見出し画像

言葉泥棒は笑う

走る言葉たち。


トタトタ ドタドタ ドスンドスン
目を覚ましたのは間違いなくこの音だった。
私には三種類の音が聞こえた。
 例えるなら、
犬が、散歩することに喜んでスキップする音。
幼児が走っているような足音。
そして巨人が歩いているような音。
寝苦しい夏の日だったせいだろうか。私にとって最悪の目覚めだった。田んぼしかないド田舎でネズミが歩いても、こんな大きな音をネズミが出せるはずがない。床を見ようとしたが、ぼやけている。ただ嫌な予感がする。ロフトから床に目を向ける「なにこれ。」と思わず声を出てしまった。
味気ない私の部屋は、黒い物体に占拠されていた。 
普段、ホコリすら落ちていないフローリングは
わしゃわしゃと芋洗い状態で、底すら見えない。
これが目が悪くてもわかる範囲の限界値だ。 そうだ、これは夢の中だ。そうに違いない。そうじゃなきゃやってられない。
手探りで棚においてあったスマホとメガネを探す。メガネは枕の横にあったのですぐ見つかった。だけど、スマホが見つからない。
黒縁薄いフレームのメガネをすると さらに目を疑うものが出てきた。文字が歩いている。
彼らが歩いてきた方向を辿れば、発生源はまさかのスマホの中からであった。
両手で、スマホから出てくる文字を押し込めるが、指と指の隙間から文字達が出て来ようと必死に押し上げてくる。
「ねぇ、待っててば。」文字達は言うことを聞かない。

飛び出た文字達は数メートルあるところからロフトから文字が蟻のように壁をつたって降りていく。「本当に意味不明なんだけど!」と私は布団を叩いた。なんだか、幼なじみにドッキリを仕掛けられている気分だ。とりあえず、スマホが機能するのかタップをしてみる。画面は着いたが、いつもの画面とは明らかに違う。まず、パスワード入力画面が、真っ白だ。最初、何かしらバクったのかと思い、電源を3回ぐらいつけ直したが、真っ白だ。スマホが命の私にとってこれは心理的ダメージが大きい。まぁ、画面の中から白服の女が手を伸ばしてくるよりはマシか。と思い画面を何回かタップする。祖母なら叩いて治すだろうか。
いや、今の時代でこの方法を使うのは良くない。
 
そういえば、昔。
いじめっ子にパスワード変えられて
スマホが開けなくなったことがあったけ。
電気屋さんに聞いたら、
電源付けた時に数秒間で設定画面にいき、
パスワード設定を消すということだった。
五年前に購入した古いスマホだ。
このスマホなら解除できる。
最新機種を買わなくてよかったと初めて思った。
設定のアプリを開いた画面にあるのは、枠とアイコンだけだった。

あ、またパスワードかかった。
 
無駄なことを私はやってしまったことに気がついた。これ、パスワード解除するのは
数字がなくたって、いつもの感覚で打てば開けるんじゃないか説。パニクっていた私もだいぶ冷静になってきた。二回パスワードを打ったらひらいた。スマホの中にあるのは、画像とアプリのアイコン無理やりでも使うとしたら、写真と感覚で
ナウスター写真投稿アプリーぐらいだろうか。 

もう、こればっかりはどうしようも出来ない。
私はおそるおそるハシゴを使って床へ降りた。黒い物体を目を凝らしみる。友達 感情、人生 、無意味、孤独感の言葉達が足を生やしてうごいている。それらは手をつないでいてそれぞれグループ行動をしているようだ。床に足をつけると黒い物体は、さぁぁと避けてドアまでの道を作る。
どうやら彼らは優秀らしいが…少し歩くとブチッと音がしたのと同時に「ぎぁあ!」という叫び声が聞こえた。振り返って足元をみるが、何かを踏んだ後は残っていない。 
部屋のドアを開けて階段を降りようとするが、黒い物体ー文字達ーが足の甲を渡っていてくすぐったい。これでは足を滑らせてしまう。
階段の壁にかけてある箒を使い文字たちを払った。何万字以上もある彼らは我が我がというように階段から降りていこうとする。こちらも慎重に階段をおりていく。五分かけてようやくリビングにたどり着くとロッキング・チェアに座り祖母はいびきをかきながらぐっすり寝ていた。仕方ない。ブランケットでもかけておこう。きっとこの文字の大軍を祖母が見たら退治するだろう。祖母は理解できないものは嫌う。
祖母が起きていないことが不幸中の幸いだ。
机の上に置かれた小さな鳩時計は朝五時半を指す
カーテンを開け、湯沸かしポットでお湯を沸かす。机に置いてあった小説は、真っさら
ガチャンと新聞が投函される音がしたため、パジャマのまま玄関に行く。ガラガラと扉を横にずらせば、横から黒い物体たちは勢いよく飛び出して
波に足を持っていかれたように外へ外へ出る。
結局は膝を着くように転けて擦りむいた。。
顔をあげれば無数の単語達が、街を埋めつくしている。もう何も感じなかった。
ただ、夢であって欲しいと願った。

「琴葉!」
自転車から降りて、家のドア前に駆け寄る少女。
足をモタモタさせながら私の方に来る。
「おはよ!ねぇ、異常現象だよ!」
目を見開き、ウキウキした明るい声で話すJK2。
私は彼女と同い年であるけど心は年寄りだ。
「朝から元気だね。ユキは、なんで私の家に来たの?。」髪はサラサラなボブ。
青いチェック柄のスカートに黒いブレザー。赤いリボンをしている。顔は可愛いのにこの空気の読めない性格のせいで、周りからは少し嫌われている。 そんな彼女の名前は、
笹野川 ユキ。
小学生の頃からの幼なじみでずっと同じクラスもはや私は彼女から離れることはできないような環境が作られている。私にとっては知人のような存在だ。友達ではない。
「なぜって…。もう朝から非現実的すぎて楽しくなっちゃたから!今日は絶対に学校休みだよ!」と楽しそうに目を輝かして話すユキは、まるで子どものようであった。
「大丈夫、これは夢だから。」 と私は家に戻りドアを閉めようとする。閉めようとするドアに足を挟むユキ。相変わらず手際がいい。
これは彼女に対しての褒め言葉ではない。
「ドア、閉めない〜!」といい私の頬をつねるユキ。つねられて痛い。
そう考えるともはや現実かもしれない。こんな悪夢が現実なのか。勘弁してくれと思うがまぁ、現実なんぞ上手くいかないものだ。
とりあえずめんどくさかったので、
「朝ごはんの時間だから家にユキも帰ったら?」
「コンビニで買った!」と自慢げにポリ袋に入ったカレーパンを見せつけてくる。
「そうか。じゃあまた学校で。」とユキ返そうとしたが「半分こして食べようよ?」とユキは私に笑いかける。私がユキの朝ごはんを心配する理由は、いつも朝ごはんを抜きがちだからだ。
ご飯を食べなければ倒れるし、面倒がかかるのは嫌だ。
「私は家で食べるから。」
「それはひどいよぉー!せっかく人がパンを分けようとしてるのに!」そもそも、パンをくれなんて言ってはない。ユキに対してそれ以上の感情は何一つなかった。 
世の中には友達という言葉が独り歩きしていることがある。
人脈で得をしようとする人や、群れないことが世の恥だという風潮すらある。友達という言葉ほど簡単で知らない人はいない。だけど、友達とはなにかと本質を聞けば、ほとんどの人が難しいと答える。ユキは典型的に一人でいるのが怖いから、私と一緒にいるだけだろう。空気さえ読めるようになれば、彼女は皆から好かれるタイプだと思う。私は、友達とかそういった類のものが分からない。人間自体、脆くて簡単に壊れてしまうのに、何故、自分を偽りつつ命の残存時間を使っても誰かと一緒にいたいなんて思うのか。
 
そうやって私の思考は海底に沈んでいく。
 
「ねね、いいこと思いついたんだけど、
一緒に、その辺に群がっている言葉を捕まえに行こうよ!」
彼女の右手を見ると虫取り網を見ていた。そもそも言葉を捕まえたところで何になるんだというのが私の本音であった。「嫌だよ。学校が休みになる予定なら、なおさら。」ドアノブを引こうとする。 「こういう変なことをすることだってきっと楽しいよ!」とユキは私の手を掴んで
外の世界へ引っ張り出す。 「ちょっと待って、私パジャマなんだけど!」
「はい、カーディガン!これなら誤魔化せるでしょ?」
ユキに深緑色のカーディガンを渡される。
青ジャージにカーディガンなんぞあまりにもダサすぎる。「それじゃあダメ。少し待っててよ。」と私はユキに伝える。
「分かった!」とユキはドアを閉じた。
もう、ユキには振り回されるのは散々だが、ここまでの混乱状態だとどこにいても私の愛していた平和な日常は戻らないだろうな。

タンスから黒い長袖パーカーを取りだし、制服に鏡の前で着替える。黒いリュック(横に青いネオンカラーのラインが入っているもの)を背負う青いチェック柄のスカートは、今でもあんまり好きではない。階段から下がり、玄関のドアを開けユキに話しかける。
「んで、どうするの?」
ユキは少し驚いた顔をした。「待って、今何時?」
焦ったように聞かれた。「え、時計ないの?」
「ちがーう!私の時計も数字が飛び出して使い物にならないの。」
「あぁ、忘れてた。ユキの時計ってスマートウォッチだもんね。」
「そうなんだよ!本当に不便すぎる。あっでもさ、もう学校の勉強しなくていいんだよね!
あんなにごちゃごちゃ書かれている 教科書なんて読みたくない!」

 
ユキは勉強が出来ない。夏休み、冬休み補習はいつものことだ。小学生の頃から皆勤賞を貰うほどちゃんと学校には来ているものの、内容が少しでも複雑になると「分からん。」と頭を抱えて机にうつむいているのが思い出される。 そして毎回先生に言われるのは、「琴葉、ユキに勉強教えてやれ?」ということだ。先生、それは私の仕事ではなく貴方の仕事です。と言いたいところだが、 まぁ学生の身分だ仕方ないと受け入れている。

