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自分らしさ

そこそこに幸せ

最近の私はやけに平和に生きている。
もし、街角で突然マイクを向けられて「あなたの悩みを教えてください!」なんて言われても答えられないかもしれない。

そんな悩みのない生活の中でも、それなりに「嫌なこと」は散らばっていたりする。

ちょっと太った、望む容姿に近付けない、ちょっと関わりにくい人がいる、嫌味なことを言われた、派手な洋服を着れない、毎日メイクをしなきゃいけない、朝もうちょっと寝ていたい…

日常における「嫌なこと」を、昔よりは飲み込んで生きられるようになったんじゃないかなあ。などと随分甘い評価で自分を見ることができるようになったのも、おそらく大きな悩みがないからだと思う。

生きやすさを得るためになくてはならないと思っていた自分らしさだが、大人は自分らしさを多少諦めることで生きやすさを生み出せるらしいということに最近気が付いた。譲歩できる場所とできない場所のバランスを自分で取れるようになることは、一見当たり前に必要なことのように見えて会得するのはずいぶんと体力を使うのだ。


思い通り

まるで自分の成長かのように書いたが、実際はたぶん周りの人間の素晴らしさが私の生活の質の95%を担保していると思う。

私は物心ついた頃から指示に従ってやりたくもないことをしたり、誰かに歩調を合わせたりすることがとにかく苦手だった。今も決して得意ではない。「そんなのとりあえず受け流してやればいいじゃん」的なことがとにかくできなかった。

だから基本的に組織では先頭に立ったりまとめる役を引き受けることの方が多かった。マニュアルを表現する人間よりも、マニュアルを作る側の人間である方が私にとっては楽だったから。

多くの人間はそんな私を見て、「自立している」や「ひとりでなんでもできてかっこいい」というような幻想をぶつけるのだが、謙遜などではなく断じてそんなことはないし、むしろ私のこの性格のせいで迷惑をかけてきたことも沢山あることを私は自覚している。枠の中に収まらない人間がかっこいいのではなく、定められた枠を中から広げられる人間の方がかっこいいし敵を作らないことは理解していたけれど、私はその枠が窮屈で仕方なくて、確立されていない個性を振り乱していた。そんな気がする。

私はこれが良い!を通すためにはいくつか方法があるのだが、そんな方法を多用するまでもなく、私は昔から自分の「これが良い」に自信があったし、それら全てに理由があったから大体それでなんとかなっていた。自分がこうしたい!と思うことを叶えることは、20歳くらいまでの私にとっては自分でも拍子抜けしてしまうくらい容易だったように思える。


好き勝手やって死んだ

そんな感じだったので、「やりたいことがやれない」というストレスはあまり感じてこなかった。やりたいことがやれなくならないような生き方をしてきた。「好きなことで生きていく」といろんな場面で言われるが、私も比較的そんな生き方ができていると思っていたし、周りからもそう思われていた。

オブラートに包んだワガママを行使しながら生きてきた私は、散々好き勝手やっていたはずなのにある日突然死んでしまった。死因は、自分らしさによる過労死だった。

私は、私がやりたいようにやれることが自分らしさだと思っていた。自分という存在の考え方や作り出すものを、自分が求めるクオリティで表現することが当たり前になっていた。自己実現が難しくて悩む人間が多い中で、そんな私のスタイルは自分の成長欲求や承認欲求を満たすには充分評価されていたと思う。

そんな自分らしさが当たり前になった結果、その当たり前が当てはまらない世界に飛び込んだとき、当然の如く適応できなくなってしまった。私の中で確立された正義が、そうならない環境に対して私の中で暴れてしまい、結局私は私の正義のせいで死んだ。その時は急死したかのように思われたが、今思えばここ数年の私は割と重症、半身不随くらいでむりやりやってきていたような気もする。

「自分らしさ」は確立しすぎると死ぬ。
自分らしさを求める人が多い現代社会において、こういう形でらしさに押し潰される人間もいるのだということを身を持って痛感した。


人工呼吸によって生き返った「私」

呆気なく死んだ私は、呆気なく蘇生した。

生きてるか死んでるか分からないような生活をして、食うか寝るかの生活を続けて、すっかり自己肯定感も存在価値もゼロまで落ちきって、まさに息をするゴミと化した。心が死んでも、残念ながら体は自然には死んでいかないのが若者のしぶとさで、生きていくには金がかかる。

