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反対意見が全くないことはない、ワーママ人生の岐路を振り返る。

全ての人にとって完璧なもの、はあるのだろうか。

おそらく、ない。

激しく愛されるものは、激しく憎まれるだろうし、ほんのり好かれるものはほんのり遠ざけられる、だろうと思う。

好評なものでも、必要なものでも、必ずどこかに困る人や嫌がる人がいるものだろう、と思う。

誰にでも公正でなければならない実施事項はなるべく反対がないようにしないといけないだろう。

しかし、個人的な選択においては特に、「みんな」とか「世間」とか、実態のよくわからない人のことを考えて選択しないほうがいい、とは思う。

例えとして私の人生の岐路を振り返ってみる。

まだコロナ前で待機児童だらけだった頃、保育園に上の子を入れた時も、「まだ早すぎる」と言う人もいた。

だけど、じゃあ、0歳枠を逃して保育園に入れなくて退職に追い込まれたら?結果として私は、5ヶ月の上の子を保育園に入園させることを選んだ。それから7年、様々な困難はあったけれどその選択をできたことをありがたいと思っている。


上の子が2歳のとき、オンラインでイギリスの大学のMBAを始めて40歳になる前に卒業した。

仕事もある上に子どもが小さいからそんなことしている場合ではないと言う人もいた。

だけど、じゃあ、40歳になったときに30代の私によくがんばってきたねと言えるだろうか?結果として、上の子ができることが増えて病気もしなくなったちょうど3歳近辺でなければとても勉強する時間なんてなかったからMBAを取っておいたことはよかった。卒業してすぐ下の子が誕生したのである。

もし、第一子の産休復帰を誰かの言うままに運に委ねて仕事を辞めることになっていたら、もし、MBAを取らずに育児と仕事だけに追われていたら…

その次に起こる選択もなかったかもしれない。

キャリアは偶然の出来事の積み重ね、という説もあるしもちろんそういう側面があると思う。

けれど、自分で選べる局面では、自分がのちのち後悔しないように選択をすることで、「この選択を悔いたくない」という気持ちが生まれる。そして今この場を踏ん張れるように思う。

選択とは結果を背負うことに等しい。「誰か」のための選択の結果を背負えるか、おそらく難しい。

人生で今一番大変だと思うことは、子どもたちを育てるという大仕事である。もちろん、生活を回しながら仕事も続けることも含めて。

そんな死に物狂いの子育てを、どういうわけか、2人分もすることを選んでしまった我が家。しかも、「下の子がほしい」と強く主張したのは私で、夫は「大変だよ、もう既にひとりいるのだからいいじゃない」と引き気味であった。

私が毎日大変だよ!と弱音を吐こうものなら「自分のわがままでほしがったんでは?」とヤジが飛んできそうで余程の覚悟がなければ弱音は吐けない。

じゃ、なんでそんなに2人目が欲しかったのかを紐解きたいと思うのだが、過去の記事を見ても、「だってそう思ったのだから」くらいのぼやけた、しかし、火をつけられようが水をかけられようが決して譲らない意思だけがあったことが感じられる。

今、何もかも疲れていやになって「もうだめ、投げ出したい」と思うときに、ふたりの子たちの顔を思い浮かべるととても不思議な気持ちになる。

私の意思があったからこの子たちに会えたんだな、と。しかし、そんな強い心が自分にあったのだろうか?

もしかして、前世で大きな罪を犯して今世で徳を積むために神様が私に修行をさせてくれたのかもしれないし、逆に、前世に徳を積んだから神様がご褒美をくれたのかもしれない。

もはや、自分で選んだというより強い力で選ばされたのかもしれないと思うぐらい、共働きで2人を育てることが頭で考えたらとても選べないハードモードな選択であると感じている。

これが自分の殻を破るということかも?!

この道を選んでよかったとどこかの未来で思えるよう毎日を生きている。

#自分で選んでよかったこと

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