玄関前に止めてある銀色の自転車の鍵を開ける。
「朝焼け前に友達と2人自転車で駆け下りるシーンってエモい!」とテンション高くユキはジャンプしていた。「置いていくよ?」と私は自転車に乗る。
「あ、ちょっと待ってよ!先駆けはずるい!」
後ろからユキが赤い自転車で追いかけてくる。文字の黒い波を掻き分けながら進んでいく。海風を感じながら住宅街の坂道をユキと一緒に下っていく。遠くに見える文字が蠢く場所まで一直線に。
「今時間はね。午前、五時四十五分」メモリ示された時計を見て判断する。
「りょーかい。まず文字の性質から調べなきゃ!」「え。そこからなの。」複雑化してる気がする私は普通に寝ていたいが。「逆にどうやって捕まえるの?」 ユキは私の隣に追いついた。
朝日に照らされながら彼女は笑う。
「はいはい分かりました。」私は寝ぼけた体を
覚ませるために足に力を込めてペダルを漕いだ。

 
 これは私の奇妙な青春劇の始まりである


散りゆく言葉


謎の鳥のほっほーという鳴き声が聞こえる。
そいつの正体はハトらしい。
太陽が水に反射していてキラキラしている。
自転車は少し高台に入り、一本の細い道を少し進んでいく。
2mほど下に田んぼがあるのに加えてガタガタしていて走りにくいから怖い。
それなのにユキは立ち乗りしながら前を走る。
よく田んぼを見るとアイガモがゆったりと泳いでいた。
「来世があるならばアイガモになりたい。」とボソッと声に出てしまった。
「アイガモ?!いいのアイガモで?!」ユキが異常なぐらい反応をする。
「え、なんで。」
 
「知ってる?大きくなったらね食べられちゃうんだよ!痛いんだよ!絶対に…。」
「それはそれでいいかな。」と答えると
「じゃあ私もカモになろと。カモになる練習しよう」
ユキはグワッとアイガモの鳴き真似を始める。
「恥ずかしいからやめてよ」
「釣れないなぁ全く。」と返された。
この道からみる田んぼの風景は、空を映し出して
稲穂の葉がゆらゆらと揺れ、
昔の日本らしさその物がここにはある。
茶南村さなん村は日本で唯一海と山に囲まれた村である。
ユキは自転車を立ち乗りして漕いでいた。ここには文字たちはおらず、
まるで先程見ていた黒い文字達が、
嘘のようだったように私たちは日常会話をする。

  
しばらくして 腕時計は朝六時半を回っていた。
田んぼ道を抜ける。
そこからはだいぶ道も広くなり整備されてくる。
小さな神社へ行く階段が右側に見えてくる。
そして少し行くとバス停と自販機がある。
バス停の時刻表は、見えなくなり、
自販機の電気もチカチカしていて不気味さが増している。

自転車を道路脇に止め、缶ジュースを買った。
値段は変わらず100円。
古びた石の階段に座った。
空は明るくなっていて、
入道雲が何故かいつもよりも綺麗だった。
「学校なんて嫌だ。」といつも通り私はユキに言えば、
必然と「じゃあサボっちゃおうよ?」
楽しそうに話してくる。
「それはダメでしょ。」とつっこむのがお約束ごとである。
「えぇ、私はサボりたいよ。
始業式の校長先生の話、めっちゃ長いじゃん!」
と少し頬をふくらませるユキ。
「とか言いながら、ユキは小学生の頃からずっと皆勤賞でしょうが。」
カチッ…シュワ
私は缶ジュースを開けた。
「そーいえばカレーパンあったんだった。」
ユキはカバンの中をゴサゴサとあさってカレーパンを出した。
ビニール袋越しに半分に割る。
「はい。朝ごはんのカレーパン!」と笑顔で渡してきた。
私はカレーパンを受け取り食べる。
パンは冷えきっていたが、暑い日なので別に気にならなかった。
 「今日の学校って行く意味あんのかな。」
足をぶらんぶらんしながらカレーパンをほほばるユキ
「なんで?」と聞くと
「だって、どじょうすくい状態で、逃げるんだもん。」
「へぇ。」私は不思議と石碑を眺める。
神社前にある小さな石に掘られた文字達は
一切動いていないことに気がついてしまった。

なんだか、ふぅと風が吹いて圧が感じるなと隣を見ていると
「ちょっ、聞いてる?!
さっきから後ろばかり向いてるけど?!」顔を覗かれた。
「ごめん、石碑が気になって。」
「石碑?。あの前にある石のこと?。」
「うん。あの文字達は動いてない。」
「動いてない文字って謎過ぎない?!」とユキは残りのパンをリスのように
詰め込み、ぴょんぴょん階段を駆け上がる。
私もユキに続く。神社の鳥居の元にある石碑の前に二人でしゃがみ、
苔で石碑の下が覆われていたので素手で払う。
「これ!私でも読めるよぉ!」
「石碑…というより詩碑ぽっいね。」 

―― 種ヲマクモノアレバ、 花オルモノアリ、
ソレデモ、マダ、種ヲ巻キ続ケルーー

 

「味気ないね。」この詩を見たとき、
どこにでもあるような言葉だと思った。
村中に歩いてる言葉たちと、この言葉の違いは
なんだろうか。
そもそも、この神社に人が出入りしている所は、
一度も見たことがなければ、
村の地図にも、スマートフォンにすらも乗っていなかった。
私がこの神社を知ったのは、
秘密基地を作りたがるユキが私を連れてきたことだ。
「うーん。なんかピンと来ないなぁ」とユキは
つまらなそうに歌碑を眺め膝の上で頬づえをつく。
「何年もずっと来ている場所なのに、
歌碑があることなんて全く気が付かなかった。」

「とりあえず!作戦会議しよ!」と
パァン!と気合を入れるように手を叩くユキ。
「推理するのいつも私じゃん。
たまには、ユキの見解が聞きたい。」
「いいよ?!でもね、一つだけ約束してよ〜!」
「何?」
「どんな見解があっても絶対に!
ぜっーたいに否定しないこと!」
普段からそんなにユキの意見を否定していたっけ…
私の記憶にはない。
とりあえず、「了解。」と言っておく。
朝、七時のことであった。

神社の階段をおり、
その辺に置いてあった木の枝を二人分拾う。
「とりあえず、時系列順に書こうか。」
私達みたいな田舎の底辺高校の学生は、
グれることが多いらしい。
こんなふうに今でも推理ごっこで遊んでるのは、
ユキが私の変な趣味に合わせてくれてるからなのだと思う。
ついでにある実験をしたいと思う。
もし、私がこの土に文字を書いたら何が起きるか。
実に興味が深いなと思い私は木の枝を持った。

 
 
【朝】と書いたら、
文字はあっという間に、
【十】と【日】と【月】に分解されてしまった。

 

「なんでなーーーーん?!」
ユキは頭を抱えた。
「え、草。」と不意に出てしまった。
「ちょっ!待ってよ!」とユキは一生懸命に
 分解され動き始める文字をつかもうとするが、
 一向に掴めない。
「ほら!さっき言ったどじょうすくいってこれ!この状態の話だよ!」
「うん、頑張れ。私はさらに書いてみる。」
「分かった!」
 ユキは虫取り網で一生懸命に振り回してる。
今日の朝、虫取り網は不要だと思っていたけど、
まさか、必要になるとは侮った。
もう一度、【朝】と書いてみる。
書いたはずなのに 土はまっさらなままだ。
「なぜ?。」
理由を説いても、土が答えるわけがない。
じゃあ、試しに【夜】を書いてみると、
点と横棒と【イ】に【久】に分解されていく。
また、書いてみると白紙のままである。
黒パーカーの袖が土で汚れていく。
「逃げっちゃったよ…。」残念そうにユキは階段に座る。
「私が書くと言葉が消えちゃうらしい」
非常に疲れた。ガリレオ・ガリレイなら解けるかな…。と不意に思う。
「え。」とユキの顔がいきなり近づいてくる。
「顔が近い。」自分が体験したことをユキに
見せるとユキは更に表情が良くなる。
「うわぁお。ファンタジックだね!ワクワクしてきた!」
「私はテンションだだ下がりなんだけど。」
「じゃ!私が書く!」腕まくりをして
ユキが【朝】と書くと、暴走していた言葉達は歪ながらに集合した。
「え?なんで?。おかしくない?」
混乱を隠せなかった。
「私、言葉を集める天才かも?」とユキは自慢げな顔をする。

これは見解を書く以前のお話だ。
イラストなら行けるか?。と思いイラストを書く
こちらは問題が無さそうだ。 

まず、今までのことをまとめてみよう。

「私は朝起きた時、部屋中に文字達が出ていた。
スマホも、新聞紙からも文字が生き物のように
歩いていった。ユキは?」と私は土にイラストを書きながら説明した。
「私、イラスト書くの苦手だからさ、言葉で話していい?。」
「いいよ。」
「私が起きたのは4時頃だったんだよね。
べットから落ちてさ、頭打ったんだよ。
その時は、別に変な感じはしなかったけど、
まるで風に吹かれた花粉のように
文字が散らばっててさ、
うわぁ面白いって思ったよ笑。」
そのポジティブ精神羨ましい、
彼女ならある日突然、無人島に連れてかれても
楽しそうにワンダーランドを作りそうな勢いだ。
最初からユキと私が見たものはきっと違うのであった。

ここからは共通点なんて、何一つ見つけられやしない。

  
しばらくして、軽い足跡が聞こえた。
「やぁ、おはよう。早起き少女」
ライトグリーンのスニーカーが私の絵を踏んでいた。
「わぁ!高峯ねぇちゃん!」
「先生でしよー?。ユキ?。」
「それ言うならユ・キさんって呼んでください」
「わははは」と二人で笑っている。
サラサラのポニーテールに筋肉質な体を持つ。
通称・悪女(仮)彼女の名は高峯 美奈 。
去年地元に戻ってきて私達の体育を担当している女教師である。
ユキとの関係性は年が六つ離れた幼なじみだ。

さて、私は、踏まれた絵が気になって仕方ない。
ただでさえ文字を書けば、
全て分解されてしまうことがショックなのに 
唯一描けた絵すらもなにかに妨害されては
ひとたまりもない。

「高峯先生。取り込み中失礼しますが、私の絵を踏んでます。」
「え、あ、ごめんね〜。」と
先生はてへぺろと笑う。
足を移動させる素振りはない。
「とりあえず、足を避けてください。今、作戦会議なので。」
「作戦会議中?またそんな子供みたいなことやってるの?」
「高峯先生、ユキを連れていきたければ連れていってください。」
高峯先生はゆきを独り占めして
可愛がってきた分嫉妬心が強いと思うことがある。
わざとなのかそうではないのか。
瀬戸際の嫌がらせを毎回してくる。
そんな高峯先生に私は苛立ちながらも
何をやってもユキが離れないので、耐えている。

