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おじいさんとおばあさんの性欲がわからない

ダッシュしているおじいさんは少ない。幅跳びが趣味だというおばあさんも少ない。

おじいさんとおばあさんはーーとてもとてもご高齢のかた達と定義するーー家の背の低いゆったりとした椅子に座っていて、来訪者を手招きして、ふふふと話に興じる。遊園地やキャンプ、バッティングセンターに集合して遊び呆けるおばあさんは少ないと思う。

いくつか理由はあれど、単純に身体的にそこまで活動するのがどうしたって難しい事実がある気がする。だからじっとして、お話しする。そしてそれはけっこう楽しい。

あぁ、その気持ちがわかりすぎる。じっとしてお話しするのは楽しいし楽なのだ。

私はおじいさんやおばあさんよりも何十歳も年下で、同世代はだいだい四六時中どこかに行って遊び呆けている。だけどずっと昔に大病を患って、だから人より動ける量や時間が少ない。

一番楽なのは、お家に誰かを招いて、コーヒーを出し、ふふふと話に興じることだ。それは簡単なようで案外むずかしい。

おしゃべりと性

今のところ平均的に、じっと座っておしゃべりを楽しむのは男性よりも女性のほうが肌感的に多い。そして私くらいの年齢の男が、誰かを部屋に招くという行為は、どこか性的な意味も含まれるらしい。

人によってはほんの1%未満で、人によっては100%に近いようだ。困った。

こちらは普通におしゃべりがしたくて家に招くのだが、来るほうが身構えたりドキドキするケースも多いらしい。らしい、と書いたのは何度かそれで注意されたからだ。

とある女の子と仲良くなって、その人を紳士的に家に誘い、お茶をして、そのまま解散したことがあった。後日その女の子の共通の女友達から面と向かって「〇〇ちゃんはどうにかなってもいいと思って行ったんだよ、それを普通にお茶して終わりって何」と怒られた。

違った誰かを家に招いてお茶だけしたら、これまた後日にある女の子から「いや、もういっそ抱いてくれ」とストレートに言われたこともある。えっ、そうなの?

ついこの間も、私の考えを全て伝えて、「今の時代はもう『家に行く=何かある』と思う人のほうが圧倒的に少ないと思うよ」と言ってくれた人でさえ、いざ招くと「何か」を期待されてしまった。

うーん、難しい。体力がないしあまり動けない=家に呼ぶという公式は、私にしか当てはまらないようだ。

餅は餅屋、ということで、友人であるおばあさん(会社の社長のおかあさん)の家に遊びに行ったときに、それとなく相談してみた。

「そこはあなた抱くのよ。家に招くのはふふふと話したいからじゃないの。年齢は関係ないの、抱くのよ」とおばあさんは言った。

世界は広い。この世は知らないことだらけだ。世代で括っちゃいけなかった。きっと個々人の問題なのだ。

とはいえ世代的な傾向自体はあると思う。でないともし私がおじいさんになっても、誰かを招いてお茶だけしたらきっと怒られてしまう。それは嫌だ。

このおばあさんの意見はおじいさんとおばあさんの世代の中でどのくらいの位置づけなのだろうか。

ーーぱっと思いついた、仲の良いおじいさんとおばあさんの家に行って聞いてみたいと思ったけど、特別な意味を持たせたら申し訳ないからまだ実現していない。みなに幸あれ。

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