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俳句マガジン 「ランタン」

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小生の処女句「ランタンはゆつくり灯る秋の雨」より。これから俳句を始める人や、句作に悩んでしまった人たちの、道を少しでも照らせたらと思う。
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#外山滋比古

【句作のコツは、まとめず、散らすこと】俳句的を読んで(2章-10のまとめ)

 ずいぶん間が開いてしまったが、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は2章10項「放つ」についてのまとめである。そしてこれで2章のまとめ終了。ようやく半分。これだけ一冊に向き合ったのは初めてかもしれない。外山先生には直接お話を伺ってみたかった。  毎度おなじみの映画監督エイゼンシュタインのモンタージュ論が紹介されている。俳句と映画は近いものがある。今後はそのことを意識しながら映画鑑賞をしてみようと思う。 ・日本語非論理説(10項P95) 

【プライドを捨てよ。添削を受けよう】俳句的を読んで(2章-8.9のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は8項「音楽と絵画の間」、9項「けずる」についてのまとめる。  本項では、芸術において如何に添削が大事かが説かれている。後世に残り続けるような本物の芸術表現を目指すのならば、添削は必要不可欠だと、著者はいう。添削は正直怖いものである。小心者の小生は、先生にびしばし赤ペンを入れていただくたびに、胃の辺りがキリキリする。しかし、上手くなりたい一心で、その恐怖に耐える。  「この人は」という先生に

【個性的でない個性的な文章の書き方】俳句的を読んで(2章-5.6.7のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は5項「視点」、6項「よむ?」、7項「点と点」についてのまとめである。  ここで、小生の心に深く刻み込まれている句をご覧いただきたい。 かげろうや目につきまとうわらひ顔 小林一茶  この句は「陽炎(かげろう)」、「付きまとう」、「笑い顔」という語のかたまりで、できた句である。それぞれの言葉を単体で見ると、どちらかと言うと「プラス」の意味合いに感じ取れるものが多い。  しかしこの句が書かれ

【何故俳句に句読点がないのか】俳句的を読んで(2章-4のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は4項「点と丸」について、まとめる。  当たり前の話だが、俳句には句読点を使わない。何故かと言われると困る。皆そういうものだと思っている。多分疑問にすら思わない。小生もろくに考えずここまで来た。  しかし俳句をより理解するためには、こういった当たり前を疑って自分なりに考えてみることは必要だろう。外山先生からは学んでばかりである。 ・句読点には相手への不信がひそむ(2項P68) 日本人は句読

【文章表現の75%が蛇足という衝撃的な説】俳句的を読んで(1章-7のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章7項「なまけもの」についてのまとめである。  本項で「文章表現の75%が蛇足」という衝撃的な説が紹介されている。こんなことをいわれると、自分の書いている記事の殆どが不要なものなのではないかと思えてきて、萎える。が、アウトプットのため頑張る。そして、これでようやく1章終了である。まだまだ先は長い。 ・文章表現の75%までが蛇足だという説(P44) 「文章表現の75パーセントまでが蛇足だと

【かつて歌壇に女流が多く、俳壇には少なかったわけ】俳句的を読んで(1章-6のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章6項「目と耳」についてのまとめである。短歌を嗜む人にも是非読んでもらいたい章である。 ・近代の日本の文芸は「ルビ」と「声」を失った(P35)(手書きの文章は信用しないのに、活字印刷はすぐ真に受けるなど。日本人には活字に対する信頼がある。また、近代文学においても、近代文芸=活字の文学であることをそのことを指摘したうえで)  活字の印刷で注目すべきものはルビというわが国独特の工夫である。読

【十七音に大きな世界を収めるコツ】俳句的を読んで(1章-5のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章5項「冷え」についてのまとめである。長くなってしまったので、気になる見出しだけでも読んでもらえあたら幸いである。 ・子供は天性の詩人なのか(P26-27) 子供の心には、人間もイヌもネコも山や川も相手としてあまり違うところがない。とにかく呼びかけることのできる相手であると思っている。自と他の境目がはっきりしていなくて、人間の感情が無生物の中へ自由へ流れ込んでそれを擬人化してしまう。 中

【選は上手いものではなく、偉大なものを】俳句的を読んで(1章-4のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章4項「枯れ」についてまとめていきたい。この章も大変読みごたえがあった。 ・俳句や短歌は詩なのか(P19-20) すべての芸術活動のうちで、詩がもっとも早く完成に到達することも注目される。中でも叙情詩が早く成熟する。純粋なものほど結晶も早いということを意味するのであろうか。詩は青春の花である。老いたる詩人とは冬の花と言うのと同じくらい自然ではないことである。ところが、われわれには、元来、詩

【ストレートな表現が日本語に適さないわけ】俳句的を読んで(1章-3のまとめ)

引き続き、外山滋比古著「俳句的」のまとめである。今回は1章3項の「名実を忌む」についてまとめていきたい。 前回までの記事については下記をご参照いただけたらと思う。 参考文献 ・日本人の名前が読みにくいわけ(P16)すこし日本語を覚えた外国人が、日本人の名前が読めなくて困るという。当たり前のことだ。読めないようにしてある?とも言える。かけ出しの日本語知識などで読もうとするのが、そもそもの了見違いだ。日本人にだって見れども音には発せられないようになっている。漢字の名前とはそ

【詩人必読の章 短詩型文学が二流芸術であるとの主張への反論】俳句的を読んで(1章-2のまとめ)

引き続き、外山滋比古著「俳句的」のまとめである。今回は1章2項の「封建的」についてまとめていきたい。 この本の中で、一、二を争う面白い章であったため、まとめがずいぶん長くなったがご容赦願いたい。 前項の記事については下記をご参照いただけたらと思う。 参考資料 ・伝記中心の批評から作品中心の批評へ(P7)(批評は詩人を論じるのではなく、作品を問題にしなければならないと主張したT.S.エリオットに触れて)  いまでは当然のことになっている作品中心の考えが、欧米においても

俳句的(外山滋比古著)を読んで(1章-1通俗の論のまとめ)

「思考の整理学」で著名な知の巨人、外山滋比古先生は、俳人であった。 本書は、そんな先生が、短詩型文学や俳句第二芸術論等についての見解を、様々な角度から論じたエッセー集である。 あまりにも面白かったので、自分用の記録として、時間をかけて各章各項毎にアウトプットをしていきたい。 俳句に限らず、その他の短詩型文学論、日本語論、日本文化論としても非常に興味深い一冊である。機会があれば是非読んでいただきたい。 ・要点板書 ・近代文芸=反俗(P3) 近代文芸は、エリートの営みで