「えぇ?琴葉ちゃん酷いねぇ。ユキ可哀想。
お姉さんが癒してあげるね?。」と姉は言う。
まだ、足をどかないのか。この先生、どこまで根が腐ってるんだ。
「え?そんなことしなくていいよ?。」とユキ。
「はぁつまらないの。」とため息つく高峯先生。
「それより私は琴葉の絵を踏まれるの嫌なんだよね。」
とユキが口を開いた。
「別に絵くらいで。」と先生は言う。
「先生だってユキが悲しい顔してたら、
悲しませたヤツ許せないでしょ?
それと同じ。私は今怒ってるからね?!」
先生は、踏んでいた足をずらしてユキの隣に座った。
ユキはそうやって怒って私の味方をしてくれる。
とりあえず、情報が欲しい。
「先生は朝起きた時、文字は動いていましか?」
「文字は見てないなぁ、」
「見ていない?。スマホもテレビも教科書も?」
「そう、でも文字がなくても感覚で生きれば平気よ」
「感覚ですか。ニュース見る時困りませんか?」
「うーん。そもそもニュース見てもね。 」
「先生なのに?そんなこと言っちゃうの?!」
黙っていたユキが突っかかってくる。
「こんな田舎に、都会のニュースなんて
あっても羨ましくなるだけよ。なら見ないわ。」
「確かに、スターパックスもないし、
流行ものを取り入れよう
とするのも苦労しますものね。」
この村は日本の北陸と東北の境目に位置する。
最近新幹線が開通したけれど、まずそこまで行くのに私たちは
非常に労力と金使う。
「そうよ。でも、親が戻ってこいって。
言ったから戻ってきただけなの。」
「じゃあ、先生は東京にいたかったの?!」
ユキは先生の顔に近い距離で話す。
絶対に唾かかっただろうな…。
まぁいいか。
「東京に行けばなんでもあるし便利よ。とくに
琴葉ちゃんのような音楽好きな女の子にはね」
先生は嫌味ぽっく笑う。
そんな表情に寒気がした。
この人、まずい。
「そういえば琴葉ちゃんは来年受験するんでしょ?。
東京の音楽大学に。」
進学することはユキには何一つ言っていない。
進路希望に書いたまでだ。
「え。」

 
ユキの一言は時が止まったように感じた。
手遅れだ。これ以上、面倒いことにはしたくない
「あ、ごめん。忘れ物したから帰るね」咄嗟に
私はすぐさま階段から立ち上がり、リュックを背負い
自転車にまたがる。ペダルが回って上手く足が乗らない。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
ユキは私が階段から立ったあと
直ぐ追いかけようとしたのは見えたが、
わけも分からず逃げた。

 

  
「ユキ、ほら言ったでしょ。琴葉ちゃんは。
貴方からいずれいなくなるって。」

            神木に止まった蝉が、
               バツが悪そうにジリリと鳴いて灯火を消した。

実質音大には行くかは決めてない。でも
大学へ進学する気があるのは本当だ。
良い大学に出て、就職して、祖母がいなくなっても、
誰にも頼らず生きていけるようにしなければ、
いけないのだ。
そうしなければ…待っているのは地獄だ。
ユキは純粋無垢な子供だと思う。
そんな奴に私の闇を話したところで、
意味が無い。
現実の厳しさを押し付けて、
私みたいに傷つく子供が増えるだけだ。
絶対にそれだけは嫌なのだ。
 
周りに言わないのはユキが駄々こねをするからだ。
「いやだ、行かないで。ユキを一人にしないで。」
あの頃は小六の夏休みの始まりの時だったか。
夕焼けを見ながら誰もいない公園で
一人でギターを弾き語りしていた時のこと。
急にユキに後ろから抱きしめられて大泣きされたことがある。
何かいざこざがあったらしく、私を探していたらしい。
ユキに何があったかなんて、私は聞く気もなかった。
クラスの子どもがやることなんぞ、
つまらないものに決まってる。  
でもさすがにあの時は困った。
Tシャツがユキの涙で濡れてしまったし、
「帰る?」と聞くと
「帰!ら!な!い!」と一点張り。
「私、ギターが…」私は楽器をユキの涙から守ろうとしていた。
「友達が泣いているのに冷たい!」とキレるユキ
「…友達…」
「何?友達だと思ってないの?酷いね!
だから嫌われるんだよ!?!」
「え…と私にはよく分からない…。嫌われてもいいし
 はじめから私に味方はいない」
「それじゃあユキが嫌なの!!」
「ええ…とりあえず離れて?」
「嫌だもん!このバーカ!アホ!」
この子の対応…正解は何?。とひたすら考えていた。
 
答えは出なかった。
ユキはそれから何も変わってない。
ただ純粋無垢な子供だ。
私のような社会の闇を抱えていない。
心が綺麗なままだ。
その上で、私はそういった理由により、
ユキには進学を黙っていた。

 
自転車でさらに坂を降りていく。
港に近づけば近づくほど文字が増えていく。
気がつけば、カゴの中には文字が入り込んでいた。
灯台の近くまで走らせ、ススキが生い茂る場所に自転車を停める。
一人でこの場所に来たのは、あの時以来か。
でもここならユキも来ないと思った。
カゴの中に入った文字を転がった靴下をつまむように、
カゴから出す。
「フシャァー」と猫のように威嚇してくる。
「なんで威嚇する?。」
「フシャー!」
 
文字を離して見ると、「猫」
ね、ねこか。なんで入り込んだ。
例えばこれが犬なら、威嚇して「ガルル…」と唸るだろうな。
爪のない猫、牙のない犬なら威嚇されても怖くない。
にしても不思議だな。
「猫」の草冠の部分を掴んでいたのだが、彼らは
バラバラにならず、
しっかりと原型を保ってる。
さっきの状態からすると、私が猫と書いたら、
 【猫】という言葉は消滅する。
そしたら猫好きの人は…猫をなんと呼ぶんだろうか。
とりあえず。文字であれど命をほいっと投げる訳には行かない。
そっと草むらに載せた。

「にゃー。」と鳴かれたから、「にゃー?。」と言い返した。
文字の大きさは手のひらサイズ。
重さは風に吹かれると一緒に飛ぶぐらいの軽さ。 
しかし葉に載せる頃には普通の猫ぐらいの大きさになる。
そっと乗せた葉っぱはあっという間に折られてしまった。
五分くらい観察してみたが何も変わらない。  
文字のまま「にゃー、」と鳴くだけだ。 
「じゃあ、そろそろ行くね。」と私は灯台の方へ歩いていく。
文字とススキが生い茂る灯台へ行く道。
小さな虫が多いはずの季節なのに、
黒い文字が、溢れていて、
虫よりも文字が邪魔くさくなる。

草を手でかき分けながら進んでいくと道がひらける。
背中が不思議と重いなと思い、リュックを下ろす
ただの猫が乗っかかっていた。
私は驚いた。猫は嫌いでは無いが、少しトラウマがある。

別に引っ掻き回された訳では無いが、
中一の時、春の肌寒い海辺で小学生に虐められて、
結局亡くなった猫がいた。
ギターで歌っていた中、起きた出来事だった。
当時の私は、正義感が強かった。
「やめなよ。」と言ったが聞き分けのできない
高学年であった。
とりあえずギターをカバーしまい、
いつでも逃げれるように背負い、
小学生の男の輪に無理矢理入り、猫を抱えて逃げた時だった。
ギターのヘッドが男児の顎に当たる。
泣き喚いて叫んでいた小学生男児に向けて私は
「君が悪いんだろ、そうやって生き物をいじめるからだ。」
と怒鳴って走った。その後知った話だが、
運悪く舌を針で縫うことになったらしく、
多額のお金を請求された。
村中で噂になり、祖母も肩身の狭い思いをして…
それ以来、私はこの港に来ることは無かった。
嫌なことが続いた。

 
最終的には、実の父に言われたまま音楽も辞め、
「 もう二度と会いに行かない。そんな娘は恥だ。」と言われた。
「私の人生ってなんだろうな」 はは、と乾いた笑いをした。
 
猫は「にゃー」と鳴く。ふと現実に戻る。
「君は自由の身だろう?。
誰にも邪魔もされず好きなことをできる。」
猫はこちらをじっと見ている。私はしゃがみ、猫を持ち上げた。
猫は大人しかった。顔を近づけ目線を合わせる。
これは猫にとっては喧嘩を売る意味だ。
大抵、そうすれば目を逸らし逃げていくんだ。
猫を下ろして手を離した。

 
「どっか行きなよ。
私は君を見てるだけで嫌なことを思い出すんだ。」

  
私が歩こうとすると猫は行く手を邪魔した。
この猫、ハチワレで、黒と白の柄をしている。
助けた猫に似ていた。
あのとき、私は彼女を土に埋めた。
今でも手に感じられる生暖かい感触と、
血だらけの…
今でも胸焼けがするほど、思い出せるのだから
嘘なはずないんだ。

 
右に避けると猫も右に。
左に行けば猫も左に。
【なんで今日はこんなにも嫌なことばかり。】と
心の中で唱えた。 
フェイントして逃げれるかと思えば
猛ダッシュしてまでも、目の前に来て何か訴える
諦めて自転車に乗ろうとすると今度は靴下に噛み付いた。
「なに?!」
「にゃー!」
足を持ち上げると猫は手足をぶらんぶらんとさせ
こちらを見てくる。
なんて、気の強い猫なんだ。
猫を宙に浮かしていても仕方ないので、足を地面に着けた。 
「離してくれる?」と聞くと
猫の目の瞳孔がさらに開いて、より引っ張る力が強くなった。
「嫌だから離してよ。」
グルル…と唸る猫。
そんな猫は私に何かをずっと訴えているようにも見えた。
数分間、このような綱引き状態になり、
私は、猫が離してくれるまで自転車の隣で体育座りをして
待つことにした。私は猫をじっと見つめる。
ふと変な質問を思いついた。

 
「君と今回文字が動くことって何か関係ある?」
するとようやく猫は私の足から離れた。
靴下には小さな穴が二つ空いていた。
猫はちょこんと私の膝のところに前足を置いて私を見た。
「にぁー。」
ついてこいという眼差しである。
灯台に行く前に猫に邪魔されるなんて前代未聞だ
何かのアニメ映画か。と思うほどに。
草と文字をかき分けて猫について行く。
猫は私が途中で足取りが重くなると、足元まで戻ってくる。
それを繰り返し十五分程だろうか。
ある場所で猫は止まった。
そこには、大輪の向日葵畑が広がっていた。

