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【エッセイ】双極性障害、一人暮らし。③


一人暮らしを始める理由は、親子関係が悪いから以外に無かったが、「夢だったから、チャレンジしてみたい」と前向きな理由を伝え、応援してもらう形で家を出ることになった。
私の場合はそれがベストだと思ったし、今でもそうして良かったと感じている。

実家にいた時の家族関係

私の実家の空気には波があった。
例えば母の体調や給料前。
月に1回程度、空気が変わるタイミングが存在していた。
毎月同じ理由で夫婦喧嘩をし、解決しないまま時間が解決して、また1ヶ月後に喧嘩になるという流れだ。
喧嘩の声が聞こえることもストレスだったが、母は父に対する不満が解消されないと、私に八つ当たりをするので、そっちの方が問題だった。

家事の分担について揉めていた時の事だ。
私が週5日働けていなかったこともあり、家事を多くやるよう言われて洗濯機を回そうとした。
母は洗濯に対してこだわりが強かった為、普段洗剤はどれを使ってるの?と聞いたところ、「知らない。ネットで調べれば?」と突き放した態度を取られた。

洗濯物を干した時の事だ。
母は見るなり、「下手くそ。これじゃ乾かない。やり方が違う。」と文句を言った。
後から聞けば、Tシャツを洗濯バサミで干す時は、布地を二枚重ねて干さないようにしてほしかったらしい。

私が家族のために料理を作った時のことだ。
父、妹は美味しいと言って食べてくれたが、母は一口も食べず、「 「味が濃そう。自分だけで食べて。」と言ったのだ。

自分で言うのもなんだが、最低限の家事はできていたように思う。
おかしな干し方をしていたとは思わないし、料理も中学生からやっていて、レシピ通りに作ったから不味くは無いはずだ。
私がどれだけ家事をできるようになろうと、不機嫌になった母はなにか文句を見つけては八つ当たりをしてきたのだろう。
今だからそう思うが、当時はどうすればいいのか分からなくてただ混乱していた。

* * *

生活費についてで揉めていた時だ。

父は私に対し、生活費は入れなくていいという。
母は生活費を出させるべきだという。
私は、コンビニで5000円分の食べ物を購入してくるような金銭感覚の母に生活費を渡したくなかった為、食事は自分で用意して食べるようにすると提案した。
母との話し合いの結果、食費は自分で持つという話で決まった。

大きな冷蔵庫には私の使うスペースが確保されており、食材を入れるのには困らなかった。
時々間違って食材を使われたりはしたが、許容範囲だ。
自分で料理をして、部屋に持って行って食べる。
案外快適で気に入っていた。

だが父は「1人だけ一緒にご飯を食べないなんておかしい」母にそう言っていたそうで、結局途中でまた一緒にご飯を食べることになった。

だがそれから母の機嫌が悪くなると、「食べないで。自分で作って。」と、食卓に並ぶ食事を食べることを許して貰えなくなるようになった。
1人分ご飯を用意して食べることに対して不便は感じなかったので、そうするとまた買い物に出かけて、キッチンを使って料理をして部屋で食べた。
私としては、ルールがコロコロ変わってしまうことの方に困っていた。

その日も言われた通り、自分で食事を用意しようとリビングに降りた。
リビングのテーブルの上には食事が所狭しと用意されてるが、自分が食べてもいいものじゃないという認識があったからか、見ても食欲は湧かない。
冷蔵庫の中を確認すべくキッチンに向かうと、「なんで一緒に食べないの?座って、一緒に食べよう」母が言った。

その日は一緒に食べたが、体が変に緊張して、食欲も湧かなかったし味もわからなかった。
でも確か、給料日後のことだったとは思う。

* * *

一人暮らしをしてからの家族関係

現在では、予定のない週末は実家に帰り、一緒に夕飯を食べるのが恒例となっている。
相変わらず夫婦喧嘩は頻繁にしているらしいが、巻き込まれていない私には気持ちの余裕があるため、両親の愚痴を聞くくらいはどうってことはなくなった。

月末には家族全員でホームセンターに行き、日用品を買ってもらったり、スーパーでいつもは手の届かない食品を買ってもらったりする。
その代わりになっているかは分からないが、私は実家に帰るとスマホの操作を教えたり、たまに夕飯を作ったりする。
程よい距離で、トラブルはなくなった。

縁を切らなかった理由

私の母は多分発達障害だ。
多分というのも、以前母に通院やカウンセリングを勧めた時に、「調べたらなにかあるかもしれないけど、だったら何?って思う。自分は自分だから調べる気は無い」と言われたため、母を尊重して、“多分”とさせてもらう。

幼少期を思い出すとやはり、母には特性のようなものがあって、子供ながらに苦労したことを覚えてる。
一方で愛情深く育ててくれたこともまた事実だ。
子は親を嫌えないようになっているなんてよく言うが、私もそれに則っているのかもしれないとも思う。
それが縁を切らなかった理由のひとつかもしれない。

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