限界ワーママは結局、年末に「スタバで手帳になんか書く」野望を実現できたのか?
年末に向けて振り返りをした人は多いだろう。
手帳に何かを書き込む素敵な人たちに憧れて、そんなことをしてみたいと書いたのがなんと11月のこと。
この頃は、スタバで一息つきながら手帳を開くなんて朝飯前とは言わなくても、別に、普通にできると思っていた。
親の自分時間の確保は至難の業。
しかし、一応、ワーママであるから仕事時間のどこかで昼休憩などを使えばなんとかなると思っていた。
時は流れて…
12月に突入してなおもスタバに行けていなかった私は、行きます!と宣言するかのように記事を書いた。まだまだ、なんとかなるだろうと思っていた。
そして、時は流れて…
本日12/28。
仕事納めは12/26にしてしまったのだ。
スタバは…まだ行けていない。
なぜ、たかがスタバに行くことが最高難度超絶技巧になってしまったのか?
何を間違えてこんなことになってしまったのだろうか???
子どもが冬休みに入る前に仕事の合間に行けなかったのが第一の敗因。仕事も立て込んでいてこれは仕方ない。
次に、上の子が塾で下の子が保育園の組み合わせの3日間の隙間時間を逃したのが敗因。
決定的なのは、最後のチャンスだった今日に下の子の保育園を休ませたことだった。理由は、鼻水が出ているからと、隣のクラスで流行り病が出ていたからだ。
別に鼻水が出ているだけで元気だし、人が減り流行り病も拡大していないので、行って行かせられないことはないのだが、「上の子は学校休みだよね?なぜ僕は保育園へ?」と言わんばかりにぐずる下の子を引っ張っていくのがなんか嫌になってしまった。
それに、過去に、「ま、いっか!」と保育園へ放り込み、家族が感染したり何やかんやとあとで底はかとなく後悔したというしくじりをしてきて、仕事が休みの日にそんなことをしたら悔やんでも悔やみきれないと思ったり。
おまけに夫が出張でワンオペで、朝保育園へ連れて行くというなんてことないことが億劫に感じられた。
うちで頻繁に鼻水吸ってあげて暖かくして過ごすか…
そう思うもともに、「スタバで一息入れてなんかを手帳に書き込む」という希望をしゅるーっと、その手の中から放出してしまった。
私のスタバでの振り返り欲のなんと脆弱なことか…2ヶ月渇望した割に呆気ない。
ちなみに、スタバへは行かなかったが手帳にはしょうもない雑用を書き込みそれらを消化しては線で消して行った。
手帳になんか書くのは、スタバへ行かなくても出来る。
でもなんか違う。
素敵な人たちは、心が動いた瞬間とか、やって良かったことや読んで良かった本、自分の心模様を切り取って書き記しているのではないか?
強いてこの事象から何かサマリーを引き出すとしたら…
今の私は子どもたちがいてもいなくても、素の自分でいられているのではないだろうか?
素敵な人たちがやっているような、内省の仕方を知らないのでいざスタバへ行っても何をやるのかよくわかっていないのではないだろうか?
そして、年末というカレンダーの節目にあまり意味を感じておらず、毎日が当価値の連続だと考えていそう。
何より「やりたかったことができなくてもしゃーない」という諦めを容易にできるようになった。
無の精神(?!)虚無?の境地だろうか。
みなさんの年末がおだやかなものでありますように。
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