 
 
夏の終わりなのに向日葵が綺麗に咲き、
白い蝶がヒラヒラと飛んでいた。
ひまわり畑を歩き、猫は草のないぽっかり空いた場所に止まった。
十時に立てた不器用に刺さっている。
見覚えがある。ここは…
昔、亡くなった猫を埋めた場所だ。
急に胸が苦しくなり
私は足に力が入らなくなって、座り込んだ。
地面を見ると文字がわしゃわしゃと浮かんでくる
「はじめまして、小さな音楽家さん。顔色が悪いですね。」
「文字酔いしそうだし、なんで今日は嫌なことばかり。」
目を擦る間に、カサカサ音を鳴らして、
散らばって文字が入れ替わる。
「そうですね。お辛いことでしょう。」
「それと君は何者?」
「私は昔、ここに埋められた猫の孫です。」
もう一度目を擦り文字から猫へ目を移す。
「孫?」似ているからおかしくはない。
「小さな音楽家さん。率直ですが貴方に起きている現象は」
私は目の前に起きていることを受け入れることにした。
「貴方のかつて作った曲達が関わってます。」
「なんで、それはあまりにもおかしい。」
唐突なものには、やはり私は耐性がない。 
「理由は分かりません。
ただ動き出してる文字はかつて僕の母が歌っていたものです」
「歌ったもの…」
「そうです。」
「私は二度と歌を書かない。曲もつくらない。」
「それも知ってます。貴方をずっと見てましたから。」
「だったらなんで。」 
「解決したいと思いませんか。心にあるモヤモヤを」
「いらない、しなくたっていい!このままでいい、私は帰る。」
「帰らせません。」と文字はまた動き出す。
猫はしっぽを振る。
「変だよ。私が辞めるって決めたことなのにどうして蒸し返す!」
今度は噛まれてない私の靴下を噛まれ、
逃げようとした勢いで、転んだ。
「貴方は、自分の心を殺しすぎている。」と文字がまた動く。
「殺してなんか…ない 」呪いのようだった。
でも、
涙が溢れてくるのを抑えきれなかった。 
「もしこのままでいいと思ってるなら
 過去の不平不満など出てこないものです。」
「意味わからないって」
 私は地面にうつ伏せになり、右腕に手を当てた
色んなことを走馬灯のように思い出した。
ーもう、何も思い出したくなったのにー

ピアノやギター。机の上に並べられた沢山の楽譜
書きだめの詩が地面に散らばっている自室。
祖母に「掃除しなさいよ。」と言われた。
サボり魔の奴の代わりに
図書委員やってその時間にまた作り直して…
あれほど必死に物事に熱中したことはなく、
音楽だけが本当に楽しかった。

私が音楽を始めた理由は、母だ。
母はいつも私の作る曲を褒めてくれる。
「お母さん!新しい曲作ってみた。」
「聴かせて!」
今思えば、母は病弱であった。
それでも父の期待に答えようといつも必死に
家事とパートする日々を送っていた。
私にとっては完璧なお母さんだった。
髪は舞子さんのような綺麗な艶のある髪。
ふくよかな優しい手。
忙しい時でも音楽に興味持った私に、
ピアノやギターを沢山教えてくれた。
「琴ちゃんの作る曲はいつも優しいね。お母さん好きだなぁ。」
いつも優しく頭を撫でてくれる。
「あ、ありがとう」と少し照れながら
歌詞を両手で握りしめた。
少したってお母さんは、病で倒れた。
膵臓がんだった。
リンパにも転移していた。
気がついたころには何をしても手遅れだった。
私はお母さんに元気になってもらいたくて
たくさん曲を作った。
お見舞いに行くたびに見せていた。
最初は父とよくお見舞いに行っていた。
でも、だんだん父はお見舞いに来なくなり、
仕事を辞め、家から出ていった。
ジャーナリストになると私に告げて、
祖母の家に預けられた。
少し時が経ち小四の頃。母は他界した。
父は葬式にすら顔を出さなかった。
私は父を恨みながらも
祖母に迷惑をかけないようにするため
いつか父に会う時、学費を借りよう。
学費出すことは親の役目だとよく聞いていたからだ。
これを根拠になにかできないだろうか。
父を苦しめる方法として。
そんなことを考えた小学生時代だった。

中二の春。
玄関からガチャと音がした。
身なりは大きく変わり、
父はもう私の知る父ではなかった。
黒髪主義で真面目で厳しかった父は、
身なりは土木作業着に、髪は茶髪になっていた。
久しぶりに戻ってきた父に
作曲家になりたいという夢を打ち明けた。
「お前、誰だっけ?」
父の心のない言葉に折れそうになった。
だけどここは冷静に動こう。
「私は、琴葉です。貴方の娘です。
作曲家になりたいと思ってます。
その為の学費をお貸しいただけないでしょうか。」
父は黙っていた。
「中川君、お前、娘に会いにきたんじゃないのかい!」と
祖母が居間から駆けつけ声を粗げた。
「金だよ。金。くれや。」
父は性格さえも変わったらしい。
「嫁の親にまで金を要求するまで落ちたか?!」
私は唖然としていた。芯の通った声だった。
祖母のシワだらけの手は私を守るようにガードする。
「んだよ。本当は嘘で再来年、娘と
一緒に暮らすために仕事を就くまでの生活をくれって
思っていたところだったけど、
まさかなぁ学費出せと言われると思わなかったで。」
なんだ、この人。本当に私の父親か。
オマケにタバコのにおいもかなりキツイ。
そんな父が話を続ける。 
「才もない奴が勉強せず音楽?社会のゴミだろ。」
生産性がない…この人は人を機械だと…。
「お母さんはいい女だったけど、お前は生意気だなぁ」
社会のゴミから生まれた私は、またその社会のゴミなのか。
でも、母は違った。
私にとって母は完璧で、
男に利用されるような弱いやつじゃない。
父の中で何か変わったんだ。
母が必死に病気と戦ってる時に。

「そもそも、おかーちゃんに以外に褒められたことない音楽で
学校に行こうなんてよく思ったなマジでウケるお腹痛い
やめちまえよ。役に立たないから。」
とガラガラな声でお腹を抱えて笑われた。
そんな父に私と祖母は言葉を失った。
私は祖母の顔を見つめると祖母は、
「音楽は確かに何も役に立たないわね。」と言った。
この一言を聞いた時、固唾を飲んだ。
「貴方も現実見る頃なのよ。お母さんみたいに
夢を見て不幸になってほしくないの。」

祖母は、真剣な眼差しで私を見て前を見て
今度は父を睨んだ。
「中川君。もう二度と儂らの家に近づくな。」
父は笑った。
「学費も払えねぇところに誰がよりつくか。」
父はバックを持った。
ドアを出ようとする父に
「お父さん。」と声をかけた。
「最後にお前の知ってる父として言ってやるよ、
もう二度と会いに行かない。そんな娘は俺の恥だ」
後に知った話だが、  
今は違う家族の父親として生きているらしい。
私は赤の他人で、いらない子だったことに気がついた。

  

父や祖母の思いに 気づいた時、
母や父へ書き出した気持ちも
夢を追いかける気持ちで書いた歌も全てが無駄に思えた。
「ドタン、ドタン」
「ガタン」
 私は机に置いてあった楽譜を両手で一瞬で床に投げ捨てた。
バサッと音を立ててヒラヒラと落ちていく
楽譜。 
壁に備え付けていた本棚の本も
勢いよく前へかくように床に落とした。
「ドスン」という音をさせて、足の上に落ちた。
セーラー服が汚れようがもうどうでもよかった。
そのあとは何も覚えていない。
たったの十分の出来事が私を人生を変えた。
私の手は紙で切れて血が滲み、足も青あざになっていた。
ビリビリに破かれた作詞のアイデア。
ピアノコンクールで優勝した写真立ても、
割れていた。
やたら埃が舞い、ゴホゴホとむせがえった。
気がつけば、
床に落ちた紙にポツリとしみがいくつか出来ていた。
どこから、落ちてきたのか、
ふと疑問に思い、自分の頬に左手を当てると
涙が出でいたことを知った。 
大好きだった音楽部屋が、ただのゴミ屋敷になった。
「ただのゴミの山だ、私もゴミ。」
私はゴミに埋まった床に寝そべる。
ふとなにか思ったのか言葉に出た。
つらつらと言葉を吐き出すのが止まらなくなった
皆私のこと捨てて義務だけで育てただけ、
私のことを大切にしてくれる人はこの世で誰もいないの、
おかしいよね、皆さ家族がいて愛されてるのに
不平等だよね、
あー、笑っちゃう。
乾いた笑いが部屋に響く。
選ばれた人でしか夢は叶えられないんだよ。
私には……運も才能も実力も何も無かったんだ。
 
そう、母がいなくなってから
いつも母の姿を探していた。
音楽を作れば母の笑顔を思い出せるから。
歌があれば、この世界のどこかで母が生きてるって思えた。
どんな孤独であろうが、父が帰ってこないが、
祖母が冷たくても。
母の愛だけは確かに本物だった。
そう信じていたいよ。
だって折角生まれてきたのに誰にも愛されないなんて
なんのために生まれてきたのか分からないじゃないか。
でも、もう、、もうね、
褒めてくれたり笑いかけてくれる母はいないんだ

なら、音楽をやる意味はもう私にはない。
感情を大切にする理由も、
歌を書く理由ももうないんだよ。
「普通の大人は心を殺していきるものだ。皆表面では
ニコニコしているが裏ではよからぬ事を考える。
素直に生きた分だけ損するぞ。
言葉は慎み、戦略的に生きなさい。」
私は父に幼稚園の頃、そんなふうに教わった。
その話をキッチンで聞いていた母は、
作業をやめて後ろから私の肩にぽんと優しく手を置いて。
膝まづく。
 
「父さんそんな怖いこと言わないの。
琴ちゃん、気持ちがあるからこそ辛いこともあるよ。
でもね、誰かと分かり合えたとき、
とっても心が透き通るような感覚になって、
世界が綺麗に見えることがあるのよ。
だからね、そんな大人とか常識に負けずにね、
自分に素直で、人に優しくできる琴ちゃんでいてくれたら
お母さんは、嬉しいよ。
まだ、琴ちゃんには早いかしら。」 と
にこりと笑う母。
「お前(母)はいつまで夢を見るんだ。」と
ため息をつきながら言う父。
ごめんね、お母さん。私はずっとお母さんの気持ちも
誰の気持ちも分からないよ。だからね、父の教えを信じるよ。
ごめんなさい。
 
