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小学校1年生で発達についての問題を指摘されてからの流れをご参考に。2年生からのルーチンを整え中。


不安ながら始まった小学生生活


幼い頃、長男はミニカーを横に並べていた。

子どもとはみんなこんなものだろうと思っていたけど、ものを並べる作業は自閉症スペクトラムの子の典型的な行動だとずっと後になって知る。なお、下の子がミニカーで遊ぶ頃合いになっても、全く横には並べない。

保育園の年長さんの春に園から集団行動が苦手そう、こだわりがある、などの理由で発達支援の相談を勧められた。結果としては、得手不得手はあるけど支援の必要なしとのことだった。
むしろ、運動面など、支援してほしかったけど家庭と園でなんとかなるレベルとのことで園と役所の板挟みになった。

きっと、息子はなんらかの発達上の課題があるんだろうけど程度が微妙なんだと知りつつ小学生になった。

1学期の危険信号

小学校に入り、新しい環境に知らない先生とお友達と、慣れない授業。

案の定、1学期に、「座っていられない、お友達とトラブルになる、手先が不器用、チック症状」など次々と指摘をもらった。クラス中が不安定だったのか、息子はどこか落ち着きもなかった。

これまでの息子でなくなったような不安な気持ちになるものの、夏休み明けてから徐々に本人は落ち着いていった。そして親は息子をサポートする体制構築に奔走することになった。

支援を受けるためにしたこと

まずしたことは、2学期に授業中の支援の先生をつけてもらうことだった。これは保護者が承諾したら先生が手続きをして下さる。

次に、「特別支援級への通級」の申請をした。

この申請には、ウィスクと呼ばれる発達検査を受ける必要がある。発達検査は、児童精神科で9月に受け10月に結果をもらった。申請は、区へ。区の職員である発達心理士の先生と保護者が面談して、申請にかけてもらえることがわかった。2月か3月に結果が出るという。それで審査が通れば、2年生に間に合う。

次に、特に学校生活で支障を感じていてうちで対策しづらい「体幹が弱く座っていられない、体の使い方がわからなくて物を落としたり人との距離が掴めない」問題をなんとかするために療育へ通うことを考えた。

療育へ通うための「受給者証」を区からもらえるように医師の「意見書」を発行してもらい、区の支援センターで直接職員さんに面談してもらいつつ申請を行なった。これは1月度に行い、2年生の4月からの通所に間に合う。

療育施設は、知人が複数人通うところの様子を聞いてそこにエントリーしたら「来年度から空きが出る」と連絡をちょうだいした。すぐに、利用希望を伝え、受給者証を取得中と伝えた。ちなみに、受給者証はギリギリの3月に発行される。

小学校1年生からの支援体制構築

未就学児のうちにそうした支援と繋がっている子どもたちはそのまま進級したら類似の手続きを小学生進級で取ることになる様に見受けられる。発達検査を受け直したり、通所サービスを小学生も対応している場所に変えたり、などなど。

1年生で初めて「なんかしないといかん」という状況になった場合、つまりうちはこのパターンだったけど、タイミングに注意が必要だった。

1学期最後の日にたまたま風邪で休んだ子どもの代わりに荷物を取りに行った時に、急に様々な支援を受けることを勧められた。
(期中の個別面談はそれほど深刻ではなさそうだったのに急でびっくりした)

学校のカウンセラーさんとの面談を夏休み明けすぐにもって、すぐに発達検査の予約を取った。そこからあれこれを順当に進めても、2年生4月からの「特別支援級通級」「療育の利用」の申請にギリギリだ。

支援級の申請は1年生10月に学校から行い、受給証の申請は直接区に行った。これは年明け1月が期限。それまでに療育施設を決めて(あまりギリギリだと空きがない)医師の意見書をもらう必要がある。

そして、2年生を迎えることに。
支援級も療育も、サービス利用が確定するのが3月だし、最初はバタバタするはず。

発達障害と小1の壁

一連の手続きや気苦労は小1の壁だったけど、おそらく、2年生になっても支援級はどうか療育はどうかとフォローがあるから小1の壁はまだまだ続いていくことになる。

ちなみに、小学校に入ってから息子の問題行動を聞くたびにパニックを起こしていた私も心配事の傾向や波が見えてきた。また、先生が交代してから息子はとても落ち着いたと思う。私も落ち着いて息子の特性を捉える様になった。

学校の先生やカウンセラーさんや区の方やお医者さんに何度も息子のことを話しているうちに、だんだんと未知なるものが既知になり、サポーターを得て不安が安心になっていった。

息子との旅は、まだまだこれからだけど、昨年夏新世界の入り口にいた私にこの記事を届けたい。

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