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子どもの心配事を先生などに打ち明けられたときの負のループをなんとかしたい。どうしたらよいの?

他人に言われたことに心揺さぶられ落ち込み、何かしなきゃと思うことが多い。

世間は自分軸ブーム。
それで、自分軸を大切にしたら他人の言動に一喜一憂せずに済むのかなと思っていたけどどうもそうはならない。

自分のことは別にどうとでもなるのだけど、最近悩むことが多いのは子どものこと。

特に、子どもの心配事を保健師さんや学校の先生や学童の先生から打ち明けられた時。
私の心臓はバクバクして暫くは他のことが手につかなくなる。

どうしよう。
私のせいだ。
私がいけないんだ。
なんとかしなきゃ。
学童、やめさせないといけないのかな。
私のせいで子どもの人生が狂ってしまうのかな。

そんなふうに追い込まれる。

だんだん抱えられなくなり、夫にこぼす。
「ねえねえ、こんなふうに言われたんだけど、私にどうしてほしいんだと思う?私何がいけないことして咎められてのかな?」

すると、夫は呑気にこう言う。
「ただ、思うことを伝えただけで、どうこうせとかないんじゃない?」

すると、私は理解できなくてパニックに陥る。

「だってさ、改善してほしいから私に伝えてきてるんじゃないの?」

以下こんなやりとり。

夫「別にそうとは限らないよ」
私「意図を押し測るのに疲れるよ」
夫「別に聞いておけばいいだけじゃない」
私「だいたいさ、なんで私にばかり言うのかな?母親は子どものしつけと教育に責任があると思って母親にわざわざ言ってきてるんじゃないかな?」
夫「知らないよ」

夫のように生きれたらいいのにと思う。

各種先生など外部から受けた子どもの心配事の話は、実は私にとって消化不良となることが多い。

上の子は話しができるから子ども本人に状況を聞くと、先生らの言うことと噛み合わない部分も多く、振り返りが有効に成立せず消耗して終わる。

「やめてと言われたらすぐやめよう」とか「勉強タイムはうるさくしないようにしよう」とか、せいぜいそんなの当たり前と言う内容を表面的に確認するくらい。

子どもって保育園を出たらそのあとは自分でなんとかする力が俄然問われるわけだけど、それってつまるところそんな力を親が備えさすことを周囲は期待する。親、ってつまり母親で。

と、私は負のループに陥る。

なんだかんだで学校の先生も学童の先生も、父親という存在には良い顔しかしない印象がある。母親には子どもの欠点をガンガン押し付けてくるというか…まあ、それは完全に被害妄想なわけだけど。もうそうとしか思えなくなってくる。先生たちは何も悪くないのに…。

夫からの助言は、
1 先生にこちらで何をしたら良いかと聞く
2 何かしろと言われるまではただ聞くだけ
とのこと。ふむふむ。

1って、抵抗がある。子どものこと丸投げしすぎと思われないか?
2って、モヤモヤする。私にとって欲しいアクションがないのだとしたら、ただただ、「あなたの子どものとこで私困ってるのよ〜」みたいにダダ漏れにしてくるのどうなんだろう。それならその先生はそこにいる意味がないんじゃない?いや違う、きっと、「このままでは息子さんが困ることになると思うんですよ、聞いてください」かな?だとしたらやっぱり私は、子どもと協力して、なんとかするために何かするべきなんだよね?!

このように、私は拗らせている。 

子どものことに限らず、私には思考の癖がある。

私が何かしないと

これだ。

人に求めるべきこともなぜか、私の方でもできることを探します、というスタンスでいってしまう。

この思考は仕事では感謝される反面、かえって人に迷惑をかけることも悪用されることもありとても厄介に思ってきた。
つくづく、思考の癖との付き合いは難しい。

夫のアドバイスをそのまま実践するには至らないけど、今までの自分とは違うアプローチでやっていきたいなあと切に思う。

まずは、自分がなんとかしなきゃと思う思考の癖に自覚的になることかなあ。

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