そんな一心で私は音楽を辞めた。
母のことを忘れよう、思い出の品も全て燃やそう
私は普通にならなきゃいけない、
自立しなきゃいけない、
過去ばかり、感情ばかり大切にはできないんだ。
それが大人になるということで、
自分を守ることになる。 
次の日、
誰も見られないように
勝手口を出て普段人が来ない裏山で、
木と板で火を起こし、
作詞ノートを突っ込んで燃やした。
バチバチと炎が舞い上がる。
私の思い出が煙となり消えていく。
もう疲れきって言葉も何も無かった。
ただ、抜け殻のように立ち尽くしていた。
最後の一冊を燃やそうとした時だった。
後ろから手を掴まれた。
ユキだった。
「……なにやってるの、琴葉。」
「なにって、燃やしてるだけ。」
「燃やしてるものは何?」
「ただのゴミだけど。」
「ゴミ?」ユキは首を傾げる。
「そう、ゴミだよ。」と淡々と答え炎を見つめた。
「バカだよ。こんなの琴葉がやることじゃない」と言うユキ。
「ゴミだから!あんたに何がわかるの?その手離してよ。」
私はユキに掴まれたノートを引っ張った。
「離したくない!だってそれは琴葉の…」
「第三者が話しかけてこないで!」と言うと
「琴葉の大切な思いが詰まったノートでしょ!」
ユキは涙目になりながら私よりも強い力で
ノートを引っ張り取った。
息をゼーハーゼーハーさせながら
「一人になりたくないから私の隣にいるやつに何がわかるの?」
と言った。
「琴葉が友達だと思ってなくても私は友達だって信じてるよ!」
「やっぱりユキはなんもわかってない!」と言うと
「ゴミなら私が貰ってもいいじゃん!
捨てる神あれば拾う神ありだよ!」
ユキは私の話を全く聞こうとしなかった。
「この世から抹消しないと気が済まないから」と
ユキの手に渡ったノートを取ろうと手を伸ばすと
ユキはひょいと私の手をかわす。
「このままじゃ、琴葉の大切なものを失うことになるの!
分かってないのは琴葉の方だよ!」
「大切なものなんてこの世にない。
なんなら今日死んだっていいぐらい。 」
「ない?嘘ばっかじゃん!
大切なものを失おうとしてるから死にたくなるんだよ。」
「もう、どうでもいい。」
「私にとっては琴葉は大切な人なんだからね。
それだけは忘れちゃダメだから。」
と言いながらユキは作詞ノートを持って行った。
私は座り尽くしていた。
ユキが数メートル先へ歩いたぐらいの位置で、
「そのノート持ち帰るなら二度と私に近寄るな、
偽善者!」
喉が張り裂けそうなくらいの声で叫んだ。
苦しかった。
悔しかった。
でも全て捨てなければ、気がすまなかった。 
ユキには分からないだろうよ。
それでも、かなり酷い言葉を言ったはずなのに
ユキは懲りずに私の隣にいる。
ふと現実に戻った。
原っぱで心地よさそうに寝てる猫に話しかけた。
「君はさっきの文字だった猫?」
「にゃー。」
「へぇー文字になった生き物は戻れるの?」
猫は何も答えなかった。 
文字達は、突風に吹かれ宙を舞った。
「消えたくない。」小さな声が耳元で
聞こえてくる。
朝から色々おかしいし、幻聴だ。 
足にカコンと空き缶が当たる。
「いたっ…」
地面に手を付き私は立ち上がろうと手をつけた。
するとまた文字が浮かんだ。
「思い出しましたか。」と文字が浮かぶ。
「嫌だってくらいにね。」
「向き合う気にはなれましたか。」
「なるわけない。」この言葉が表す意味を私は知らない。
思い出したところで何になるの?。 
「貴方は大切なものからずっと逃げるのですね」
「大切なもの?ないよ。ずっと。」 
「なくならないものってあると思いますよ。」
文字は間を開けて震えて無理やり地面から浮かび上がった。
「なんでそこまでいえるわけ?。」
「言葉でス。」とまた浮かぶ。
「言葉には形なんてないじゃない。」
と言い返したら、今度は虫に食われたような言葉が浮かんでくる。
「ずっと貴方の心の中に形カエテ、アルノデハ」
「そういう言葉は私以外の人に言って」
「ユキ、アノノートモツ。ユキニ、アッテ」
段々と文字はカタカナになり、かけていく。
「セキヒ、ユキ、カシ……」
彼らはサッと分解して空へ消えていった。
猫はこちらを見張るようにじっと見ていた。
「ユキが行く場所へ行けと君も言いたげだね。」
猫は欠伸しながら背伸びをした。
灯台の方へ歩こうとすると猫はまた足に噛み付く
「はぁ……」
狐目のような猫に
ギロリとこちらを見られては少し怖い。
「学校に行けと言うことですか?。」
猫は「その通り」というように離してくれた。
「分かったよ。行くから。着いてこないで、」
というと猫は、
無理くり籠の中に入る。
何だこの猫は。籠から猫を出そうとするが
「シャー!」って鳴かれた。
どうやら私のこと信用してくれないらしい。
諦めて私は自転車を漕いだ。

 

笹瀬川ユキ

笹野川 ユキ
私は高峯先生と二人きりになった。
いじめっ子と元子分のようなもの。
気まづい以外なんもない〜。
「あ、はは、琴葉ってば!いっつも私ばかり置いてく!」
軽く笑いのけながら、シーンと静まり返った。
「琴葉ちゃんのことはそっとしておけばいいのよ」
ため息をついて高峯先生からは
私が落胆したように見えたかもしれない。
左肩にそっと手を置かれた。
彼女はいつも、琴葉を一人にさせようとする。
お気に入りの人だけに優しくするところも。
本当はずっと苦手だった。
「やめて。」
咄嗟に出た言葉だった。
先生が触れないように一メートルぐらいの
感覚を空け、
くるっと後ろを向き先生と真正面に向き合う。
突風で先生の長い髪がサラサラとなびく。
私は深呼吸をした。
まずいことをしたと思った。
落ち着いて、本来の自分で話すために。
「あら、どうしてかしら、」クスッと
目を細めて笑う先生。
今思えば、私はこの人に今ままで言う通りにしていた
いいこちゃんだった。
いいこちゃんでいた分、私の気持ちが削られてた。
一呼吸を置いた。
私はいじめっ子の子分と同じグループに昔いた。
高峯ちゃんはいつも放課後はそのグループに遊びに来ていた。
いじめのことは一切話さなかった。
その中でも同学年のリーダーぽっい
七条さんは、入学式の時に高峯ちゃんを通して知った。
彼女は村のなかでも割と裕福で、お姫様みたいだった。
でも、
我儘で自分の下に人がいないと落ち着かないタイプだった。
誘いを断れば、「ユキは私の妹なのに酷いよ。」と
本当の姉妹ではないのに姉妹設定にされた。
でも嫌だなんていえなかった。
高峯ちゃんのおかげで少し入学して時間が経つと
自然と私はクラスの中心グループ
(男三人と女四人で七人グループになった。)
その子たちは…琴葉をいじめては、別のターゲットに
移り変わる。
琴葉を一番に嫌っていたのは、高峯ちゃんだった
主犯は高峯先生で、
それは、今も変わらない。
私が琴葉を守らなきゃ。

「先生、いや幼なじみとしていうね、高峯ちゃん。」  
高峯ちゃんがそんな話を相手にしてくれるかすら
分からない。
でも、本当に私を友達だと思っていたら?。
私を守りたくてあのグループにいれたとしたら?
きっと、聞いてくれると思うんだ。
「私、七条さん達にイジメられてたんだ。」
「七条ちゃんは優等生でしょ、いじめなんて」」
「やっぱり、高峯ちゃんは信じないよね。」
「私の前ではめっちゃいい子よ。」
高峯ちゃんは幼稚園の頃からずっとカーストで
人を判断してた。
それがイジメしてようが、悪いことをしても、
カーストがひっくり返らない限りは、
味方について、立場が危うくなった時には
何も無かったようにコロッと変わる。
ずっとそこが嫌いだった。
「琴葉は信じてくれたよ。」
高峯ちゃんは黙っていた。
彼女だってそこそこのいじめっ子だった。
私は好かれてたまたま運が良かっただけ。
それも、ここで終わり。 

「あら、そうなの。」
「はい、だから琴葉を探してきます!」
勢いで後ろを振り向き自転車に乗ろうとした時
高峯ちゃんが前に立っていた。
「た、タカミネちゃん?。」
私のバカ。そんなこと言われて
元いじめっ子が怒らないはずがない。
目力が強く、低くゆったりとした口調で
「発言はよく考えてするように。これは大人のルールよ。」
と伝えられた。
「はい。」
私は自転車に跨り、ペダルに足をつけた。
坂をまたぐだり、誰もいないことを確認して、
心の奥底に溜まったことを吐き出す。 
「人を傷つけるような人が大人ぶるなー!
お陰様で ユキは激おこプンプン丸だよー!!!」
声はやまびこした。
「やば!」と思った瞬間、グラッと自転車の体制が崩れた。
先生に聞かれたらどうしよう!
え、やばいよね。これ。怖い怖い!。
【やったからには仕方ないでしょ。諦めな。】と
琴葉なら言うよね?!。
よし、気分切りかえてこー!
自転車の体制を取り直した。

 
もう一人私には幼なじみがいた。
それは琴葉。
出会ったのは年中さんぐらいのとき、
私は乱視の検査のために室内で過ごすように言われて
何もすることなく教室で折り紙をしてた。
なにか視線を感じるなと思い、
廊下を見るとドアを掴んでジーとピアノを見ている子がいた。
私は仲間がいる!って嬉しくなって
「ねぇ!ねぇ!なにやってるの?!」
「ピアノ。」
と小さく
私はしゃがんで琴葉の顔を覗き、
壁側にあった黒い箱のようなものを指さした。
 「ピ・ア・ノ・?あれ?。」
「ひきたい。」視線を合わせない。
「やろうよ!」と手をつかむと
「でも…」モジモジする琴葉に
私はどうしたらいいか分からなかった。
「ピアノ好き?」と聞いてみた。そしたら、
「うん!大好き」
その時の照れながらの笑顔は今でも思い出せる。
「せんせい、よんでくる!」
仕事をしていた幼稚園の先生を連れてきたら、
先生は一瞬で涙を浮かべて笑っていた。
「琴葉ちゃ〜ん。お友達できたの?。」
先生はすごく嬉しそうに琴葉の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「そうだよ!ともだち!」と私は元気よく言って
「おともだち。」
意味を理解した琴葉は穏やかな笑みを浮かべた。
それ以来、幼稚園では常に一緒。
しかしこの関係は続かなかった。
七条と関わってから私が琴葉から離れた。
その間に琴葉が何に苦しんで辛かったのか。
私は何も知らない。

