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銭湯のしあわせ

「チラシおことわり」
「広告は入れないで」

こんなシールやメモ書きのついたポストを、街の中の至るところで見かけます。
たしかに、ポストの中に自分の生活とは関わりのない紙類があふれるのは、あまり良い気分ではありません。

けれども昨日ポストに入っていたチラシは、思わず読みふけってしまうようなものでした。
チラシのタイトルは《公衆浴場を守ろう
街の銭湯の現状と、お風呂の効用についての、有志によるお知らせです。


たとえばそこに書かれている、ある政令指定都市の例では、1977年に1192店だった銭湯が、2000年には約半分の600店を下回り現在では222店にまで減ってしまったといいます。

以前、“全国で年に200店ほどの銭湯が廃業している”というニュースもありましたし、私の暮らす地域でも、徒歩圏内にあった二店舗が、ここ数年で相次いで閉店しました。
なので、この数字は実感としてしっくりきます。

別に家にはお風呂があるし、銭湯が無くても困らない、そんな風に言われると確かにそうなのですが、お風呂好きの私としては、遠くの温泉よりも気軽に出かけられる街のお風呂屋さんが無くなるのは、何とも味気なく残念です。


痛快な風刺を連ねた『悪魔の事典』の作者アンブローズ・ビアズは、入浴を「宗教的礼拝にかわる神秘的儀式の一種」と書いています。

あたり一面に白い湯気が立ち昇るなか、なみなみと張られたお湯に浸かり、ゆっくりと息をつく時、なぜかよくその一文を思い出します。
神道の文化に囲まれ育った日本人ならではの感性で、水に触れることが清めの一環と結びついて感じられるからかもしれません。


鹿児島の方に伺ったところ、ほぼ全ての銭湯は温泉で
「お風呂屋さんに行って、ただのお湯だったことはありませんね」
とのことです。
週に数回、銭湯通いをするというその方が本気で羨ましくもなりますが、実は普通の銭湯でも、天然温泉というところは割にあります。

私の知る銭湯のご主人は、なんとお父様の遺産を元手に、住宅地の中で温泉を掘り当てました。
「大きな声じゃ言えないけど、1億円の手前くらい…」
それほどの金額をかけて温泉を掘った理由は、ただお客さんに喜んでもらいたかったから。
「普通の大きなお風呂もいいけど、どうせ入るなら温泉の方が嬉しいでしょう」
その人はそんな風に笑っていました。

そのお湯は、炭酸水素塩泉ならではの独特の香りと、微かにぬめる柔らかで忘れがたいものでした。


そうでなくとも、知らない土地で銭湯の前を通るだけで何だか嬉しくなりますし、ゆず湯や菖蒲湯、ハーブにラムネ湯と、入り口に気になるお知らせを見るとときめきます。

一日滞在できそうな、アミューズメントパークのようなスーパー銭湯も良いですし、熱いお湯とぬる湯の大きな浴槽が並ぶ、昔ながらの銭湯も素敵です。

数年前には大きな煙突を備えた銭湯が建っていた場所に、今では個人の住宅が建ち、駐車場が広がっている。
そんな景色を見ると悲しくなりますし、一度消えてしまえばおそらくもう二度と蘇らない、そういった文化の代表が銭湯だという気がします。


ふだんはシャワー派だとしても、お風呂の効能はばかにはできず、リラックスの度合いや疲れの取れ方も違います。

東洋医学の観点からも、温かなお湯につかる行為は「陽の気」を取り入れることと同じです。
この陽気は、身体をめぐる気血の流れを活発にし、全身に力を満たします。そして身体全体の回復力を強めます。

しかもそれが広々と心地よい空間であれば、さらにその効果は深まるように思うのです。
もし気になっている銭湯があるならば、今度ぶらりと出かけてみるのはどうでしょう。

そうすれば、賢明なシルヴィア・プラスのこの言葉に、きっとうなずきたくなるはずです。

熱い風呂で癒せないものは多いに違いないが、私はあまり知らない

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