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ワーママ。長年働くモチベーションとしてきたことが破綻してたので、改めて何のために働くのか考えてみた。

よくもまあ、40を過ぎてなお自分の生き様に悩めると思う。

最近、子どものことで悩みが多く、脳のキャパシティがキツくて仕事をする上で辛みを感じる。

もっと心や頭を、なんなら時間も使わずに働けないか…

もはやマジメに働けてるというレベルかも怪しいのに、情けない考えが脳裏をかすめる。

そもそもなぜ私は働きたかったのか。
世の中のため?誰かのため?お金のため?

皮を剥いでいくと一つの真理に辿り着く。
配偶者と生きることに失望した時に経済的理由で離婚を諦めずに済むように、だ。

母から父の愚痴を聞いて母のストレスの吐口になって育った影響だと思う(母と父は結局は離婚もしていないし諍いはあれど仲良くやっているようだ)。

母には、離婚したら、とずっと言いたかった。母は、言い訳のように、別れてもお金に困るからと言っていたけど、なんだかんだで母は父が好きでもあったのだ。

両親の喧嘩の多くもお金にまつわることだった。

だから稼ぎたかった。

夫婦円満でいられるよう。
離婚したければすぐできるよう。

あれ?このふたつ、矛盾してないか。
仲良くいたいの?いたくないの?
お金があったらよいに越したことないけど、そのお金で何がしたいのか、が大事だったのでは?

問題が発覚した。私は小さい頃の思い込みを大人になってもこじらせていたのだ。

結婚生活をいつでも終えられるようしっかり働いて稼ぎたい!って、おかしくないか?なら無理に結婚しなくてもいいのでは。結婚しないと何がまずいのだろうか?これも、どうせ両親からの刷り込みだろう。いかに自分の気持ちと向き合わずに生きてきたか分かる。

今、私は夫と子どもとまあまあ仲良く楽しくやっている。喧嘩は滅多にしない。決して裕福とかではないけど、お金のことで喧嘩はしていない。

では、どこまで稼ぎが減ったら、家庭が不和になるだろう?子ども達にかけたいお金を確保できるだろう?この点はしっかり見極めたほうがよさそうだ。

すぐに別れられるように自分の稼ぎがあった方がよいっていう考えは、ちょいと修正した方が良い気がする。人はいつ病気や事故で働けなくなるか分からないのに自分だけいつまでも稼げる前提は成立しない気がしたからだ。

私や夫に何があっても子ども達が路頭に迷わないように健康なうちは夫婦とも収入を得た方がよい、とかのほうがしっくりくる。

そう考えていくと、長い目線でリスクを考えながら、家族のために低空飛行でも仕事の歩みをやめないほうがよいのだろう。自分の息抜きや研鑽のためとかも働く意味としてありだけど、あまりに余裕がないときは自分の息抜きや研鑽なんて後回しだ。

もちろん、子どもの健全な育成に支障をきたすなどの急な事情があれば家計より家族のために動ける時間を優先せざるを得ないかもしれない。その時は、家族で引越しなど考えないといけないかも。そう、考えをアップデートしないといけないのは、行動の単位が私でなく家族になっちゃってるからだ。

同じ仕事で週休3日制の会社に転職とか、好条件な職に変えるとか、副業?とか、リスクを抑えて利を取れる方法があれば最高だがまあ、夢だけ見てても仕方ない。

いずれにせよ、心の中にある、埃をかぶっていた考えを更新できたのはよかった。

小さな頃の思い込みは捨てて、今自分が素直に考えていることを大切にしようと思う。

私が働くモチベーションは、家族がなるべく仲良く、不安を和らげて暮らしていくため。

これでいこう。

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