小三ぐらいから琴葉が
殆どの時間を図書室で過ごしていたことを知る。
七条に嫌気がさして内緒で図書室に行き来した。
クラスの男子をいじめて、指示を聞かなきゃ
いけない状況の私はやるせない気持ちになった。
「やめよ…」と言ったとき、
「今、私に指図した?。」
「…ごめんなさい。何も無いです。」
私は七条に謝る生活だった。 
周りに無理に合わせない琴葉に憧れを持つようになった。
二人きりで、琴葉と話したくて図書室に行った。
 「琴葉ちゃん?おひさ!元気だった!?」と話しかけると
「遊んでたんじゃないの。」棒読みで返される。
読んでる本は、音楽辞典だった。
私は本の内容が難しいことだけが分かった。
「つまらないから。来た!」
「そうなんだ、帰ってもらえる。」
琴葉は私を全く見向きしなかったので、
机の上に一冊ノートを見つけ開いた。
そこには、余白がなくぎっしりと文字と音符が書かれていた。
「な、なにこれ!!!やば!」
「何見てるの。返して。」
琴葉は私から勢いよく上からノートを取り上げた。
小三の時点で琴葉は、他の子と違う目をしていた。
何だかいつも悲しそうだった。
それから、心配になって琴葉の近くにいることが
多くなったある日。

「ねぇユキちゃん。私達に何か隠し事してるよね」
元々パシリだった私に更に嫌がらせが多くなった。
それから、更に苦しくなって
琴葉居そうな海辺に行った。
そしたら会えた。嬉しかった。でもね、
冷たい琴葉に「私たちは友達でしょ?!」と
怒った。
その夜に今まで私が琴葉にしたことをふと考えた。
冷たい対応されるのが当たり前だなと納得した。
次の日、ご飯を食べ終わるとすぐに琴葉に謝るため、
図書室へ向かった。
琴葉は相変わらず私の顔を見ず、厚い本を読む。
カウンター越しに正面を向いて琴葉に謝る。
「琴葉、今まで一人にしてごめん。辛かったよね
急に友達だなんてアホだよね。私」と深いお辞儀をした。
「別に」を誤ったことを聞き流すように
音楽辞典を開いていた。
琴葉の変わらない冷たい態度に
私の居場所はないんだ。と悲しくなった。
図書室から出ようとしたときだった。
「怒ったってどうにもならないしょ。」
呆れた声で話す琴葉の声が聞こえた。
図書室の入口で立ち止まり琴葉のいる右側に振り向く。
「ユキは七条に従うしかなかった。
高峯達に抗う言葉泥棒をされただけの話。」
「全てお見通しなの?言葉泥棒…」
「そんなことはないよ。」
本を閉じて琴葉は、本を左奥の本棚に戻す。

私は琴葉の後ろに着いていく。
「言葉泥棒ってなに。」
「例え話だよ。」
「ちゃんと説明して欲しい!」
琴葉は私が涙目になっていたのに落ち着いていた。
「高峯達が怖くて本音が言えなくされてる状況。
お父さんが怒ってお母さんが泣いてた時に
なんで泣いてるの?。って聞いたら
私のお母さんは、言葉泥棒された。といつも言ってた。」
琴葉はたんたんと話す。
「お母さんの作り話だよ。
昔、真面目なお侍さんがいてね。毎日お仕事を文句言わず
我儘なお殿様の言うことを静かに聞いてた。
敵をたくさん倒したり、凄い人だったみたい。
でもね、ある日。」
琴葉は脚立に乗って新しい本を取ろうと背伸びをする。
「言葉の使い方を忘れて、「御意」しか話せなくなった。
そのお侍さんは自身に嫌気がさして切腹した。
という話。
お母さんは私にこう言ったんだ。何か浮かんだら
琴ちゃんの好きなように表現しなさい。
他人に言われて泣いて
本当の気持ちを押し殺して生きてしまったら、
人生はつまらないものよ。って
ユキには難しかったかな?。」
私は少し話をに聴きながら琴葉の手が気になっていた。
カーディガンの袖口から
右手首より五センチほど下に、二つ、三つ…。
大きな青アザがあった。
青アザに気が取られていることに気がついた
琴葉は強く早口調で
「下、下に何か落ちてる。」私に言った。
勢いで下を見たけどあるのは私の足と脚立の足だけ。
「なにもないよ。」
「ごめん、なんかの勘違いだった。」
琴葉は珍しく苦笑いを浮かべた。

でも、その当時は何も気が付かなかった。
琴葉の苦しみを理解するよりも
溢れてくる自分の気持ちを大切にした。
「私は優しくないよ、悪い人だよ。」
と反射的に大きな声で言ってしまった。
涙がポロポロと出てくる。
琴葉は、脚立に座って下から私の顔をみる。

「幼稚園のとき、私を仲間に入れてくれたこと。
今でもよく覚えてる。」
琴葉は、私の顔を下から除くように目を合わせて言った。
「ほら泣かない。泣く子には鬼さんがくるよ。」
とハンカチを渡してくれた。
琴葉の優しさでさらに私は静かな図書室の中、
産声を上げたように泣き叫んだ。
琴葉は、静かに本を読んでいた。

私は言葉泥棒の話を思い出して、
琴葉の当時の気持ちを微かな記憶を頼りに辿った。
なんで、あの時気づいて上げられなかったんだろう。
琴葉の方がもっと苦しかったよね、
怖かったよね。
真夏日でも長袖の服を着ている理由は
今考えてみれば父親から受けた傷を隠すためだった。
 
手に残っていた青あざを気づかれないように
いつも隠していたカーディガン。
守ってくれたお母さんが亡くなったこと。
大好きな音楽を辞めたとき。

目が腫れていて、誰かに否定された。
ううん、否定されただけじゃ琴葉の心は動かない
それ以上の何かがあった。
琴葉にとって音楽は失ってはいけない
大切な宝物と私は思う。
それが、琴葉の本音だとしたら…
たとえ文字がなくても分かることがあるかも
しれない!

急いで家へ自転車を走らせた。
 
文字達は、跳ねながら私の後ろについてくる。
まるで大きな黒玉が私のことを追うように、
沢山言葉が私についていく。
「応援してくれてるの?!」と聞いても、
答えない。

 

琴葉の言葉


昔、母さんに手を引かれて
家を飛び出した夜。
優しさも夢も貴方と私の手の中に。

ひらり、ひらりと落ちゆく白い雪
チカチカと灯る街頭
銀色の世界で、月に戻れない白うさぎの親子

私は貴方の顔を見て「ここはどこ」と言ってみる。あなたは何も告げることなく優しく微笑んで
寄り添ってくれた。
真っ赤になった手足も心も何も感じない真冬だった。
 
悲しみに溺れる夜も朝日を待って生きれば
綺麗な朝焼けが、くすんだ思いを全て
連れ去ってゆくよ。
温めてくれるあなたの姿はもういない。
立ち止まって夕日を眺めた。

よく母は強しというけれどそうではなかった。
手を伸ばしても脆く桜のように散ってしまう
そんな短い、濃い時間を
私たちは過ごしてきたね。

生きるのは一瞬。 静かに眠りに落ちてゆけば、
どこかで会える
お星様になることは、怖くなんかないよ。
朝焼けの空にあなたは笑う。

私は、この歌を作る前。
母が入院していた病院にいた。
  
「あなたが隣にいてくれることより
幸せなことなんてないのよ。
愛してる。 これから先も。」

声が枯れるほど叫び泣いた
握り締めた最後の手のひらは、
あの日の優しい温もりを残して。

また今日がやってくる。
忘れられない貴方の笑顔も温もりも
これからも抱えて生きていくの
あの日を忘れたくないから。

月にもちをつき続けた。
いつかあなたに会えるように。 
 
もう何も怖くないと強い私になれたら、
優しいあなたを守れたのかな。
今もずっとそう思ってる。

 

用務員の男


猫と共に走り出した自転車。
さっきより文字が少なくなってきた。
気がつけば、山を超えて昔ながらの赤い屋根が見える。
建物はルネサンス風の白い外壁が私の通う高校である。
一見お嬢様学校にも見えるが、そうではない。
教室の中は以外にも普通の学校。
校門前まで漕いで自転車を自転車置き場に置く。 
赤レンガの階段に上り、昇降口のドアを見る。
夏休みの始業式が、本当なら行われる予定だった。
しかし、文字達が動きだしたことによって
学校は閉鎖されている。
グッと力を込めてドアを開けようとするが、
やはり閉まっている。

夏の蒸れた風が顔に当たる。 
「琴葉!ここにいた!!!」
聞いたことのある声が後ろから聞こえてきた。
ゴォォっと地鳴りがあまりにも酷いので、
後ろを見ると、自転車に乗ったユキと、
その更に後ろから黒い大玉が転がってきている。
「な、なにこれ?」
「なんか、着いてきた!!」
「なんで」
不意に猫が籠から飛び出して黒い大玉へ走っていく。
「ちょっと待って、」 
引き留めようと私は捕まえようとするが、
大玉に突っ込んで行った。
大玉は形を崩さず、水面に雫が落ちるように
波打って
猫を包み込む。
「ね、今見た?!猫入っていったよね?!」
「うん。そうだね。」
私はたんたんと答えるが、こんな四次元のような世界が
あっていいものか。半ば思った。
「そうだ!琴葉。私さ琴葉に返したいものがあったんだよね」
「なにか貸してたっけ?。」
「見ればわかるよ!」
ユキはカバンの中から、水色のノートを取り出した。
「これって。」
記憶にある。
あの日燃やそうとしたノートだ。
ユキが持って行った最後の1冊。
「どうして今これを?」
「琴葉の昔の話思い出しちゃって!言葉泥棒のお話のこと!」
この子は嫌がらせなのか、
それともこの現象を解決しようとしているのか。
どっちなんだ。
「高峯に言われてとかではないよね?。」
「高峯ちゃんのことは神社に置き去りにしてきたよ」
「そう、んでなんで学校にいるって分かったの?」
「ううん、琴葉に会うつもりではなかったんだよ」
「じゃあ誰に会うつもりだったの?。」
ユキは右手で左手首を掴んで珍しく
私から視線を逸らした。
「言えない。」自信なさげに聞こえた。
「言えないって?」聞き返すとユキは黙って俯いた。
彼女の持っている情報は。
いつもくだらないことばかりだ。
またなにかに巻き込まれるのはめんどくさい。
ユキを置いて、職員玄関の方へ回ることにした。
ユキは後ろを着いてくる。
「何?ユキが会いたい人は私が行く方角にいるの?。」
「いないよ。本当に。」ユキの視線は右下を見ていた。
嘘、ついてるな。
玄関の扉を開けようと触れると
ユキは私の手を止めた。
「今日は学校来ちゃダメな日、開けちゃダメだよ。琴葉」
来客用入口のところに人影が見えた。
目を凝らしてみると 
一人の男が、廊下を一生懸命にモップがけしている。
用務員だ。学校では彼と遭遇したことは無い。
でも、私のよく知る人である。
「え。」
私は見た光景に口が開いたまま一人の男を見ていた。

