世界の帳尻を合わせてくれる「帳尻アリ」を知っていますか?
いつものように恋仲になりたい女の子が私のアパートに遊びに来た。彼女が一人で来るのはもう3回目で、私はそろそろ告白したいと考えていた。
これまたいつものようにコーヒーとミルクを出し、しばらく談笑かなと思っていたころ、彼女が「ハサミを貸してくれませんか」と言ってきた。
ハサミはクロゼットの中の衣装ケースの中に入れていたので、そっとクロゼットを開き衣装ケースを開けると、なかに一匹のくろぐろとした巨大なアリがいた。
「えっ!」と思わず大きな声が出た。だってここはアパートの3階で、しかも窓から一番離れた場所にある。部屋でアリなんて見たことがないし、ましてやクロゼットの中の、しかも衣装ケースの中に巨大アリがポツンといるなんて予想もしていなかった。それは今まで見たアリの中で一番大きかった。
とにかく女の子に知られてはいけない、と思っていたら私の驚いた声につられた女の子がいつの間にか真後ろに来ていた。女の子は驚愕した私の顔を見たあと、衣装ケースの中にいる一匹の巨大なアリを見て当然のようにこう言った。
「あぁ、帳尻蟻ですね」
「えっ、チョウジリアリ?」
「そうです、どの家にも必ず一匹いる、世界の帳尻を合わせてくれる蟻です。部屋の住人の抱えきれない不安の気持ちを少し引き受けてくれたり、反対に過剰に喜びすぎていたら適度な喜びになるよう吸い取ったりする、その人が少しでも楽しい生活を送れるように帳尻を合わせる蟻のことです。良い蟻なので絶対に部屋から追い出したらだめですよ」と言い、「やっぱりあおさんの家には居ると思っていました」と言った。
なんで、と私が聞くと、だってあおさんこの間「この5~6年一度も蚊に刺されていない」って言ってたじゃないですか、そもそも蚊すら全く見ていないって。そんなことあります?と言った。
「えっ、帳尻アリって蚊も引き受けてくれるの?」と驚いて聞くと、
「そうですよ。ほらこの蟻、ところどころブツブツができているでしょう。あおさんの分を引き受けてくれたんですよ」と当たり前に答えた。
帳尻蟻と自意識の高さ
私は正直、帳尻アリのことは全然信じていなかったのだけれど、元来変わった女の子が好きなのでそれはたいして問題ではなかった。それどころか、彼女が「帳尻蟻」と言う度にきゅんとしていた。帳尻蟻、なんだか響きが良い。
「それでこの帳尻蟻はですね〜」きゅん。
「わたしも小さなころ帳尻蟻に〜」きゅん。
「おばあちゃんと帳尻蟻が〜」きゅん。
と一人きゅんとしてたら、でも、と女の子が言った。「でも、こんなに巨大でパンパンに破裂しそうな帳尻蟻は初めて見ました」
えっ、ほかの人の帳尻蟻はもっと小さいの? なんだかそれとても恥ずかしいよ。
よくわからないけれど、帳尻蟻はその部屋の人間の自意識とかを吸い取ってバランスを取ってくれているのだよね。今の言いかただと、帳尻を合わせてもらっている人の帳尻蟻ほど巨大になるってことだよね。ということは大きいのはマイナスなのではない? 蚊には全部僕が刺されるからそんな些細なことまで引き受けなくていいよ。
私は普段から疑問を抱きすぎるところがあるので、本来なら5~6年ものあいだ蚊に刺されていないし目撃すらしていないことが不自然だと気づいたはずだ。たぶん疑問を抱きやすいところを帳尻蟻が調整してくれていたのだろう。そんなことしなくていいからもう少し小さくあっておくれと思った。
結局その日は女の子に帳尻蟻の生態について詳しく聞いていたら時間が経ちすぎてしまいーー帳尻蟻は本当に色々なものの帳尻を合わせているらしかったーー夜になる前に解散した。
帳尻を合わせてくれないもの
後日、私は勇気を出して女の子に告白して無事振られた。
これはあれだな、帳尻蟻の仕業だな。帳尻アリが僕と彼女の好意指数のギャップをキャッチしてしっかり帳尻を合わせたのだな、つらい。
そして、女の子にモテたいという私の気持ち自体は、帳尻蟻をもってしてもトゥーマッチなのだろう。少しも引き受けてもらっている気がしない。
モテる男への道はまだ遠い。
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