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多様性について学ぶ大学生の葛藤。

どうも、ちょろちゃんです。
私は大学の専攻が国際系で、今期は「多様性」をメインに講義をとっています。
(主にダイバーシティ、ジェンダー、宗教etc…)

まだ春季の講義は4回程度でまだまだ序盤ですが、こうした内容を学ぶ上で、引っかかっていることがあります。
一言で言うと
外の人間が学んでも、その先に何があるのか、ということ。

ジェンダーの授業ではLGBTQ+の定義、またさまざまなジェンダー間の恋愛がいかに描かれるのかを漫画を例に学び、

ダイバーシティの授業では留学生、技能実習生、移民、障がい者等いわゆるマイノリティについて問題提議をしつつ学んでいます。

多様性とか自分らしく個性を出すことが良いとされる風潮がある今、相手のことを理解せずに語るのは失礼であると感じたから、学び始めました。

しかし知識を得ていく中で、私たちが関わることができる課題もある一方で、中途半端に関わるべきではないのではないか、と思わされることも多々あります。

自分も摂食障害やうつの症状をもつ、マイノリティとしての一面もあるから、理解されない苦しさがわかるし、中途半端な知識を持つ人に助言などされたいとは思いません。

ちょうど先月末、PRIDEウィークがありましたが、私のようなマジョリティ(ジェンダーの観点では)とされる人は賛同するから参加してもいいのか、と言われたらNOと答えると思います。
それは摂食障害ではない人が「世界摂食障害アクションデイ」に参加するようなもので、否定はしないけど、どうなのか?と思うのです。

世界には戦争、貧困、自然災害などたくさんの問題があって、それらを講義で学んだ時、「まずは知ることから始めるべき」という結論が目立つ気がするんです。

知らなくても生きていけることを学ぶこと自体は良いことだけれども、知識を得ることに留まらず、行動に移すことって一部の人しからやらないことで。

でもそれは問題に近づきすぎても、遠ざかりすぎてもいけない気がします。

この問いにきっと答えはないです。

でも、マイノリティの当事者としての視点を持つ私としては、誰かに悩みを打ち明けた時に、その相手に知識があれば、素の自分を出せる、より深い関係になれるかもしれないと感じます。

そう思えば、自分が誰かにとって素直でいれる人間になるために、もっといろんなことを学んでいきたい、誰かが生きやすくなる世の中になるために、学んでいるのか、と腑に落ちました。

以上、私のひとりごとでした。笑
ここまで見てくださった方ありがとうございました。



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