子どもの成長記録。もし好きな時間と場所に戻れるならあの日のきみに会いたい。
休みのお昼前。
突然、下の子が、「お外へ行きたい!」と言う。
ベビーカーの入っているシューズクローゼットの扉に指を引っ掛けて一生懸命ベビーカーを出そうとしている。
もうすぐお昼ご飯の支度をしよう思っていたのに…!
なんとかなだめて、「ご飯食べたらでかけよう」と夫が説得しようとするも、どうにも聞かない。
驚いたことに靴下を引っ張り出して準備万端!
靴も履こうとしている。
諦めて、連れ出すことにした。
きっと、家の中にいるのに飽きてしまったのだろう。何度も、公園に行こうと誘ったのに乗ってくれなかったのに、理不尽だ。
おそらくお昼時間にかかると踏んで、上の子のお昼ご飯をやっと起動している夫に託す。
こっちはタイムトライアルだ。
ちっこいアンパンマンのお弁当箱にご飯を詰めふりかけをかけてチーズとソーセージとポテトサラダを入れて即席弁当を完成させた。スプーンとフォークのセットをかばんに突っ込んで、早く早くと急かす下の子となんとか出発しようとする。
上の子が泡を吹きそうな私を見て「大変?」と声をかけてきた。
「体が一つしかないからねぇ」
(ごめん、息子よ、君の宿題をまだ見てない!帰ってきたらやってもらうよ!と心の中で思う)
一緒に行くか上の子に聞いたが「ぼくはいい」と断られてしまった。
上の子は突発的な予定変更やどこに行くかわからないお出かけは苦手だ。即席弁当を持ってまだ目的地もあやふやなままで出かけようとしているママについて来ることはないとは思っていた。けど、やはり少し寂しかった。
「ママ、ぎゅーってしよう」
一瞬寂しいと思ったのがバレてしまったのか、ぎゅーってしていいと言うので上の子をぎゅーっとした。
「ありがとう、〇〇、だいすきだよ。ほんとにきみはかわいいね」
ただその辺の公園に行こうとしているだけなのに泣きそうになってしまった。
しかし、行くしかない。
下の子を乗せたベビーカーを漕ぎ出していつもの大きな公園へ。
大きくて遊具も木も噴水もスタバもある公園。
「おべんとう、たべよ」
遊びに夢中なところそう何度か声をかけた。
「おべんとう」が何か考えてごはんだと分かったような顔を向けてくれる下の子を見て、あぁ、上の子とも花見をしてお弁当を食べたことがあったなぁと思い出す。そのときも「おべんとう」と言う言葉を上の子は嬉しそうに繰り返していた。
遊んでお弁当を食べてそしてスタバでオレンジジュースとストロベリーティーラテをテイクアウトした。おひさまに包まれてお茶の時間を楽しむ。
ところで、下の子との公園デートは楽しい。
言葉が拙くても反応が早いし、言葉もだんだん上手になりなんとなく2歳なりの意思疎通がとれて、モノの名前を教えたり歌を歌ったり、目を見て会話をして、通じ合っている感じがする。
上の子は少しばかり勝手が違っていたと思う。表面的なコミュニケーションはなんだかチグハグで、上の子の独特な世界に私は魅力されたりついて行けなくて取り残されたり驚いたりと忙しかった。でも心の底で繋がっているといつも思えていた。
オレンジジュースを飲み終えるかおえないかのうちにだんだんお顔がトロンとする。帰り道に寝てしまいそうだ。
前に下の子と2人で公園デートでスタバに寄ったのは夏だったのかもしれない。記憶を手繰り寄せるとnoteがあった。まだ、歌を歌ったりお話をしたりはしていなかったから、だいぶ成長してしまったんだなあ、とまた切なくなる。けれど、おしゃべりができたり楽しく過ごせるようになったのは嬉しい。写真をたくさん撮った。
公園の桜の木のつぼみがピンク色に見える。
また桜の季節がやってくる。
「桜の木は春になると花が咲くよ。ピンク色の花だよ。」
と下の子に言うと、なんの色が好き?の歌を歌ってくれて、そして「ピンクー!」と自分で答えていた。やっぱり、この子はコミュニケーションが上手なんだろうなと思う。
公園を立ち去るとき私は痛烈に思っていた。
タイムマシンがほしい。
上の子が1歳の春休みに2人きりでこの公園に散歩に来た。まだあんよが下手くそだったので手を引いて桜の木の下で歩いたり、抱っこをして桜の花びらに触ったりした。どの木かまで思い出せるくらい鮮明な記憶で、少し寒い日だ。
その時noteがあれば。なにか書き残していたはず。
でも、私は覚えている。
育休から復職して1年が経ってずっと不安だった私を、力強く勇気づけ励ましてくれた上の子を頼もしく、愛しく感じていた。
まだ喋ることもおろかうまく歩くことさえできない1歳の我が子の笑顔に、泣き顔に、私にしがみつく腕の力に、寝そうなときの無防備な姿に、その存在全てに私は救われていた。まるで私が守られていると感じていた。
ちょうど6年ほど前、上の子の1歳児クラス進級直前の休日、同じ公園の、桜の木の下にいる息子に会いたい。そしてぎゅーっ、をしたい。そう思った。
私にはタイムマシンはない。
だけど、私がこの世から旅立っても、あの桜の木はまだ残っていると思えばさみしくないかもしれないと思った。
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