見出し画像

傘から考える生理【本間メイ】

傘ってなんでずっとこの形なんだろう
って思ったことはないだろうか?

遠くの恋人とも顔を見て話せるツールがあったり、情報をまとめてわかりやすく開示してくれるAIがいたり、こんなにも技術が発達しているのに、私はいつまで傘をさすんだろうか、と。
小学生の時に浮世絵で番傘をさして雨の中を進む男性を見て、シーラカンスが現代に生きる化石と紹介されたのと重ねた。形を変えずに今も存在しているものとして。

生理も傘とおんなじようなものではないか?
本作品を見て疑問を覚えた。


本間メイ《Bodies in Overlooked Pain(見過ごされた痛みにある体)》2020

水戸芸術館の〈ケアリング/マザーフッド:「母」から「他者」のケアを考える現代美術―いつ・どこで・だれに・だれが・なぜ・どのように?―〉に出品されている本間メイの《Bodies in Overlooked Pain(見過ごされた痛みにある体)》という映像作品がいつもは見ないようにしてきたさまざまな女性性による疑問を炙り出す。
本作品は「女性特有の痛み(=生理痛・陣痛等)はなぜなくならないのか?」という問いをきっかけに、女性の妊娠や出産に関する歴史や文化を探るもの。
物理的な痛みと、「陣痛は乗り越えるべき」「中絶は犯罪」など通俗や社会制度によってコントロールされる女性性を鑑賞者に意識させる。
また西洋医学の発展や権力者の支配にとって都合が悪い知識や職業が失われたという事実を鑑賞者に告げる。

毎月大量の血が身体から排出されて、頭痛や腹痛やそれ以外の苦痛を伴うなど異常事態でしかないのに、穢れとか女体の神秘とか言われるのが常々はてなマークだった(男性に言われた時に「体の仕組みとしてしょうがなく嫌々付き合っている女性にそれ言っちゃうんだ」と思った)。
しかも対処療法しかなく、もっと根本的な何かはないのかと、そして私以外の人間も過去にそう思ったに違いない。
発作が出ないように薬は飲むのに、生理自体を避けるために薬は飲まない。
避妊のためではなく、根本的に生理をなくすこととして。
もちろん全ての人が子供を持たないという思想ではなく、子供を持ちつつ手術という手段を取らず生理を止めるのは全ての女性の願いではなかろうか?


私はまだ傘をさしている、生理も毎月くる。
傘も生理もみんな煩わしいと思っているに違いない。
傘は片手は塞がるし、なんだかんだ濡れるし、万全じゃない。何よりかっこよくない。
生理も出産の痛みも生きる上で不要だ、痛くない方がいいに決まっている。
その痛みがなければ出産への恐怖や毎月のだるさや憂鬱が消える。



いつか傘もささないで雨の中を進めるように、生理の憂鬱から逃れた体で過ごせるだろうか。

********
今日もお疲れ様でした。
明日も自分らしく過ごしましょうね。

作家紹介
■本間メイ
1985年東京都生まれ、同都とインドネシアを拠点に活動。

※本作品が出品されている水戸芸術館の展覧会


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?