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【かつて歌壇に女流が多く、俳壇には少なかったわけ】俳句的を読んで(1章-6のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章6項「目と耳」についてのまとめである。短歌を嗜む人にも是非読んでもらいたい章である。

・近代の日本の文芸は「ルビ」と「声」を失った(P35)

(手書きの文章は信用しないのに、活字印刷はすぐ真に受けるなど。日本人には活字に対する信頼がある。また、近代文学においても、近代文芸=活字の文学であることをそのことを指摘したうえで)

 活字の印刷で注目すべきものはルビというわが国独特の工夫である。読みの難しい漢字の横に仮名をふる教育的ルビではあまりおもしろくない。漢字は意味を伝え、ルビが音声をあらわす、音と義、聴覚と視覚のずれをもっているものが興味ぶかい。森亮氏訳の『ルバイヤット』に饗応(あるじもうけ)とあるが、この饗応のルビなどがそれで、俳句でも珍しいものではない。雲雀(ひばり)、秋刀魚(さんま)などはルビなしで確立しているルビの読みの語であるが、外国人にはなかなか理解できないらしい。文字と違う音をあてて、視覚と聴覚の二重表現をおもしろいと感じる感覚は、ひょっとするとわが国の文芸にとって極めて大切なものだったかもしれない。と、過去形で言ったのは、いまではルビはほとんど影をひそめてしまったからである。

中略

 (また、われわれは)ルビといっしょに文字の中から声を追い出してしまったことに気付いていない。沈黙の文学はルビの消滅と無関係とは言えまい

・かつて俳句は絵画的であり音楽的であった(P37)

(活字文化は、西欧からほぼそのままの形で輸入したものであることを述べて)

 近代文学は、目の芸術として、読者から遊離したところで開いた花であった。それを西洋から移入したわれわれは、そこにひそむ跛行性に気付くゆとりもないまま、文学だと思い込んでしまった。
 俳句はもともとそういう近代文学的偏向とはかかわりのない文芸である。芭蕉の俳諧を見ても視覚と聴覚は渾然と調和、共存している。絵画的であるとともに音楽的である。句作に当って、舌頭に千転させよ、と教えているのも、心の耳に訴える方法による推敲を考えていたことを想像させる。いまのような原稿用紙文芸ではなかった。近代文学に親しんでいる人間は、目の人として芭蕉に光をあてて、その文業を見る傾向があるのではあるまいか。

・伝統文芸近代化における子規の功罪(P39)

(明治になり、衰弱した伝統芸術は革新と改造を待ったが、そこへ登場したが正岡子規である。子規は俳句や短歌を一線級の文芸に仕立て上げたが、それは西欧詩観的な枠組みのなかにおいてなのである。つまり、俳句や短歌は「目の文学」として近代文芸の中で確立したのである。そのことを指摘したうえで)

 子規によって、芭蕉以来の目と耳との協奏が崩れて、目によるの近代文学としての短詩型文学が生まれた。これまでの文学史は子規の革新を肯定してきた。それは正しいが、反面に視覚と聴覚の分裂を起こし、その一方を切り捨ててしまった原点に子規が立っていることも見逃してはなるまい。それはかならずしも子規の偉業を貶めるものではない。近代文学としての和歌、俳句に潜在している性格をはっきりさせるために必要な手続きに過ぎないのである。

・俳句は視覚的で、短歌は聴覚的(P40-41)

 言語においての目と耳の分裂は、活字文化のあるところでは程度の差はあってもつねに見られる現象である。近代文学が視覚的性格のものである以上、目の人の方が耳の人よりも恵まれた立場にあったと言うこともできる。俳句よりも耳の感覚がものをいうように思われる和歌に女流が多く、俳句には少なかったのも偶然ではあるまい。もともと女性は男性よりも聴覚的言語との縁が深かったからである。その俳句に近ごろ女流作家が目立つようになったことは、俳句が耳の人を迎え入れるようになりつつあるのか、それとも女流にも目の人が多くなろうとしているのか、にわかに決することはできないが、興味ある問題である。

・偉大な詩のために、詩人が持っていなければならない感覚(P42)

 俳句を偉大な詩にするには、何も珍しい思想をもちこんで飾る必要はない。目の人、俳人が失った声と耳をとりもどして、視聴の統合に成功すればよいのである。同じく子規の分裂感覚の流れを汲んでいても、短歌の方がこの点ではいくらか先に立っており、聴覚的要素は俳句よりは多くのものが残存している。理屈で文学作品が出来るわけでないことを百も承知の上で、あえて言うならば、理論的に近代を超克できる短詩型文学はこの視聴別途を再び合流させることのできる感覚によってのみ可能だということになる。

・ちょこっと解説

①俳句始めたての頃、表記にこだわっていた時期があった。漢字がいいとかひらがなにするのがいいとか。まさしくそれは目の文学という事の表象だったのであろう。

②身の周りの俳句の上手い人を思い返すと、皆一様に「オノマトペ」が独特であった。これは目ではなく、音の感覚である。

③俳句を作る時、見たものをまず写生しようとする。これは間違いではないが、一歩そこから踏み込んで、音のみで写生を行い、目と耳の写生の統合を図ると、深い句ができるような気がする。

・「俳句的」過去のまとめ記事


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