フィクション

「もういいじゃん、」

その先に続く言葉は容易に想像できたけれど、彼はそれを言わなかった。ただ目の前に差し出されたミルク多めのあったかいコーヒーと私の心の温度差が虚しくて、

「全然よくない」

なんて子どもみたいなことを言ってみた。ああなんだかこういうのドラマありそう。なんて、少し遠くにいる私の理性が私に呼びかける。たぶん彼はもう随分前から、私の悩みや心の内は興味が無い。なぜなら私もそうだから。そんなこと分かっているんだ。頭は極めて冷静なのに、涙は止まらないし手はずっと震えている。

「来なよ」

彼は全く優しくない。私が弱れば弱るほど、彼は私を大切に扱うふりをする。覆い被さる身体は私のことを包むように、心も丸呑みにしていく。強引なキスも、押さえつける腕も、力任せに打ちつけられる身体も、微塵も愛しいなんて思わない。私たちはただそうやってお互いの思考を止め合うためだけの関係。

セックスフレンドなんて言葉があるけれど、きっとそんな関係の方がまだマシなんだろう。私たちは他人だ。もう何年もの付き合いになる。それでも。


たかがセックス。生殖のためだけに行われるはずのこの行動は、さっきまで悩んでいたことも全て搔き消してくれる。


何も考えられなくなるくらい、声も出なくなるくらい、ボロボロにしてほしい。私がそう思っていることは彼もわかっているし、彼もまた私をそう痛めつける事でしか自分の心を繋ぎ留める術を持っていない。だから私たちは生きるためにセックスをするのだ。私が何も考えられなくなって、声を上げることもなくなった頃、彼もまた静かに眠りにつく。お互い心も身体もボロボロで、でもそんな自分たちを傷つけ合う事でしか生きていられないのだ。


起こされて目を覚ますとだいたい泣いている。意思に反して涙は簡単に流れていく。涙が枯れるなんて表現があるけど、いっそ枯れてくれたら心なんて持たなくていいんじゃないかというくらい、涙は枯れてくれない。

昨日のことなんて無かったかのように、またミルク多めのコーヒーが私の目の前に差し出される。

「どうぞ」

彼にとっても、私にとっても見慣れたその光景に、言葉なんていらないし、変に説明したり言葉を掛け合ったりするほど、私たちはお互いを大事にはしない。自傷行為が出来ないから、お互いに傷付け合うことでその存在を確認し合っているのだ。

まともに起き上がる気力も体力もない私の体を抱き起こす彼は、私のことをどう思っているのだろう。朝になるとたまにそんなことも考える。

好意を向けられることが、今の私にとっては一番の恐怖だ。1人でいるのは孤独なくせに、誰かに好意を向けられることはとんでもなく怖いのである。私は誰かに好かれるほど、立派な人間ではない。だから誰も、好きになんてならないで。

彼がまた私の方を見ている。
重ねられた手も、押し倒される体も、そこに私の心なんて無い。今日もまた同じことが繰り返されるだけ。

みっともない。

だけどそうでもしないと、生きていけないから。

私は今日も私の嫌いな私を殺すために、私を生贄に差し出すのだ。

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