髪は、少し薄く白髪混じりだった。
でも、私は何故かその人を自分の父親だと認識してしまった。
ユキは私の肩に手を置いて落ち着いた声色で話す
「私、ずっと前から知ってた。
琴葉のお父さん、用務員として今は働いてるんだよ。」
初めて知った話だった。
小さな学校なのに知らないまま2年間過ごしていたのか。
用務員の男は私の視線に気がつき、
早くモップを動かし校舎の奥へ進んで行った。
視線を遠くにやると職員室と校舎を繋ぐ
渡り廊下の扉が開いている。
私は渡り廊下の扉を目指して気がつけば走り出していた。
 
土足で校舎の中にはいり、用務員の男を探す。
しかし、その男はいない。
私は諦めて自分の教室に入り、
窓側の端。一番前の席。自分の席に座り、机に伏せた。
「なんで人間をゴミと言ったやつが、
真面目に床掃除なんてやってんだよ。」

 バンっ。音は静かな教室によく響いた。 
 
「ジャーナリストじゃないのも知ってた。
もはや赤の他人で、私を捨てて新しい家族まで作って。
そんで私の学校に勤務?なんのつもりだよ!」
私は机に伏せた。

  
 「もう、疲れた、あんたのせいで音楽やめて、
あんたのせいで、母を失った。
言葉泥棒どころか、人生泥棒じゃないか。」

 

「琴葉!」
ユキと黒い大玉が形を変えつつ、後ろに着いてきていた。
「ユキ、なんで今まで黙っていたわけ?」
「それは…。」
残暑と共にユキの優しさまでもが、鬱陶しく感じてくる。 
「ごめん。」ユキは深々と頭を下げられた。
そんな姿を見て私は、我が身を振り、
ユキは私の地雷を踏むかもしれないと
思った上で気を使ってくれたのかもしれない。
そうだとしたらユキは悪くない。
「何も悪くないよ、ユキは。」
「私、琴葉のお父さんと話したことがあるの。
用務員になってからね。
もし嫌ならやめるけど、聞く?」と聞かれた。
中途半端に話されたら気になる。
「いいよ。続けて。」 
私は静かにユキの話を聞くことにした。
「私、琴葉のこと話したの。」
「そうなんだ。」
きっと父は私には娘なんていません、
息子なら居ますが…と言うだろうな。
ユキは、芯のある声で私の父とのことを話し始めた。

「少し前プールの授業の時に水着を忘れて
泣く泣く草むしりをしていた時に琴パパ見かけた。」
琴パパというのは、私のお父さんのこと。

「あの時、草刈りをしてる用務員さんを
見かけて、挨拶したのね。
そしたら、琴パパで本当に驚いた。
なんでここにいるんですか?って聞いた
琴葉には内緒で頼むよって言われたの。」
 
ほう、そのパターンか。
毒は表に見せないからこそ毒親なのだ。
ユキの前に見せた父の態度は、猫かぶってるとき。

「私、そこでブチ切れたんだよ。
一言一句全て記憶してるぐらい!!」
ユキ、勉強出来ないくせに
感情面になると起きたことは鮮明に覚えているタイプだ。

ユキは私の父とのエピソードを続ける。

ユキ「琴葉に内緒って、お父さん。琴葉が悲しみます。」
父「だけども内緒でね?。いい?
ユキちゃんはいい子だから」
ユキ「内緒なのは分かりました。でも、琴葉が、
大好きな音楽をやめたのは何故か教えてくれませんか?」
男は、ヘラヘラとして片手で頭を抱えた。
父「いやー、受験あったからじゃないかな?。
おじさんには分からない」
ユキ「琴葉が中学時代から成績トップなことぐらい
琴パパも知ってるでしょ!
ここの高校に受験したのは琴葉が、
やりたいことが何も無いからって!
琴葉は簡単に人生を諦めるほど弱くないはずなんです。
本当に何が起きたか教えてくれませんか。」
男はそっと口を結んだ。
父「今の琴葉をよく知るのは君だけだ。
これからもよろしく頼んだ。」

「去っていったんだよね。逃げるようにさ
それ以来、探してたんだけどなかなか会わなくてさ。
今日だったらいるかもと思ったんだ。」

「それで、エピソードがなんだっていうの?。」
ユキは真剣に答える。
「言葉が動き出す理由に繋がるかもしれない。
今はもう文字達の殆どがここにいると思う。
この作詞の本に着いてきた」
ユキはノートを上へ掲げた。
ひょいっと右に作詞ノートを右に動かせば、
言葉も右に動くし、逆にすれば逆に動く。

「その言葉達は私の言葉だっていうこと?。」
「そういうことだよ!」
ユキは私にノートを渡した。
私は両手で受け取り、ノートを開くと
虹色の光を放ちながら黒い文字たちは、
ノートの中へ入っていく。

おおよそ三年ぶりに書きだめた歌詞を見た。

 
一ページ目に書かれていた言葉は、
貴女の温もりを残したベット
私と貴女の物語は、
白紙に塗り替えられてしまったようだ。 
サラサラと揺れるカーテン
花はゆっくりと散っていった

花瓶の隣に置いてあった日記帳
開くとそこには私がいた。
最後の一行に書かれた言葉。
「貴女を誰よりも愛してる。幸せになってね。」
  
貴方のくれた言葉を忘れぬように
私は歌うの、あなたの存在が
消えぬように。
優しさで溢れた世界から、今はさよなら。

貴方がいなくなってから、二年目の梅雨の季節
貴女の眠る木の前に背が伸びたヒメジオン
私は草むらの中で、ギターを鳴らした。
やっぱり、ひとりぼっちはさみしいな。

優しい言葉を糧に生きるれるほど強くは無い。
段々と心が鉛になっていく。
本音は路地裏のカラスに食い尽くされた。

「自分らしさを大切に。
そんな大人に私だってなりたい。」

貴方のくれた言葉を忘れぬように
私はちゃんと立っているよ。
向かい風に負けぬように。
毎日、ちゃんと頑張ってるよ。

(ここからは、高二になったら書くこと!
これは琴葉の本音の歌。
お母さん以外の人には絶対に歌わないこと!)

さらにそこには、こう綴られていた。
成長する私を母に届けたくて書いた歌。
母の生きてると思いたくて病室に入った。 
その時には病室のベッドは綺麗に整えられ
跡形もなかった。
私は窓からそよぐ春風を感じ母との思い出を思い出していた。
「お母さん、神様に選ばれてもう少ししたら
お星様になってしまうの。」
「それって死んじゃうってこと?。」
「そうよ。でもお母さんが居なくなっても泣かないで」
「どうして?。」
「お母さんは、
琴葉に出逢えたことが世界で一番幸せなことなの。
これでもないかってくらい。
だから神様に選ばれて、何一つ悲しことなんてないの。」
「本当に?」
「本当よ、もし、寂しくなったら花を見て。
お母さんが近くにいることを花を揺らして
伝えるよ」
今にも泣き出しそうな震えた声で話す母を
私は見ることなんて出来なかった。
「分かった」
少しして、ふと花瓶に目が行き
花瓶の麓に母の五年分の日記帳を見つけた。
開いてみると私のことばかり。
変な失敗も、二人だけで秘密の食事に行ったことも。
端から端 上から下までぎっしり書かれていた。
日記帳を読み終えた時には、
崩れるように座りこみ声を上げて大声で泣いた。

現実へ思考は戻ってくる。
私はユキが隣にいることを思い出してふとユキの顔を見た。
振り向くとユキはいない。
正面から黒板に書く音がしたので見てみると
ユキは始業式のウェルカムメッセージと
夏休みのイラストを書いていた。
「いつのまに。」
「琴葉って歌詞ノート見るといつも嫌がるから
描いてた!」
「そうか、珍しいね、ユキって見てくるのに。」
「私は琴葉の大切な思い出には入れないよ。」
「もしかしてこのノート見たことある?」
ユキはチョークをボキッと鳴らして折った。
慌てて、振り向いて、両腕を振られた。
「なっないよ!!絶対に!ないから!安心して」
私は彼女が四年間、人の書いたノートを
見ないで保管できる程、物事に無関心な性格ではない。
「四年間も持ち続けて、見てない方が不自然」
ユキはほっとしたように動きが落ち着いた。
「さっきついてきた文字たち、消えっちゃたね」
「私も黒板に書いてもいい?。文字。」
「お?チャレンジャーだね。また分解するかもよ?!」
「それはトラウマだからやめて。」
「琴葉」と書いたら消えることはなかった。
さらに、「歌」「朝」「夕」と書いても分解しない。
でも、「人生」だとか、
「消す」などを書こうとすると言葉は分解され
チョークの粉になり溝に落ちる。 

ユキがノートを出してくれたおかげか
世界は少しづつ戻りつつあった。
ユキが「あっ!」と声を出して指を指す。 
廊下の子窓から先程の用務員を私達は見つけた。
私は、ガタンと椅子を鳴らし
自分の机を踏み台にするように
手で跳ね除けた。
用務員の男は、私の人生を狂わせた男。
それでも私には彼を嫌いになることは出来なかった。

