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子どもに教えられたこと。子どもの運んでくる幸せとは、なんぞや。

生きていくのも大変な世の中に、しかも先の明るくない日本に子どもを産み落とすことの功罪なんかを語る人を見かける。

生きていくのがしんどい、産んでもらいたくなかった、と話す若者を何かの番組で見たことも。

幸福度調査で子ありが子なしに、孫ありが孫なしに負けてるなんて記事もあった。

その反面、子どもをもつのはリッチな人に許された贅沢、なんて声も聞く。

結局のところ、子どもを待ち焦がれる人も、まあまあ子どもに会いたい人も、子どもがいなくても良い人も、その人が納得するかどうかしかないように思えている。

私の場合は、平凡と言っていい母親から、とくにこれといった何かを遺伝的にも相続上も授けられず生きていく2人の男児に、やはり「生きてくの、大変だよね、ごめん…」と思う。

でもなぜか、ふたりに会えたことについて神様に感謝せずにはいられないのである。

伸びしろのほどは不明でも子育てを通してまだまだ、成長しないとなぁ、も思わされる。

子どもが親にもらたすものは計り知れない。
子どもの見せてくれる新しい世界、子どもがいるからできる経験、親族の喜ぶ顔、覚えておききれないくらいのたくさんの思い出など…。
苦労もあるけども、たまにもらう笑顔や言葉に背中を押されてここまで来た。

子育てしているどんなときに私の幸せ貯金は増えているのだろうか?

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最近、7歳のお兄ちゃんはうまく行かないことがあってかトゲトゲしていた。

トゲトゲしていると、無駄に怒りっぽくなったり宿題を後回しにするようになる。酷い時は癇癪の連続になる。

通常、そんなモードだとパパにガツンと怒られてママのところに逃げ込みがちだったが、パパが仕事で忙しくてママが相手をする時間が増えるにつれ、やむを得ずママに当たる機会も増えてきた。

あたられると、私もだんだんとお兄ちゃんに接するのが辛くなる。

いつか、と思って考えていたことを少し早いけど、教えることにした。

小学校も終わりころになると、お父さんやお母さんにわけもなく腹が立って、何を言われても気に触る時期がくるんだよと(きみは、まだそれには早いよ、と)。それは反抗期と言って、成長のために必要なこと。親とは別人の自分という人間を立ち上げて、ひとり大空に羽ばたくために必要なことなんだよ、と。

その上で、今、うまく行かないときパパやママに怒ってどうにかしてもらえても、学校やお外では自分でどうにかしないといけないし、反抗期が来たらパパやママになんて手出しされたくなくなるよ、と伝えた。

だから、今は、パパとママのもとを離れる準備として、翼を大きくしてるんだよ、と伝えた。

怒りに染まった自分をなんとかすることも、涙を拭いて立ち上がることも、漢字を覚えることも、お友達と喧嘩したらごめんねをすることも、嫌な宿題を後回ししないことも、全部翼を大きくするために必要なんだよ、と。

なぜか、お兄ちゃんはその話が効いたようだ。

我を失って機嫌を損ねても、「今、翼の大きさ何?」(サイズ?点数?)と尋ねてくるようになった。

精神的には周りより幼い子だが、自分のペースで自立しようとしているのかもしれない。

翼をはためかせて飛ぶ時に彼の胸の中にたくさんの宝物がしまってあるといいなと思う。

昨晩、夜ご飯の食卓でお兄ちゃんがぽつりと言った。
「やっぱりママが好き」

あぁ、この子の翼はまた大きくなったんだなと思う。

👖
下の子はまだ2歳で、イヤイヤ期が到来しつつあるが基本的には何をしてても可愛い。

スパゲッティで服も口周りもべっちょべちょに汚しても、服はお下がりで落ちなくてもいいし、顔はタオルで拭けばいいやー、で済む。オムツを外している間にオシッコをしても、お兄ちゃんのトイレトレーニングもこんなことしてたなぁ、で済む。側から見たら、ばぁばのような仏の眼差しである。

人生最後の子育て、もしかして孫が出来なければ最後の赤ちゃんと思うと何もかも愛しくなるからだろうか。

お兄ちゃんのママ友と話すと「弟くんがいてうらやましい〜。小学生にもなると一気にお兄ちゃん、お姉ちゃんになっちゃうから」と言われたりもする。確かに、ミルクを卒業し、抱っこ紐を卒業し、その手に我が子を抱くこともなくなれば、赤ちゃんだったときが愛しく懐かしく思われる。

確かに、弟がいることで私は「かわいいー」と我が子を見て目を細める「愛期(めでき)」を「おかわり」しているのである。

そんな弟は大人のやることを片っ端から真似して楽しんでいる。

食卓では、私のお箸を手に取り私のお茶碗のご飯を食べるし、お兄ちゃんが時間制限オーバーで放り出したSwitchに駆け寄りボタンを一生懸命ぐりぐりしている。

昨日びっくり仰天の出来事があった。

私がトイレにいるとドアを開けて入ってきて、ズボンをあげようとしてくるのだ。そして、急いで履かせたと思ったら、拍手をして「じょーずじょーず」とお褒めの言葉をくださった。

なんと、私が彼にしている、「ズボンを履く練習の手助け」を真似してくれたのだ。

2歳児にズボンを履けたことを褒められる私。
ニコニコご機嫌な笑顔を向けてくれる弟にまた可愛いなぁと目を細めた。

これでまた明日を生き抜ける。

子どもが運んでくる幸せは、キラキラした宝石の形をしてはいない。

つまらないことや不恰好なものばかり。

それを燃料に、今日もぐちゃぐちゃの部屋を片付け、汚しもののしみ抜きをして、昼寝を拒む2歳児の遊びに付き合っている。

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子どもに教えられたこと

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