存在価値ゼロでも社会と交流を持たずに金を稼ぐことはできないので、否が応でも己を奮い立たせて社会復帰を目指すのである。そうして嫌々復帰した世界が、私を呆気なく蘇生させた。

なんとびっくり、私がどんなにゴミでも、周りの人間は優しいのである。

「これには随分と驚きました。」

何年、何十年後にインタビューされても、私はこの時期の感情をこの一文で表すだろう。人は、ゴミにも優しいのである。

文章的に面白いからゴミという表現を使っているのではなく、この頃の私は本当に自分をゴミだと思っていて、なんというか、何もできない、何も返せない、どんなに相手のことを思って迷惑をかけたくないと思っていても存在が大迷惑、みたいな状態だったから、周りの人間がちょっとよく分からなかった。

そこではじめて「迷惑をかけなければ何をしても良い」と思っていた根本的な私の正義が覆されたような気がした。

迷惑をかけた分、この人たちに何か返したいと思えるような人間たちとすでに出会っていたし、きっとこれまでも出会っていたはずなのに、「迷惑をかけてはいけない」という"らしさ"が、私の生きやすさを大妨害していたことに、23年目も終わりに近い最近、ようやく気が付いたのである。


どうでもいいことを増やす

私のワガママで間接的に好きな人たちが嫌な気持ちになることがあってはならない。

と考えるようになってから、だいぶ多くの物事に妥協できるようになった。社会人と呼ぶにはまだまだ足りないかもしれないけれど。赤が良くてもピンクで我慢するとか、私は黒がいいけどあの人が白がいいって言ってるから今回は白にしてみようかなとか、そういう選択をする場面が増えた。

自分の意に反する決断をする時というのは私にとってとてつもないストレスなのだが、時間が経てばむしろ良かったと思えることも多い。「自分が決めない」というおもしろさを覚えた。

我慢すると捉えるか、自分にはない選択肢を選んだと捉えるかで生きやすさがこんなにも変わるんだと、最近の私はまるで幼稚園児がひらがなをひとつずつ覚えていくかの如く考え方のレパートリーを増やしている。自分が本当に大切にしたいものを守るために、自分がこれは絶対こうしたい!と思うものを通すために、日常の中に大切なものっぽく紛れ込んでいる「意外とどうでもいいもの」を見極める練習を続けている。


おかげさま


人の悩みをどうでもいいことだとは思わない。
私が過去に悩んでいたことも、生きづらかったリアルも、今抱えるいろんな気持ちも、どうでもいいとは思わない。でも、それらを傷付けられないためになんでもかんでもがむしゃらに拾っていくと息切れをしてしまう。息が切れてしまった先に待っているものは、遅かれ早かれ息絶えてしまう未来ではないだろうか。

矛盾するようだが、溢れるものに蓋をする必要もなければ、我慢をする必要だってないのだ。ただ、溢れ出すもの、特に負の感情に関しては、多くの人間がそれにどんな理由がついていようとマイナスな印象を抱いてしまう。大切を守るためにとる言動で、少しずつ大切が削られてしまうことがある。自分の思い通りになるということは、そこに他者の思いが組み込まれないということでもあって、自分だけで作り込まれた正義はどうしようもなく孤独だったりする。孤独から生まれるあらゆるものは、だれかの孤独を埋めることはあっても自分の孤独を埋めることはできない。

誰かと共に生きる、誰かに頼る、誰かに自分のダメな姿を見せるということは、その瞬間はとても自分を苦しめるかもしれないけれど、重ねた先にはじめて本当の意味での「思い通り」が生まれるような気がする。

私の人生が「私と私の好きな人たちが作った私の人生」にすでになっている気がするから、私は私の人生の登場人物をなるべくハッピーにしていきたい。ワガママができるのも、私が私でいられることも、だいたいのことが「おかげさま」なのである。

私も誰かの「おかげさま」になれる人生を作りたい。

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