小説にハイライトをつけるが、内容はあまり覚えていない

小説を読むときは物語よりもフレーズに軸を置くことが多い。

kindleで小説を読むことが多くなって、さらにそう思うようになった。紙の本の方が手触りという物質的な印象とリンクして記憶に残りやすと言われるが、kindleでは外でも無作為に本を読めてハイライトをつけやすい。

その人独自の趣味や強迫観念をまがまがしいものとしないでつきつめていけば、どんどんどんどん楽になれるような感じがして、それから私はそういう、まるで無駄っぽい考え事をする自分を恥ずかしく思うのをやめた。

よしもとばなな『あったかくなんかない』

読書、小説も記憶から消えていっても構わないと最近思う。確かに、紙の本で読んだものの方が記憶には残りやすいのだが、ここの一節、好きだなぁと感じるような部分があれば既に幸せだ。

日常の導線における本のバリエーションを増やすことで、一つ一つの境界線が曖昧になると同時に、偶然の一節との出会いも多くなる。

後から、そういえばあの小説はこんな一節があってそれは何か自分の中に生きている気がするんだ、というところからぼんやりと物語が紐づいているような読み方も楽しい。

気負わずに流れていく川を眺めるように、ふと目を止める瞬間を重ねていく。のめり込んでいくことが、それを全て把握しなければならないとか、一体何の役に立つのかと言った義務感によって重荷になってしまうのは悲しくないだろうか。

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