憎悪と愛情の両方を感じるのは、
きっと私はまだ彼に期待をしているからだ。
もし私の頑張りを見てくれたのなら
私のお父さんは戻ってくるんじゃないか。

なんで私はこんなにも親に執着するのか。
こんなにも親の言うことを聞いてしまうのか。
また、簡単好きなことすらも捨ててしまえるのか
疑問に思ったこともあった。

考えて出た答えは、
両親よりも大切なものがないから。
私にとっての愛は生きていくための知恵だった。
両親から何も教えてもらわなければ、
私は何をしたらいいのか分からない。
言葉を奪う、奪われる以前かもしれない。
私は、これから先、何をしたら正解なのか。
その答えを誰かに教えて貰いたくて、
私は、きっと両親を求めている。  
祖母の愛情は、義務感から来る愛。
ほとんど、祖母は私に干渉しない。
干渉してきたのは、
進路で音大を辞めるように言われた時だけだ。
だから、辞めた。
正解なのだと思ったから。

用務員の男のモップの柄を掴み気がつけば止めていた。
「お父さん。だよね?。」
用務員の男は下を俯いて考える素振りをした。
「仕事中だ。手を離せ。」
低くかすれた声でモップを男は握りしめた。
「今、この学校には先生も生徒もいない。」
「誰もいなくたってやるのが仕事だ。それともなんだ?。
誰も見てないならお前はサボるのか?。」
「子育ての仕事を放棄した大人に言われたくない」
「昔は音大以外に何も言い返せない"いい子"だったのに。」
溜息をつき、私の横を通り抜けようとする。
私は道を塞ぐようにして左右に移動した。
「なんだよ。何でよけねぇんだよ。チッ」と舌打ちされた。 
たとえ邪魔しているとしても、私は彼の助言が欲しかった。
「じゃあ、そのいい子について教えてくれない?。」
そうすれば、私の言葉も気持ちも
落ち着くような気がしたのだ。

「ストップ。琴葉。」
用務員と私の間に入り、ユキの手に押され、
尻もちをついた。

「いい子か?。教えてやるよ。
六大大学に入り、有名企業に就職して
親の株を上げてくれる奴のことだ。
そしたら、琴葉のお父さんにもどってやるよ」
と男は横をとおりすぎて階段へ登って行った。
私は、空気を飲み下からユキの顔をまじまじと見た。
「何で止めたの?ユキ。」
ユキは対面するように体育座りした。
 「これで私は分かった。
琴葉はお父さんと関わったらダメだよ!」
「なんで。」
「琴葉。未来は親が決めるものじゃないよ。
自分で決めていくものだから! 」
「私はどうしたらいいのか分からない。」
「これから、一緒に探していこう?。」と笑われた。
「でもユキは大学行くこと、反対でしょ。」
「バーカ。考えすぎだってば!!」
ユキは私の頭をわしゃわしゃとなでた。

「高峯が音大の件をバラした時は、腹が立った!
でも、
琴葉には幸せになって欲しい。
これからも大切な夢を追いかけるって思ったら
すっごく嬉しかった!」
ぎゅっと抱きしめられた。
久しぶりに感じた人の体温は温かった。
「だから、好きなものを追いかけていいんだよ。
 琴葉のありのままが大好き。
誰かに望まれるための琴葉にならなくていいし
 私みたいに自由奔放にしても、神様は怒らないよ。」
顔に冷たい何かが落ちてきた。ユキは泣いてる。
「過去とか周りとか縛られないでいいから。
私ね、いつも琴葉苦しそうな姿を見て
どうしたらいいのか分からなくて、
でもはっきり言えば琴葉を傷つけるし、
言わなかったら、琴葉は自分を傷つけちゃうし
だったら私は、常に好きなように生きようって
思った。
そんな私を見て琴葉は、疲れていながら
私も自由に生きようって思えるんじゃないかって。」
その時、何か私の中でハッとした。

ユキはずっと空気を読まなかったんじゃない。
私に、縛られなくてもいいんだよ。
って教えようとしてくれてたんだ。
友達じゃない、知り合いじゃない。
そう思っていたのは、
私だけだった。
 
ユキはずっと。ずっと。
私を助けようってしてくれてた。
私を友達だって本当に思ってた。
私は何一つユキを信じてなかったんだ。
ごめん、ごめん、ごめんなさい。でも。
ユキは謝れることを絶対に望んでない。

色んな感情が交差して声が上手く出せないのだ。
でもいつものような詰まりじゃない。
心から溢れ出してくる言葉全て一言に込めて、
五文字だ。

僕らが笑う日


それからしばらくして、
ブーブー(通知音)とポケットの中から、
スマホの通知音がなった。

私たちは二年一組の廊下で二人、泣いていたが、
なんだか恥ずかしくなり、途端に私は冷静になった。

「ユキ、スマホがなってる。」
私はポケットから、スマホを取り出した。
文字も数字も元通りになっていた。
「ね、全てが元通りになってる。スマホも時計も。」
「ほんとだ!」
通知を見てみると学校からの緊急メールが入っていた。

学生各位

朝から続いておりました
文字が動き出す異常現状が収まりました。
まだいくつか復旧していない部分もありますが
本日は休校にいたしますが、
明日の学校は通常登校とします。

文字達をくれぐれも
踏み潰さないように
気をつけて登校してください。

以上。

「明日から通常登校だってさ。」私は真顔でスマホを見る。
「まるでこの事件は私たちだけの事件だね。」
ユキは肩をすくめて笑った。
「何が面白いの。」と私は質問する。
「だってさ?。学校が休みになるようなことを
私たちはやらかしてる。
それも、普通の高校生で普通の女の子の私たちがだよ!」
楽しそうに、爛々として話すユキを見ていた。
でも、この現象は誰にでも起こりうる現象だ。
そして意外にも私たちの身近にある。 

例えば、誰かの圧で本音がいえず苦しむこと。
自分で自分を傷つけてしまうこと。
逆の立場だって有り得る。 
人間は気づかないうちに
それが当たり前のことだと甘んずる。
そのことを母は、言葉泥棒と呼んだのだろう。 
今回、文字が動き出したのは、
私が好きな音楽も捨て、両親に愛されようと
した結果、
全てを見失ったからだ。
そして知らぬ間のうちに溜め込んだ感情が、
宙を舞い消えることなく動き出したのだ。

「そうだね。今回は私たちだった。」
「次があるの?!もしかして?!」
あってはならない。
文字が動いてしまったときは、
もう、この世界の誰かが壊れてしまうほど
傷ついている証拠なのだから。
「わくわくするなー。それにまだ解決はしていない。」
と私はメガネをグイッとあげた。
「解決していない…って。」
ユキはしょげた顔をした。
「根本的な問題は解決してない。」
私は立ち上がり教室に入った。
ユキも着いてくる。
机に置いてあった
ノートを開いて欠けている文字を探した。 

「広がる空の下、××の希望を探した。」
私はふと後ろを振り返り、
掲示板を眺める。
学級のテーマ「僕、私の××」に書かれていた。
過去の私は一体何を探したんだ。
「ユキ、学級のテーマってなんだっけ。」
「え、学級のテーマ…」
ユキは顎を触りうーんとうなりながら
考え込んでいた。
ユキがその仕草をすると何故か虫唾が走るような
気持ちになるのだが、
それは彼女が無意識のうちに私の仕草が移っているのだろう。
私から見た彼女は考えている風に見えた。 
「ユキの記憶には、ない!」
満面の笑みで返答されても、なんも意味が無いのだが、
それはそれで諦めよう。
「文字、を探しに行こう。もし良かったらだけど」
「琴葉から誘うなんて珍しいじゃん〜!」 
「そう?。」
ふと出た言葉。
「こうしてこれからも、琴葉が誘ってくれたら
私嬉しいな。」
「これからも…?。」
私はなにか思い出すきっかけになりそうなワード
だった。
「琴葉、なにか悩んでる?」
「これからもの類義語のような気がした。」
「類義語か…。将来とか?。」
「あ、近い、でもそれじゃない。」
そして、ノートに目を移すと
「未だに来ない、××、僕らは明日を失った。」
と書かれていた。

「未来… 未来だよ!」ユキは口にした。
「きっとそれだ。」と私は大きな声で言った。

静かな教室に、一人の女の声が入ってきた。
「君たち、ここにいたんだね。」
「高峯ちゃん(先生)」私たち二人は、後ずさりした。
「話は聞いたよ。未来ね。
生徒の未来とかぶっちゃけどうでもいいけど、
それが仕事だし、
自分の評価にもつながるんだよね。」

「じゃあ、先生。私も東京の大学にいきます。」
「ユキ…?。」と私はユキの顔を見つめていた。

「やりたいことって言ったじゃん。
私には少し前からあったんだ!カウンセラーになること。」
私は思わずえっと言葉に出てしまった。
「驚くよね。でも、琴葉のように悩んでる子を
助けたいし、
私自身も、救われたから。なりたいって思ってる。」

「もう勝手にすればいいじゃない。」と
呆れた声で高峯は言う。

私のなりたいもの。
それはまだ見つからない。
ううん、勝手に自分で決めつけて抑えてるだけだ

「人生は一度きり、わたしのやりたいことって
音楽だ」
 

 
私は自分の本音を封していたのを辞めた。

猫は嬉しそうに箱座りをしていた。

そして話し込み夕方、
珍しく清々しい気分になり
久しぶりに母の墓参りに行った。
  
猫は足元に擦り寄ってきた。
「君も元通り?。」
猫を撫でた。猫は気持ちよさそうに目を細めるが
「未来を好きになれたら、
その時は貴方の人生はもっと楽しくなる。
自由に生きること。」
私は疑問に思った。
猫がなぜそんなことを私に話すのか。
「君は、一体何者?。猫なのに話すし
文字になれるし普通の猫だとは思えないけど。」
と私は猫をほっぺをむにむに触った。
【こら!動物をそうやって触らない!
猫さん、イタイイタイするでしょ?。
もう、昔から変わらないんだから】
昔誰かによく言われた…
お母さんが昔から、猫の触り方には厳しかった。
彼女は愛猫家であったからだ。
不意にそんなことを思い出す。
声もなんだか似て…
【お母さん?。んなわけないよね?。もう居ないのだから。】
と心の中で唱える。
【もしそうだったとしたら?】猫は、私の胸上の所に
手をかけた。
「私はもう甘えたり聞くことはしないよ。
自分で自分のことを決めたいと思う。」
猫は私の鼻に、鼻をくっつけた。
 【人と助け合いながら生きることも大切よ。
今の琴葉ならできる。
これで安心して、いける。】

私は笑った。心の底から。
母に会えた喜びと
自分の大切な未来を守ろうと
前向きになれた。

 
【それじゃあね。大好きで可愛いわたしの琴葉。
私の分までしっかり生きてね。】
「お母さん、ありがとう。私もずっと。
忘れない。大好きだよ。」

                                                         「ありがとう。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?