてはどうしたってマイナスと考えるしかないと思っており、社会の脱構築というところには思考は届いてないんだろうなと。

しつけとは自分で自分のことを自己監視できるようにすること。

何がダメで何が正しいのか?
それは全て決めつけられたもの。
その決めつけに従い自分で自分を監視できるようになった人間が社会で生きていける正常な人間。


現代思想入門後半

ニーチェ、フロイト、マルクス、、など
哲学や思想を知らなくても聞き馴染みのあるような名前が後半はでてきます。

僕はこの項目で表題にはあがってないけど本文にでてきたシャーペンハウアーに興味が湧きました。

ショーペンハウアーは仏教の涅槃との親和性が高いとのことで悲観主義と捉えられる事が多いそうです。

「生きることは苦しむこと」
というアレですね。
ニーチェは深淵とか神は死んだとかのイメージよりもむしろ明るい哲学なんだとか。

「人間とはこういう経験をしたらこういう人間になる」などと一般法則のように言えるものではない。」
「その運命に意味はありません。たまたまです。」

皆、法則好きじゃないですか(笑)
やっぱ安心したいんでしょうね。
僕が浅いなりに哲学が好きなのってそこに間違いのようなものもあったり、わけのわからないものもあったり答えに辿り着きそうで辿りつかないからなんですよね。

〇〇の法則とか、エビデンスって、割と穴だらけな割に信じ込ませやすい。
哲学の語る、ほとんどの出来事は"たまたま"っていう価値観がめちゃくちゃ風通しが良くて好きです。

マルクス 力と経済

「すべての人が自分自身の力を取り戻すにはどうするかを考えようとする。それが共産主義と呼ばれるものですが、いまだにそれは実現されていません」

自らの力を取り戻すとは?

「同じ土俵、同じ基準でみんなと競争して成功しなければという強迫観念から逃れるには、自分自身の成り立ちを遡ってそれを偶発性へと開き、たまたまこのように存在しているものとしての自分になしうることを再発見すること」

マルクス、資本論、資本主義、、現代はいよいよ資本主義に限界がきてると言われながら資本主義から脱却することのできない生き地獄のような様相です。
果たしてネオ資本主義のようなものは誕生できるのでしょうか?

漫画の資本論おもろかった!

さらに終盤に向かうとさらに難解になっていきます。

教育とはまず、制限なのです。
その最初にして最大の行為が、自分が名前で呼ばれ、そして周りのものの名前を教えられることです。「これは〇〇である、それ以外ではない」というのはまさしく制限です。

名前をつけるという行為こそがいきなりとてつもないタスクなんだぜ!という話。これは今までにも聞いた事があるんですが、あと数回はしっかり聞き直さないと自分の言葉で誰かに話すのも難しい、、。

一気に読んだ事もあり、終盤の理解力が情けないことに薄れていく(笑)
わかるようなわからないような、そんなボヤっとした感覚。

「どうしようもなく悩むことが深い生き方であるかのような人間観が近代によって成立し、それがさまざまな芸術を生み出したわけですが、そこから距離をとり、世俗的に物事に取り組んでいくことは、人間が平板になってしまうことなのでしょうか?そうではありません。むしろそのような世俗性にこそ、巨大な悩みを抱えるのではない別の人生の深さ、喜劇的と言えるだろう深さがあるのではないでしょうか」

最終盤にして逆にそんなに考え込まなくても良いのでは?的な価値観。
これは僕が毎週月曜日に提唱してる「労働の価値」に通じる。
ただただ生きて、ただただ働く世俗性。
ここにある価値が華やかさ、もしくは偽りの華やかさにより失われすぎてる。

最後に「現代思想の読み方」が著者により書かれていて、これがまためちゃくちゃ実践的な読書法となっている。

読書は全て不完全である!

・読書はすべて不完全
・細かいところは飛ばす
・速読に意味はない
・外来語訳は語彙が限定されている
・言い回しはに惑わされない
・固有名詞や豆知識は無視
・まずはただただ読む

要約すると「テキトーにちゃんと読む!」
であり、あらゆる哲学というものは「テキトーさ」と「ちゃんとする」が内包された思想達なのだと思う。

テキトーさも失われてるし、ちゃんとする!ということも同時に失われてるような、およそどうしようもない現代にこそ現代思想を掲げ立ち向かいたい。


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