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いいエッセイを書くコツ〜自分にしか書けないことはなにか?

ある日、家に帰ってnoteのアプリを開くと、「今日のあなたに」というカテゴリで、こちらの記事がおすすめされていたので読んでみた。

初めて知ったのだけど、アメリカの大学受験では、パーソナルエッセイという、自分の人生や、印象深かった出来事について書いた文章を提出しなければいけないそうだ。

もう本当に、エッセイはとにかく何よりも大事なのだ。

アメリカの大学受験から学ぶ、いいエッセイを書くコツ

しかも、エッセイは合否を分けるほど重要なもののため、アメリカの高校生は締切の何ヶ月も前から必死にトピックを考え、周りの人たちからフィードバックをもらいながら、何度も推敲を重ねてエッセイを完成させていく。

アメリカでは、「大学側が受験生の個性や考え方、大学のカルチャーにフィットするかなどの人間性を見る」ことに重きを置いており、点数や成績以外で自分を直接アピールできる唯一の機会という意味でも、エッセイは重要な位置を占めている。日本の受験には小論文はあっても、自分自身を自由に表現するエッセイのような課題はないので、文化の違いが感じられて面白い。

そんなエッセイを書くにあたり、高校生が必ず言われるアドバイスが、

エッセイの筆者の名前を隠してもあなたが書いたと分かる、あなたにしか書けないエッセイを書きなさい

シンプルだけど、あらためて考えてみるとなかなか難しい。

「部活の県大会で優勝して嬉しかった」のように、一般的なトピックに対して、よくある感想を述べるだけなら、他の人でも書ける。わざわざ自分が書く必要はない。そこに具体的なエピソードを盛り込んだり、他の人とは違う視点や、表現が加わることで、だんだん独自性が生まれてくる。

「自分にしか書けないことはなにか」という問いに頭を悩ませながら、自己理解を深め、「どう書けばより伝わるか」と客観性も意識して文章を書いていくことで、表現する力はかなり鍛えられるだろう。その人らしさがちゃんと伝わる、いい文章を書ける人は魅力的だ。こういった自己表現の訓練の機会が、日本の学校でもあったらよかったのにと思う。

エッセイの種となるような、自分にしか書けないことって、全ての人が持っていることだ。なぜなら、理論上全く同じ遺伝子を持って全く同じ経験をして育ってきた人は地球上の歴史において前にも後にも存在せず、あなたはたった一人しかいないから。

いいエッセイを書けるようになりたいので、試しに自分でも考えてみた。
たとえば、中学時代をどう過ごしたか。

「中学時代は、人数の少ない田舎の学校で、放課後は部活、家ではゲーム、週に3日習い事をして過ごしていた」

ぐらいだと、どこにでもありそうな話で、自分じゃなくても書けるだろう。もうちょっと深堀りしてみる。

「 石垣島の崎枝 (さきえだ) という前後に海を望む半島部の地域で、小学校から中学校までの9年間を同じ校舎で過ごした。

給食は食堂のおばちゃんの手作りで、全校生徒と先生が集って一緒に食べる。中学時代は全校生徒10名以下で、同級生は3人、男子は自分1人だけ。人数が少ないので、野球やサッカーのような集団スポーツをやる機会はほとんどなく、部活も個人でできるバドミントン部のみ。習い事で週に3日、市街地まで通っていた空手道場が、唯一同年代の男子と接する機会だった。

思春期を迎え、まわりの女子たちと話題やノリが合わなくなったからか、昼休みはよく職員室に遊びに行って先生たちと話していた。大人との距離はだいぶ近かったように思う。家ではRPGゲームをしたり、マンガを読んで過ごすのが好きだった。少年ジャンプは今も変わらず読み続けている。

当時は、その生活が当たり前で、違和感を覚えることもさしてなかったけれど、1学年4人から300人近くに環境ががらっと変わった高校入学直後は、周囲とのギャップを感じてかなり戸惑うことになる。

今思うと、中学時代はなかなか特殊な状況だったなと思う。あの頃は気づかなかっただけで、本当はどこかさみしい気持ちを心の奥底に抱えていたのかもしれない。人との関わり方や、距離感など、その後の人格形成にもだいぶ影響を与えた時期だった気がする。」

これぐらい具体的に書けば、だいぶ独自性が出てきたように思う。うまく思い出せないけど、当時の自分が、何を感じ、何を考えていたかを、エピソードも交えて伝えられたら、より伝わりやすい文章になるかもしれない。

自分にとっては当たり前のことだからか、こういった過去の経験を人に話したり、書いたりしようと、これまではとくに思ってこなかった。わざわざ伝える価値がある、読み手に面白いと思ってもらえる、という実感があまりないからだ。でも、この記事を書きながら、自分のことをもっと語ってみてもいいかもしれない、と思った。

その表現の仕方は、エピソードの内容でも、そこから得た学びでも、文章での表現方法でも、なんでもいいんだと思うんだけど、そこに何かしら、他の人とは違う固有のきらめきがある文章に、人は惹かれるし、読みたいと思うし、何よりも、書く本人にとって書く価値がある、伝える価値があるものになるように思う。

毎回、「自分にしか書けない文章を書かなきゃ」と肩肘張る必要はないと思っている。書くこと自体を楽しみたくてnoteを再開したのもあるし、誰かに伝えるためではなく、自分のために書く文章もあっていい。ただ、その文章の中に「ちゃんと自分がいるか」という視点は忘れないようにしたい。

自分なりにいろいろと書いてみて、人からの感想やフィードバックをもらう中で、書きたいこと、書けること、伝わることの距離が徐々に縮まり、重なり合っていったらいいなと思う。

そして、書いている自分と、読んでくれる人の間に、言葉を通じて、少しでも橋を架けることができたらうれしい。

※ note創作大賞2023のエッセイ部門にエントリーしています。読んでみて「いいな」と思ったら、スキやコメント、シェアしてもらえると嬉しいです。

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