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オンラインサロン「シェルター」の経緯と理念〜"絶望と虚無"から生まれる"希望と充実"〜

オンラインサロンを知らない
僕の活動もよく知らない
そんな人向けの記事です。

僕のサロン(シェルター)を紹介したくて、でもご自身の言葉で説明がしにくい時などにこのnoteを見せてあげると良いかもです。
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-オンラインサロンとは?-

月額会費を頂いて運営するクローズドのWebコミュニティです。FacebookやDiscord、Slackなどオンラインツールを使用して交流しています。何をしているかはサロンオーナーにより様々です。
僕は今のところFacebookグループページで毎日記事を投稿しています。


-僕のサロンでは何をしてきた?-


2017年から2022年までは
「お金に縛られない飲食店(居場所)」
の運営を維持するために頑張ってたり

(キャンディ姫路は2024年に事業譲渡しました)

オンラインサロンでは「悲しいを削減する」という理念の元、人生を穏やかに優しく生きていきやすい考え方を共有してきました。

コミュニティに入って何かをする必要はなく、誰かと無理に繋がる必要もありません。全て自由。根本的に"どんな人でも生きやすく"が想いとしてあります。

投稿を読むだけ
お店を利用するだけ
むしろ何もしない

皆さんの応援で僕の活動は存続できてました。

(こんな活動もしてた!)


過去理念ver1からver3

初期理念ver1
理念ver2

長らく"悲しいを削減する"を軸にしてきましたが
2023年にはメインタイトルを変更し、、

理念ver3

それに伴い自身の主な活動も飲食店運営から、「生きる事」にシフトしました。
生きる事が活動って何?って話なんですが、、
「お金」「労働」「人付き合い」
そういった人を悩ませる根本的な問題に向き合ってみて、既存の価値観も大切にしつつ、そこに捉われすぎずに生きる中庸モデルケース側になりたいなと。

さらに2024年、もっと言葉を文章的にしました。


理念最新版

理念のメインタイトルは
「"絶望と虚無"から生まれる"希望と充実"」
生きる事は辛いものである。
というネガティヴを前に出してます。
明るい理念ではないんです。
明るく元気に前向きに楽しくやっていこうぜ!という考え方ではありません。
そうはならないよね。という絶望と虚無がスタート地点です。それでも希望や充実を手にする事はできるんじゃね?っていう感覚です。

初期は黒と白にわかれた背景が特徴的でしたがver3では全体的に灰色を纏い、今回はとうとう境界線はなくなりました。

全体的に暗雲が漂うような灰色の雲。
でも黒じゃない真っ黒ではない。
光は確かに存在する。
これが我々の住む世界だという表現です。

この世は黒と白、光と闇、善と悪などで成り立ってはいない。それらが混ざり合った色で成り立っている。

良きものが良きものとは限らない
(悪きものが悪きものとも限らない)

同じテイストの逆テイストのものを反転させて一つの項目として書いています。
「良きものが良きものとは限らない」
「悪気ものが悪きものとも限らない」
読んで字の如くの意味です。
VER3から引き続きそのまま使いました。

「権力や正義の奴隷とならない」という過去理念の系譜であり、さらに過去には「お金に縛られない」の文脈もここに含まれます。

お金やルックスといった絶対的価値観、あればあるだけ良い?良きものが必ずしも良い?
優しさ、愛、夢、、良きとされるものは果たして万能だろうか?
逆に戦争や差別など悪いとされるものは果たしてそれそのものが悪いものだろうか?
戦争(争い)は人が存在しうる限りなくならないのでは?争いをなくすのではなく争いのやり方を変える方向が良いのでは?差別なども同様。

森羅万象に疑いを
(疑いの奥に信頼がある)

森羅万象とは、ありとあらゆるものという意味で捉えてもらって間違いない。逆に疑いのない信頼など存在しない。疑いを経ていない信頼など希望の押し付けである。
ニーチェを代表とする多くの哲学者が「真理などないという真理」を説す。
ならば全ての事象は疑いから逃れることはできないし、事実は解釈でしかない。
良質なコミュニケーションは疑いから始まると個人的には思ってはいるがそれもまた疑うことで、信じることに重きを置く人とも時を歩むことができるのだ。

曖昧であれ/寛容であれ/おふざけであれ
(適度適当万歳、過剰にならず良き塩梅)

VER2からの復活ですね。
VER3でも変わらず意識はあったんですが、とにかく「テキトー」であるべき。
テキトーになれなくてもそれはそれで良い。
テキトー!キングオブテキトー!
グレイ、灰色とは曖昧そのものだし、その曖昧さを許容できる寛容さが必須だし、そのためにはふざけてるぐらいがちょうど良い。VER3の「全ての深刻にユーモアを」という感覚がここに内包される。曖昧さはよく言えば中庸であり、それは今年ガッツリとインプットした真・女神転生におけるメガテン理論で言語化できた。「人は本来混沌であり秩序をもってして中庸を目指す」
中庸とは何のことはない、良い塩梅という事だ。
好きなことわざに「過ぎたるは及ばざるが如し」とあるが、その通りでしかなく、それは「全てを疑う」ことにもつながる。

4.共感を理解し違和感に納得する
(共感に頼らず違和感も拒絶せず)

人は1人では生きていくことができず、どうしても他者の存在を受け入れねばならない。
他者とどう対峙していくか?人付き合いの何たるかがこの項目には詰まっている。共感を理解するのは比較的簡単だが、共感に頼らない事も大切だ。違和感に納得するとは、ある種、その場、その都度を調子良く合わせる事でもあり初期リネンにピックアップした「分人主義」が役に立つ。
VER3ではこの項目を「自分を知り他者を知り社会を知る」とした。今回はよりそれを細分化し、同じものも違うものも認め受け入れるという意味合いを強めた。

5.死を享受
(今を生きる)

最初からほぼ変わらずずっとある理念。
「死」だ。
とにかく「死」を蔑ろにしすぎている。
人は死ぬ。人は死ぬ。人は死ぬ。人は死ぬ。
死なねばならない。死なねばならない。
死なねばならない。死なねばならない。
だからこそ生きることができるのだ。
生きることばかり考えてはならない。

死を直視すれば、ただ生きるより他ない。
ただ生きるとはどういうことか?
どう生きたいのか?どう在りたいのか?に
辿り着く。それは各々にあることだと思うがおそらくとてもシンプルなものだろう。

「好きも嫌いも大切に」
「漫画、音楽、ゲーム、友達」
僕にとってはこんなところだった。

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あとがき

3回目のブラッシュアップで4つ目の理念の可視化。「優しさ」とか「生きやすさ」みたいなワードはなくなりました。優しさが優しさとは限らないし、生きやすさが生きやすさとは限らないからです。

もっとこう、、なんでもない、、答えのない、真理のない、それでいてどこか拠り所となるような確信のある信念を見える形にできたらなと、オンラインサロンなんぞをやりだしてから内省を繰り返して今があります。

こんな気持ち悪い何者でもないおっさんの信念を覗いてくれてありがとうございます。


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