名優堺雅人と演劇と芝居小屋と、ライブハウスとアイドルと。


堺雅人さんと僕はほぼ同じ年齢。彼は大学時代早稲田大学の演劇研究会「東京オレンジ」の団員だった。僕も当時早稲田大学に入りたくて学びを進めていた。結果としては家庭の事情で名古屋の大学に入ることになったが、名古屋で劇団に入り6年間くらい演劇活動をしてきた。堺雅人さんは憧れだった。名古屋で演劇をやっていると、大阪や東京の演劇の情報も入ってくる。演劇の雑誌「演劇ぶっく」で堺雅人さんのことを知る。彼は当時『早稲田のプリンス』と呼ばれ超人気者だった。雑誌「演劇ブック」で企画されていた日本全国の「役者ランキング」では、彼は常連だった。役者が大好物な雑誌だった。堺雅人さんは今や大河ドラマの主演。

演劇では、劇場を芝居「小屋」と呼ぶ。音楽ではライブハウスを「箱」と呼ぶ。僕が初めてアイドルのライブハウスに行ったのは、Dt.bld。知人の勧めだった。それは妖艶な場所だった。入るのも躊躇するくらいだった。入口の入り方もわからなかった。料金の支払い方も、+ドリンク代を支払うシステムも入口でお目当てを言うのもわからなかった。そもそも初めてのライブハウスだし。なぜドリンクとしてコインを渡されるのかもわからなかった。そして入った瞬間あるとあるアイドルさん4人が前物販していた。前物販って言葉も後から知った。チャイナ服の衣装で4人メンバーのアイドルさんが立っていた。その瞬間、一瞬で虜になった。そんな気がした。チャイナ服で何をしているのかもわからなかった。チェキを撮るという行為すら、ふれあい会(交流会、物販なんて言葉も知らなかった)すら知らなかった。知人に勧められ始めてチェキを撮った。手が震えた。
もう解散してしまったアイドルグループだったが、一人のアイドルさんのことを「見つけた」。それは心奪われた。衣装でのステージもよかった。沼った。初めてアイドルに出会って、世界が180度ひっくり帰った。そんな気がした。そりゃあモーニング娘。やAKB、乃木坂、欅坂とかは好きだった。でもそんなん比にならないほど好きになった。地下アイドルってすごい。。そう思った。もう過去の話だけど。
閑話休題
演劇は、芝居はパフォーマンス。アイドルもパフォーマンス。それを知った僕は、ライブハウスが好きになった。しばらく演劇を見ていないなあ。観たいなあ。
演劇でいうところの「小屋」を音楽の「箱」と重ね合わせて、僕はパフォーマンスをするアイドルが一瞬で好きになった。まるで演劇をしていたころの自分と重ね合わせて。
これまで名古屋の数多くのライブハウスに行った。小さな「小屋」もあった、今池3STARも大須ZIONもそれにあたる。めちゃくちゃ広い「小屋」もあったクラブクアトロ、ボトムライン、ダイヤモンドホール、名古屋Renylimited、Zepp。ああ僕は当時の憧憬を込めて「箱」ではなくて「小屋」と呼びたい。
学生劇団は最初は本当に小さな小屋で芝居を打つ。実は大須のDt.bldの近くに演劇の小屋がある。「七ツ寺共同スタジオ」。ここでよく芝居を打った。客の目の前で熱気に包まれながら。そこから始まって、小さな小屋を経て、少しずつ小屋が大きくなっていく。文化小劇場、愛知芸術文化小劇場。今でも鮮明に覚えているけれど、何が記憶に残っているかというと、ステージの広さ、客席の多さ、広がる声量、響くセリフ、うねる感情。

なんでこんなことを書いているかというと、好きになったアイドルグループと似ているからだ。DtやZION、RAD、Unlimits大須、R.A.D、TIGHT ROPEでパフォーマンスしている姿を見て、好きになったアイドルさんがいる。熱気はすさまじく、目の前で「演じている」アイドルがこんなにも輝いている姿を見て感銘すら受ける。
自分が好きになったアイドルグループがどんどんいろんなステージに立ってどんどん活躍していくことが当時の自分に重ね合わせて感動する。

処女作をAmazonにて発売しています。無料でも読めます。よかったらぜひ読んでみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?