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今年のふりかえり。子育て編「馬より龍より早く筆を走らせよう!」

「ママ」

7年前に私が得た私を呼ぶ名前。
案外その有効期間が短いらしいことを知った。

7歳の息子が突然言った。
「もうすぐママじゃなくてお母さんって呼ぶから」

えええ?!なんだって?!
問いただすと、再来年の1月末がエックスデー。
あと一年ちょっとはまだママと呼んでくれるそうだ。

一番最初に話してくれた言葉だってママだった。
怒った時、泣いた時、お腹が空いた時、褒めてほしい時、甘えたい時。
いつだって「ママ」と言っていたじゃあないか。

しかし今なら、お腹がすけば「お腹が空いた」と言い、怒っている時は「なんでこうなるの!」と叫び、見てほしい時は「ねえねえ見て」と言う。
別にもうママでなくてもいい。
それに、お母さん、ってなんか、「僕」と「お母さん」の間に距離を感じるじゃあないか。

下の子はまだ2歳。
いつか彼も、「もうママとは呼ばない」と言うのか。

とてもさみしい。

寝付く前に背中にくっ付いた息子がママと呟いたとき、「ママ」と言う言葉の余波の大きさに驚いた。

幸せは手に入れるものでなく、常に過ぎ去る瞬間にだけそれが幸せだったと分かるのかもしれない。

衝撃だった。チャンスの神様は前髪しかないなら、幸せの神様は後ろ髪しかないのではないか?

このnoteを始めた頃、赤ちゃんだった子どもが個人を持ち始める何とも言えない嬉し寂しい気持ちを吐き出してきた。エモくて痛い。

もう、逆らえないこの流れに乗るしかない。
そう思う中で、子どもならではの様々な悩みと小1の壁という渦に巻き込まれて息継ぎしてきた。子どもの成長を見ては焦り、安堵し、新たな壁にぶつかり…。

必死さのおかげで、エモ死を免れた。
親子とも生きていくのに必死である。
毎日が闘いであり、そんな毎日が同時に宝物であるという盛大な矛盾。

そこへ来て突然の「ママ」終了予告。

あと一年ちょっとしかない。

だから私は急ぐことにした。

急いで急いで、子どもへ感じる思いや気づきをどんどんと書いていこうと。


今年僅かながらも、書いてきてよかった。

✏️

こんな恥ずかしいものを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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どうか、良いお年をお迎えください。

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